突然一人ぼっちになった2

父はいつも通り仕事に行き、離れて暮らす弟も平日は仕事。私は未だに何もする気が起きず、毎日泣き崩れる日々。1日中引きこもり、布団からほとんど出ていない。ドラマを見るか、布団から出たとしても母の写真の前に行き、コーヒーを持っていったり、ご飯を持っていく程度。生産性のない日々を過ごしている、もちろん仕事も休職したまま。

これまでの私は、1日中家にいることが1年に1日あるかないか、必ず外に出て何かしているような性格だったことは、何かの間違いだったのかと思うほど、全く動かなくなってしまった。ご飯だって食べたくない、正直無理やり食べさせられている。父が買ってくるスーパーの出来合いのものか、冷凍食品。バチが当たるとわかっているが本当に美味しくない。お母さんのご飯が食べたい。

母の料理の腕の良さは、私は全然引き継いでいなかった。引き継ぐとかいうレベルでもなく、全く出来ない。母の料理が食べられなくなる日がくるなんて予想してなかった。だって、私だってまだ若い、弟なんかもっと若い。いつでも食べることが出来ると思っていた。なんてことない日常が奪われる、1番辛く悔しいのは母であることは間違いないが、私も辛く悲しい。やるべきことが山ほどあることはわかっているけれど、全然手につかない。毎日毎日涙がとまらない。このまま私も死んでしまいたいとずっと思っている。

生きる価値のある人間の人生が奪われ、生きる価値のない人間が長生きしている。世の中はきっとこんなことばかりなんだと思う。母がいなくなってしまって、毎年楽しく先見の明があるプランの旅行することは、もうない。お金があっても何にも良いことなかった、物を買うことに意味も見いだせなくなった。何をしても幸せを感じなくなった。

私はこれまで、お金を稼ぐためだけに仕事をしていた。医薬品開発の仕事をしていた、こんな仕事をしていながら、母を救うことは出来なかった。母も救えていないのに、この仕事をすることに意義を見い出せず、今も休んでいる。このまま辞めてしまおうか…。だってお金を稼いだって、母が戻ってくるとは限らないのだから。

母は半年間は、腕が不自由になってきたり、声が出しにくかったり、とても辛い生活だったと思う。音楽を仕事にしていて、指も声も人一倍気を使っていた。どこか出かけるときは必ずマスクをして、高級なのど飴も常に持ち歩いていた。発声やピアノはいつも練習していたり、遠くまでレッスンに通ったり、色々なコンサートにも出演していた。時にはTVにも出ていた。とても大切にしていた部分が不自由になってしまったことはどんなに辛いだろうか…。それでも絶対復活してやるんだとリハビリを頑張っていたし、前向きに頑張っていた。弱音は決して吐かなかった。腕以外は問題無かったし、毎日毎日色んな所に行ってカフェしたりしていた。特に海の見える眺めのいいいカフェがお気に入りで、車で片道2時間かけて良くドライブしていた。もう二度とそんな日々はやってこない。