マスクの取れない子供たち【成長への影響】
久しぶりのイベント
先日、小学生イベントの運動会が行われた。
ドッジボール、サッカー、バドミントン、最後は水遊びと大変盛り上がった。塾生専用ページのギャラリーには、子供達の楽しそうな様子と、大量の水を浴びせられて尊厳が失われた塾長の様子が並んでいる。
また、子供たちだけでなく我々スタッフもおおいに楽しんだ。終わった後はヘトヘトになったけれど、メンタル的にはむしろ活力が湧いた気がする。
なにせ子供たちとあんなに大声で叫んではしゃいだのは久しぶりだった。コロナ禍が奪ったものを、取り戻してから改めて実感したように思う。笑うと血の巡りが良くなり、白血球などの免疫細胞の働きが活性化されるというが、一ヶ月分くらい笑ったと思うので、今の私の白血球を擬人化したら、古代ギリシャのスパルタの戦士のごとく筋骨隆々として描かれるだろう。
素顔を初めて見る
さて、それほどまでに楽しかった運動会。
塾で休み時間にするやりとりだって楽しいのだが、今回はその楽しさに一段ブーストがかかった気がする。私は子供たちが皆マスクを外していたことが、その一因であるように思う。
思えば、マスクを外した姿を初めて見た子が大勢いた。電車に乗っていても、今やマスクを外している大人は大勢いるが、子供に関してはそうではない。
先日中学校の体育祭にぶらりと行って、マスクをつけながら全力疾走する子供達に驚愕した。
「足の速い人にはマスクをつけさせて負荷をかけることで平準化を図り、レースの公平性を担保してるのか!教育基本法第4条の教育の機会均等の原則に則ってるぅー!」
と思ったがそんなわけなかった。
マスクを取れない子供たち
マスクを外さない子供たちに聞いてみると、やはり怖がっているのは感染症に罹患してしまうことではない。概ね2つの理由が口を揃えて出てくる。
一つ目は「みんなつけているから」、二つ目は「素顔を見せたくないから」。
素顔を見せたくないということに、より正当性を持たせるために、みんなつけているという理由を初めに挙げるのはいかにも日本人らしい。
「世界各国の人々が乗った豪華客船が沈没しかける。しかし、ボートの数が足りない。故に乗客を海に飛び込ませる必要がある。そこで船長は各国の人々が海に飛び込むように仕向けるのだが、日本人に対しては『もうみんな飛び込みましたよ!』と言った」という有名なジョークがあるが、さもありなんと思われる。
家で勉強をしない子の攻略法は、自分たちが勉強する様子を見せながら「みんな勉強してるよ?」と言うことなのかもしれない。
理由はともかくとして、こうなってくるとマスクを取らないというよりはマスクを取れないというほうが適切に思える。
子供たちが怖がっているのは、感染ではない。
マスクを外した時に訪れる心理的ダメージを恐れているのだ。
マスクの弊害
しかし、果たしてマスクを介して行われるコミュニケーションが引き起こす弊害は存在しないのだろうか。
そういったリスクについてはあまり議論がなされていないように思われる。マスクというたった布一枚が隔てるものは、蓋し物理的空間だけではないであろう。
このことについて、京都大学の脳科学者である明和政子先生は次のように述べている。
やはり、表情全体が見えないコミュニケーションは異質だと思わずにはいられない。顔全体を見てコミュニケーションを取りたいというのは、人間のプリミティブで自然な欲求であると思う。それが社会性を身につけるための重要な要素であるのならばなおさらだ。
当書では他にも、
目だけを使ったコミュニケーションを大人ができるのは時間をかけて学習してきたからであって子供はそれができないこと
他者の感情の理解にはミラーニューロンという神経ネットワークが関与していて他者の表情が見えることが必須であること
表情の持つ意味を理解できるようになるためには近親者以外の他者にも当てはめて広げる「般化学習」が必要であること
など、非常に多くの知見が得られるので是非ご一読されたい。
今我々にできること
「だからマスクを外せ!」というのは些か乱暴であり、そのような短絡的な理解ではいけないということは明和先生も指摘されている。だから強制するつもりはない。
でも、もし仮にのっぴきならない事情がないのであれば、個人的にはかつて当たり前だった素顔でのコミュニケーションをとりたいなあと思う。
幸い塾内でもマスクをしない子が徐々にではあるが増えてきた。
マスクを取れない子にも十分配慮したうえでこの問題と向き合い、子供たちにとって有意義で、かつ居心地の良い空間を作り上げていきたい。
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