よく耕し、そして種をまけ【思春期に形成される文化的土壌】
「音楽の好みは思春期に決まる」
数年前にNYタイムズに掲載された記事で、印象に残っているものがある。
それは「音楽の好みは思春期に決まる」というものだ。
自分に当てはめてみても、14〜15歳の頃に聴いていた音楽はいまだに好んで聴く。
また、割と雑食的に音楽を聴いていたので、ロックやメタルなどのバンドサウンドや、エレクトロニカ、ヒップホップなど、現在でも幅広く音楽を聴いている。
一方で、クラシックやジャズあたりは触れる機会があまりなかったので、あまり聴かない上に、聴いてもあまりピンとこない。
少し気取って聴こうとしたこともあるがヘビーローテーションするには至らなかった。
もちろん、中には琴線に触れるようなものもあった。
上原ひろみのプログレッシブなピアノプレイや、フリージャズ寄りの後期ジョン・コルトレーンのロックを感じさせるサウンドには高揚を覚えた。
しかし、それは私が好むプログレッシブロックやハードロックに通底するものがあったからに他ならない。
文化を感受する土壌の形成
さて、このような「音楽の好みは思春期に決まる」という現象だが、音楽以外についてアナロジーが成り立つのではないか。
たとえば好きな漫画、好きな映画、好きなスポーツなど、極端に言えばあらゆる趣味嗜好は、思春期までに接触してきた文化の影響を受けているように思える。
つまり、文化を感受する土壌は思春期に大きく形成されている。
ハードロック嗜好を育ててきた畑ではジャズの種は育ちにくいというようなことが、音楽以外の分野でも起こっているだと思う。(「畑」という単語を自分の専門とする領域や分野のメタファーとして用いることがあるが、言い得て妙である)
特定の分野ばかりに触れて、将来の感受性の芽を摘んでしまうことがあるのであれば、それはすごくもったいないことだ。
学問においても、そういう勉強は大学に入ってからで良い。
大人がしてあげられること、子供にできること
したがって大人が子供にしてあげるべきことは、様々な作物が育てられるように畑を広げることではあるまいか。
育てるべきは畑そのものであり、作物は子供たちが勝手に育てればよい。
大人側で予め区画された畑を用意し、特定の作物の種苗のみを植えるというようなことがあってはならない。
私は授業でも子供たちが知らなさそうなことに関しては、それがいわゆる「勉強」からは一見乖離しているように思えるような雑談的なものであっても、積極的に投下している。
クリシェではあるが、子供という畑にはどんな作物でも育つ無限の可能性が秘められているのである。
また子供側でも好き嫌いせず、積極的に種蒔きをしてほしい。
多様な芸術・文化に触れてほしい。
自分が好きだと思ったことにはどっぷり浸かってほしい。
夢中になれるというのは、勉強においても重要なファクターとなりうるということも、長年の指導で感じていることである。
さらに、農業において2種以上の作物を同時に同じ畑に栽培することを混作という。
そしてこの混作において、作物同士が相互に好作用を及ぼすことも見逃せない。
一見関係のない趣味嗜好が思わぬところで生きるということはままある。
とにかく畑を耕し、種を蒔いて、水を遣る。
芽が出ないこともあるかもしれないし、間引かれることもあるかもしれない。
しかし、先の人生における文化的土壌はまさにその時間違いなく、子供たちの中で育っている。
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