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アロマテラピーの歴史〜後半〜#4

昨日、自分自身でまとめながら、「これは現代までの流れがおわらないし、自分が把握できない、、!」となり、途中までだった内容の続き。
古代エジプトなど本当に昔から政治的にも文化的にも科学的にも使用されていて、活躍の場が多かった「香り」。
近代以降の軌跡を今日は追っていきたい。

近世ー近代〜香料産業が活発に〜

この時代、大航海時代とも呼ばれ、さまざまな大陸へ航海する人々がいました。
そのため、アジアやアフリカの植物がヨーロッパにもたらされ、技術や科学の発達が進み、香料産業が誕生しました。

新大陸への歩みで新しい植物

ヨーロッパ近世は「ルネサンス」という文化が広がっていた時代です。そもそも「ルネサンス」とは、再生と復興を意味してます。
ルネサンスの芸術が盛んになったことで、香料への関心も高まっていきました。

ハーバリスト

ルネサンスの時代には医学にも大きな発展がありました。
特に薬用植物に関する書物のが出てきて、その時登場したのが薬草学の専門家「ハーバリスト」です。
特にイギリスで盛んとなり、。16〜17世紀はイギリスの薬草学の黄金時代とも言われています。

精油の抽出!

植物から香料としての精油が抽出されるようになったのは16世紀ごろから。この頃は芳香目的だけでなく、治療薬としても使われていたそうです。
その後、香料の文化がイギリスからフランスの社交界に伝わり、王侯貴族の間でさまざまな香料が作られていました。
精油の調合いわゆる「調香師」は、この頃から需要が高まっていました。
現在一般名称として親しまれている「オーデコロン」という言葉は、フランス語の「Eau de Cologne(ケルンの水)」に由来しています。
ケルンを占領したナポレオンも「ケルンの水」の愛用者の1人だったとのことです。

香りつきの革手袋・・・?

十字軍遠征から戻ってきた騎士たちの間で、イスラム兵士たちが使っていた、賦香革手袋が流行しました。
それが社交界でも広まり、やがて革手袋製造の中心だった南フランスにあるグラース地方で作られるようになりました。
グラース地方は温暖気候で、周囲に芳香植物も多く、香料産業が盛んになりました。そのため、グラースはのちに「香水の都」呼ばれ、世界的な香料産業の地として知られるようになりました。

合成香料の誕生

19世紀に入ると、さらに科学と技術が発展し、薬用植物から有効成分が分離精製されるようになりました。やがて、石油や石炭などからも同様成分が抽出されるようになり、化学工業的に薬や合成香料が作り出せるようになりました。

現代〜「アロマテラピー」〜

科学や医学、技術が発展していく一方で、自然両方への関心も改めて集まり、アロマテラピーが確立されていきます。

ヨーロッパ

アロマテラピーという言葉の生みの親は「ルネ・モーリス・ガットフォセ」です。彼自身が実験中の事故でやけどを負い、治療にラベンダー精油を使用したそうです。その経験から精油の治療的効果に着目して研究をしていました。

その後、ニオイの研究が進み、2004年にはアメリカの「リチャード・アクセル博士」の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞して、ニオイの受容体について解明されました。

日本

ハッカやラベンダーの栽培を機に日本では明治時代以降から香料産業が発展しました。香りの学術研究が進み、世界でも日本の研究は高い評価を得ています。

日本特有の「和精油」にも着目されています。
「ハッカ」「ヒノキ」「ヒバ」「クロモジ」など日本特有の「和精油」が国内外で注目されています。日本に古くから自生する植物やなじみのある植物から作られる、日本発の精油として大きな発展があるのではないでしょうか。。。?!


歴史ってやっぱり辿っていくと面白い!

いろいろな時代で香りが役立っているということがわかり、なかなかに面白いことが多かったです。
調べていく過程で、当時の昔の香りのレシピなどがたくさんあったので、それをいつか作れると良いなぁと思いました!

でも、今回歴史を知ったことで、次は精油がもたらす体への影響などについてまずは勉強していきます。

ではまた。。

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