アロマテラピーの歴史#3
昨日は色々と偉人たちの活用があったことを知れました!
じゃあそもそもどんな道筋を辿って現代まで繋がってきたんだろう。。?
古代〜神に捧げる香りから〜
古代エジプトでは神事で香りを使うことが必須とされていました。
その後、古代ローマでは医学や薬学として香りが発展して、暮らしに取り入れられていきました。
エジプト・ギリシャ・ローマ・インド・中国でそれぞれの発展をしていました。
エジプト
古代エジプトでは、香りを焚く『薫香(くんこう)』が主に宗教儀式で使われていました。
神殿では香料が焚かれ、煙とともに魂が天に導かれることを願っていました。
香料や香水「perfume」は、ラテン語の「per(通して)」と「fumum(煙)」から由来しているそうです。
ギリシャ
古代ギリシャ人も香りを非常に好んでいたそうです。
また、医学・哲学の学問が発展し出したのはギリシャが最初とも言われています。
当時、医学者「ヒポクラテス」が病気を科学的にとらえ、現代にも通ずる医学の基礎を築きました。
この頃の活用方法は芳香植物を生のまま、もしくは乾燥させたものを焚いて燻蒸(くんじょう)することが、治療法の一つでした。
植物学の祖とも言われている哲学者「テオフラストス」は植物を科学的に分類し、著書「植物誌」には500種以上の植物をまとめられています。そこには香料の調合、製造、使用方法についても触れられているそうです。当時の香料は、芳香植物をすりつぶして粉末にしたもの、ワインやオリーブオイルなどに漬け込んで香りを移したものが中心でした。
インド
現代まで受け継がれる伝統療法のアーユルヴェーダが誕生したのは古代インド。そもそも「アーユルヴェーダ」は「Ayus(生命)」と「Veda(知識)」を組み合わせた造語だそう。
医学だけでなく、宇宙観や自然観をとく哲学としても発展し、植物の活用など具体的な生活方法の教えも含みます。
現代でもインドやスリランカを中心に受け継がれる伝統療法として広く知られています。
中世〜東西の交流による変化〜
東西での交流が盛んになってきた中世では、アラビア医学や蒸留技術などが伝わったことで様々な変化が生まれました。
アラビア
5世紀後半ごろ、文化や科学の中心はイスラム帝国に受け継がれていきました。
その後、8世紀から12世紀に医学や化学はさらに発展し、アルコールの発明・アラビア式蒸留法の確立などが行われました。
これらの技術がヨーロッパに伝わったことで薬酒を作ったり、オーデコロンを生み出したりなどしました。その結果、香水の発展に繋がっていきました。
ヨーロッパ
中世のヨーロッパは、キリスト教を中心とする社会で修道院内で薬草の栽培が盛んに行われていた。主に治療に活用され、その医学の知識を伝えるため、医学校が開設されました。
また、中世のヨーロッパではペスト(黒死病)が流行していた時、魔除けとしてハーブを身につける人がいましたが、とある盗賊団たちはペストにかからなったことで話題になっていました。
その盗賊たちが全身に塗っていたものがハーブを酢に漬け込んだハーブビネガーのおかげではないか、ということでそのレシピが当時大流行したそうです!
日本
中世の日本には仏教の伝来とともに、中国や朝鮮半島など、アジア諸国から様々な文化がもたらされていました。
香りについて記載されている日本で最も古い文献は「日本書紀」です。淡路島に香木である「沈水」が漂着したと記載されています。
「沈水」とは現代お香でも使われている「沈香」のことです!
平安時代には、貴族の間で「お香」が楽しまれ、紫式部が書いた「源氏物語」でもいろいろな箇所で登場しています。
室町時代になると、文化として「香道」が確立。現代まで日本の伝統文化として定着しています。
香りのことにそもそも興味を持った理由がお香だったのもあり、ここまで確認できたのはよかった!
思ったより長くなってしまったので、今回はここまででお勉強はおしまいにします!!
明日、近代と現代のことをお勉強して、簡単にまとめていきます
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?