ナイキ・草津町・従軍慰安婦

群馬県草津町の町議会議員のリコールに関して、朝日系と海外のリベラルメディアが不正確で偏った報道を続けているが、「従軍慰安婦」に代わる日本攻撃を正当化する材料として既成事実化を狙っているのではないかと考えられる。MeTooに便乗した「嘘も百回言えば真実になる」の作戦である。

群馬県の山本一太知事はこのように述べている(動画の38:25~)。

何度も言いますが、私は個人的には黒岩町長は100%無実だというふうに確信しています。

司法判断を待たずにリコールしたことは適切ではなかったとの批判もあるが、議員失格とされた事由はそれだけではないので批判は的外れである。

このツイートから続くスレッドも参照(⇩)

地方の温泉町の出来事を海外メディアが報じるのは不自然だが、イラクやセルビアをアメリカに攻撃させるために情報操作が行われたように、日本を西洋のリベラル教十字軍に攻撃させるために、性差別が蔓延する「犯罪国家」であるかのように描く情報戦を展開しているということだろう。これらのメディアが公正中立な報道機関ではなくリベラル勢力のプロバガンダ機関であること、ジャーナリストではなく工作員・活動家であることは既によく知られている。

先日話題になったナイキのCMも、日本を人種差別・民族差別が横行するレイシズム国家と印象付けることを狙ったものと推測される。

中国人にアピールするためには日本人を貶めてもOK、というのがリベラルである。

ナイキジャパンのCMをたたく日本人は多いようだが、彼らはもともとナイキのバイヤーペルソナではない。彼らがCMを叩けば叩くほど、メッセージを肯定したくなる人は出てくるだろう。
ナイキのCMを見るのはその国の人だけではない。アジアでは、中国などのほうが日本よりはるかに重要な市場となっている。バイヤーペルソナではない人々が「日本をおとしめるな」と怒るのは、多くの意味で的外れだ。

西洋リベラル教ではsexismやracismは地上に存在してはならない絶対悪とされているので、当然、日本は十字軍の対象になる。

「人種間の平等」がリベラルの”宗教“であるという考えを、私は直接的にはハーバード・ロースクールの憲法の授業で、ノア・フェルドマン教授に習った。
「そう、我々はいまだ消えぬ『原罪』を抱えている。道半ばに倒れた『キリスト』の意志を継いで『白人と黒人の平等』という教義を世に広めようと努力し続けている。信仰にも似た熱心さと従順さで。この『人種間の平等』が我々リベラルの心の拠り所だ。この教えをリベラルの『信仰』としないで、他の何が信仰の名に値するだろう」
この教義は後に「すべての人間の平等」へと拡大した。フェミニストはそこに「男女の平等」を入れ込み、LGBTは「セクシャリティの平等」を含めることを主張したからだ。

この反差別を教義とする「宗教」は新左翼とも関係している。啓蒙思想+キリスト教(原罪と贖罪)+マルクス主義(マイノリティがマジョリティを暴力的に打倒する革命)→リベラル教になる。

ルキアノフとハイトは、1960年代や1970年代における新左翼運動の理論的支柱であったヘルベルト・マルクーゼの思想が現代のアイデンティティ・ポリティクスにも影響を与えている、と指摘する。マルクーゼは「右」と「左」の対立を強調したうえで、社会全体の寛容を保つためには右翼に対しては不寛容にならなければならないという「抑圧的寛容」の思想を展開して、異なる意見を持つ人に耳を貸さなかったり積極的に言論を弾圧したりすることを正当化した。

日本人は宗教やイデオロギーの脅威に鈍感だが、キリスト教とマルクス主義と新左翼の歴史を振り返れば、それらから派生したリベラル教の危険性が想像できるだろう。リベラル教徒の目標は文明・文化・伝統・共同体・家族を破壊・解体・脱構築する新左翼革命であり、日本では夫婦別姓がその一環である。

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