「やっぱり、悲しいは美しいものとされてるんだよね」
「ほう」
「悲しい物語が人気になったり、需要があったりするのは、その悲しみの中に人が美しさを見出してるからで」
「うん」
「それで、そういう物語の悲しいシーンでは音楽だったりセリフの言い回しで美しく演出もされるわけ」
「うん」
「でも実際に自分が悲しいときってさ、その悲しみに美しさは見出せないじゃん」
「そうだね」
「だから悲しいは本当は美しくないんだよ」
「はい」
「だけどずっと悲しんでちゃいけないらしいんだよ」
「なんで?」
「ずっと悲しいままだと時間が止まってしまうから」
「うん」
「それで、そのことを誰が気にするかって言ったら周りが気にするんだよね」
「たしかにね」
「だから悲しい人は励まされるし、悲しい人は誰かから手を引っ張られて悲しみの中から取り出そうとしてもらえる対象になる」
「うん」
「だけど違うんだよ」
「違う?」
「悲しいは悲しいでしかないんだよ」
「何が違うの?」
「悲しい気持ちにさ、絶対なるじゃん。みんな悲しくなったことってあるじゃん。それにこれから先、悲しい気持ちになる瞬間がくるであろうことも予想してる」
「そうだね」
「でも時間が止まっちゃいけないでしょ?」
「なんで?」
「置いてかれちゃうから」
「そっか」
「だから悲しみを受け入れたり乗り越えたりしなくちゃいけないらしいんだよ」
「うん」
「そのための一つの方法として、悲しみを美しいものとする。そして主人公になる」
「主人公になる?」
「主人公になることは悲しみを受け入れるための一つの方法なの」
「なるほどね」
「そしてこの悲しみには意味があったんだというふうに思い込む」
「うん」
「そんなこんなで、悲しいは美しいとされるようになったのかもしれない」
「うん」
「だけど、そういうどうしようもない気持ちをどうにかしようともがいているのはたしかに美しいかもしれない…とも思う…」
「確かに、本当だね」