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インクルーシブな社会に向けて

 最近、台風がやたら発生して今度の台風7号はどうも近畿地方に向かっているみたいです🌪️

 5年前の台風21号のような甚大な被害が起こらなければいいですが。。。
 さて、この時期になると戦争のニュースがよく流れてきて、そのニュースを見る機会があります。
 自分自身戦争は体験していないのですが、この年齢になって「戦争」が引き起こしたことを目の当たりに見ると、今の時代では到底考えられないことが起こっており、「生きる」という「当たり前」のことがその時代では「当たり前」でなかった時代だったとつくづく思い知らされます。
 そして、その時代は滅私奉公の精神が当たり前で、自分のことよりお国のためにという思いで戦ってきたとも聞いたこともあります。
 もちろん戦争で闘った人だけでなく、戦争に行ってなかった人たちも食事や着る物など十分でない中で、「お国のために」と我慢をしてきたそうです。
 環境が変われば、善良だった人まで鬼の心を持つといったこともあるそうです。戦争という混乱した状況では特に・・・
 戦争の時もそうだったように、人は与えられた環境で動いてしまうという悲しいさがの動物です。
 今回のテーマは戦争ではありませんが、ひと、特に日本人は与えられた環境で動いてしまうということの弊害について書かせていただきます。

滅私奉公では解決しない時代になっています

滅私奉公めっしほうこうとは

 今ではあまり言われなくなった「滅私奉公」ですが、元々は紀元前の中国の戦国時代に伝えられた言葉だそうで、文字通り「自分の心を亡くし、国に奉仕する」という意味だったそうです。

私心や私情を抑えて、国家・地方公共団体・社会・世間などに対して奉仕する精神を意味する。 「滅私」は自身の利益や欲求を捨てること。 「奉公」は公や立場が上の者に奉仕すること

Wikipediaより引用

 日本でも第二次世界大戦まではこのような考えが蔓延はびこり、冒頭で触れさせていただいたように、「自分よりまずお国のために」という発想に繋がっていたのだと思います。
 今の日本ではなかなか考えにくいと言いたいのですが、今なおこの考え方にとらわれている社会があります。

それは

会社です。
 会社でバリバリ働く人の多くは、会社のために少しでも利益を出そうと一生懸命働いています。小さなお子さんがいる家庭などでは子どもの寝顔しか見たことがない人も少なからずいてるそうですが、会社ではそれを美徳とされている傾向が今なお残っています。
 いま世間を騒がせているBM社も報道を見る限りですが、社員を人間として見ておらず、道具としてしか見ていないようにしか感じられません。
 生活の為とはいえ、こういう働き方をする人は本当の意味で幸せなのかと感じてしまいます。

お金のために自分を犠牲にして働くのは疑問が残ります

▼社会にはルールは必要だが•••

 もちろん自分の好き勝手にすることを容認しろということを言うつもりはないです。社会生活を営む上で、ルールを決めなければ秩序が乱れてしまい、混乱した世の中になってしまいます。
 かと言って、ガチガチに凝り固められたルールを押し付けると息苦しくなるだけでなく、閉塞感しかない生活を営まなければなりません。
 ルールとは制約を意味するので、それぞれの個性を活かす社会を目指すのであれば、最低限のルールだけを作るべきだと思います。
 個人的な考えですが、全ての人が幸せになるためには幸せの最大公約数を見つける必要があると思います。なぜなら、誰もが幸せに感じる社会を構築するためには、個々のやりたいことを全て並べていても誰かが皺寄せを受けることになってしまうからです。全ての人が皺寄せを受けないようにするには、優先順位を決めてどうすれば全ての人が幸せになれるのか考える必要があるのかなと思います。

多くの人が幸せになるためにはそれぞれの幸せの最大公約数でなければならないと思います

▼子どもの成長の機会を奪っていないか?

 自分たちが育った幼少期から学生時代もそうでしたが、親から「勉強しろ」とか「家の手伝いをしろ」とか言われませんでしたか?
 親に反抗できる子どもはいいのでしょうが、全ての子どもが親に反抗できるとは限りません。そういう子どもたちは親の顔色をうかがって「いい子になろう」と親の言うことを聞いて大人になってしまったりします。
 その結果どうなるでしょうか? その子どもの本当のやりたいことや夢、将来について考える機会も与えず、親がひいた線路の上を進むだけの人生になってしまいます。何のために生きているのかすらわからなくなってしまうことだってあるのです。
 特に日本人は安定志向の人が多く、「失敗」を悪と決めつけて、親は我が子をその失敗をさせないようにと過保護すぎるくらいに口うるさく言ってしまいます。
 それが子どもの成長の機会を奪い、何の夢も持たない人間にしてしまいます。
 失敗は「悪」ではなく、失敗から何を学び、この先にどう生かすかが大切であり、失敗をしない人間なんていないのです。かの発明王のエジソンも多くの失敗を経験して千を超える発明に繋げてきましたので、失敗を次に繋げていく学習を促すのが親の役目だと思います。

エジソンも失敗を繰り返し成功へと導いた失敗の達人ですw

▼自己犠牲から成り立つ幸せは本当の幸せではない!

 よく「自分さえ我慢すれば周りがうまくいく」と言って我慢を美徳とする人がいますが、それは間違っています。我慢をするにも限界があり、これから先も我慢すればいいと思っているなら、やめたほうがいいと思います。
 人には大なり小なり自己奉仕バイアスというものがあり、自分は頑張っているのにとか我慢しているのにと思い込んでしまい、その頑張りや我慢を評価されないとやる気を無くしたり、腹が立ったりする傾向にあるためです。

自己奉仕バイアス:成功したときは自分自身の能力によるものであり、失敗したときは自分ではどうしようもない外的な要因によるものだと思いこむ考え方

「日本の人事部」より引用

 万人が幸せでいれる社会を構築することは非常に難しいことですが、誰かの自己犠牲で成り立つ社会は本当の意味での幸せではないということを理解してください。
 戦前までは「滅私奉公」は美徳とされていましたが、これだけ多様化してきた社会で自己犠牲を求めるのではなく、インクルーシブな社会になることを目指すべきではないでしょうか?

インクルーシブ:「あらゆる人が孤立したり、排除されたりしないよう援護し、社会の構成員として包み、支え合う」という社会政策の理念

Wikipediaより
目指す社会は自己犠牲ではなくインクルーシブではないでしょうか?


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