介護小説《アリセプト〜失われる記憶》⑰
目を冷ますと、職場にあるベットで寝ていた。いつ、ここに来たのかも分からなかった。
職場は真っ暗で時計の針は3を指していた。やっと、ここがどこかを把握する事ができた。
勤めていた介護事業所はマンションの一室を借りていた。10人くらいの職場においては、わりと広い部屋なのだろう。
パソコンが5台。コピー機があり、トイレ、小さいキッチンがあり部屋は机で囲まれている。
そして、奥に仮眠用のベットが置いてあって僕はそこに寝ている訳だ。
最後にお酒を一気飲みしたのは覚えていて、そこからは井上さんの
「大丈夫か?」
という声が微かに聞こえて来た事は脳の隅にある。
僕が、お酒をここまで飲んだも人に迷惑もかけたので、今の事体にびっくりしているのと同時に、とても申し訳ない気持ちになった。
記憶を失うという行為は、
小学生の時に僕が歩いていたら、ボールが飛んで来て頭に直撃した時くらいだった。
その時の感覚に少し近いものがあったが、お酒が入っているのが原因なのか、頭はふわふわして宙に浮いた感覚だ。
そこまでお酒を飲んだのかは分からないが、疲れがお酒の酔いを加速させたのだろうか?
とても申し訳ない気持ちの中、辺りを見ましてベット横に置いてあった水を飲み干す。
自分自身は倒れるまで飲んだりせず、常に迷惑をかけずに影で生きようとしてきたのに、他人様に迷惑をかけた。
父親には、
「他人には迷惑かけないように生きなさい」
と言われてきた。
その教えなのか、僕自身は”迷惑をかけそう”という行為に対して、嫌悪感や罪悪感を持ち、行動をして来なかったのかもしれない。
会社を建てるはずで死んでしまった友達は
「あのな、インドの教えでは迷惑をかけて当たり前なんや、迷惑をかけた文だけ後で恩返しをすればいいんや」
と僕に言ったの光景が脳裏に浮かんだ。
当時の僕には理解ができなかったが、この言葉の意味を少しずつ理解できてきたような気がする。
赤ん坊の時は両親に育てられ、歩けない所から始まり、ご飯も食べれない。排泄も他の人の手を煩わす事になる。
そして、小学生になり、教育という物を受ける。
読み書きをする事により日本語を読める様になり、足し算かけ算をする事により日常で買い物をする事ができる様になる。
歳を重ねると足腰が弱り、記憶力が低下する。
その為に介護という物がになる。介護を必要とする歳は人それぞれで、僕が訪問介護をする人も年齢はバラバラで、70代の人もいれば90代の人もいる。
介護士によっては50代の人を介護している人もいる。
老化という人間の現象だけではなく、外部から起こる事故などの要因や病気などで人から手を借りなくてはいけないのだ。
僕が、普通に歩けて、ご飯を食べれて、5感を満たされている事も感謝しなければいけないのかもしれない。
若くして、不慮の病にかかり人の手を借りなくては生きてはいけない人もいるのだから。
人間の最後の最後が死という着地点なら、いつ人の手を借りなくてはいけないのだから。
寝れている場所、ご飯を食べれている事、服を着れている事も人の手を間接的に借りている事が間違いないのだ。
外を見ると、朝日が射してきた。
仕事は休みなので、井上さん達には謝らなくてはいけないが、社長にはどう説明するか悩んでいる内にドアを開ける音がした。
介護を本気で変えたいので、色々な人や施設にインタビューをしていきたいので宜しくお願いします。