下田尾佐保
0時から次の0時のすぐ前まで 朝から夜まで 日が登ってから沈むまで 目が覚めてから眠るまで 一日はこうやって表される わたしはいつも今日にいる いまここは今日である 0時になると、 真夜中になると、 日が沈みきると、 眠りに落ちると、 今日は昨日になる 0時になると、 夜が明けると、 日が登ると、 目が覚めると、 今日は明日になる 今日がはじまる 今日にいる いつのまにか今日がおわる そしてまた 今日が昨日になることを 明日が今日になることを わたしは止めることがで
部屋の電気を消して、カーテンも閉めて、わたしと世界との境界線が曖昧に溶かされた夜、友だちと「空」についての話をした。 「空」は本当に意味が分からなくて、だから私たちは「空」についての問いをたくさん持っている。答えがほしいわけではないけれど、科学なのに詩のような空への問いを言葉にしておきたくなって、それで今書いている。 夕方の空を見ながら家に帰るようになってから(少し前までは夜の空の中を帰っていた)、携帯のアルバムの中身が急に空の写真でいっぱいになった。きれいな空を見る
卒業アルバムの後ろにはニュースページがあって、学生だったその時代の世の中の出来事が見返せるようになっている。写真やニュースをみながら、その時代を懐古するときの心は少し不思議だ。"あのころ"のすべてがひとつのまとまりとして、まるで映画のように褪せた色合いを持っているように感じる。 "時代"という言葉を私たちはとてもよく使う。「あの時代はよかったよね」とか、「そんな時代もあったね、懐かしいね」とか、こんな風に。 こういう"時代"は、歴史を勉強したときに教科書に出てきた「飛
一人で生きていくことはできないと思う。これまでも、一人になってしまったことは一度もなかった。 生きていくためには、ただ息をするだけではいけなくて、人生を歩んでいくためには、ただ時間に流されるだけではいけない。命を維持するためにすべきことがあって、流れる時間に合わせてしておいた方がいいことがある。それは、体にいいご飯を食べることやよく寝ること、勉強をしたり何かに挑戦をしたりすること。そういうことをきちんとすると、体が軽くなったり、心が満たされたり、安心したりできる。これらの
わたしはあなたではないし わたしにとってわたし以外はあなただし それぞれのあなたにとってわたしはあなたで みんなわたしでありながらあなたであって 決しておんなじになることはないのに 交わっている 交わっていると思っている おなじ世界にいるようで だれもわたしのみている世界をしらない
選ぶことには覚悟がいるし、諦めることには気力を使う。選んだことが正しかったのか、その答え合わせはいつなされるのだろうか。 お兄ちゃんから「捨てようと思っているテレビがあるけどいる?」と連絡があった。「もう持ってるから大丈夫」と返事をしたら、「サイズ大きいけどいらない?」と念押しをされて、迷ってしまった。電気屋さんから「ウォーターサーバーの機械をサービスで設置してもいいですよね?」と電話が来た。「じゃあお願いします」と返したあと、信頼してる人にそのことを報告をしたら「それ
風や波はどこから生まれるのかとか、どうして空の色はみる時間によってこんなにも変わるのかとか、そういうことが問いとして浮かぶことがある。 友だちと話しているときに、「どうして痣ってあとからできるんだろう」とつぶやいたら、少し笑って「君のそういう、科学にも立ち向かおうとする感じがいいよね。別に科学的な答えが欲しいわけじゃないんでしょ?」と返されたのがうれしかった。私のつぶやきの本意を汲み取ってくれた気がしたからだ。そう、確かに科学的な答えを求めて問うてるわけじゃない。 哲
哲学プラクティス連絡会公式機関誌『みんなで考えよう』第4号 思索の扉 タイトル『「意味」という概念から解放されるには』(2021年9月4日刊行) https://drive.google.com/file/d/1hDfaCI8BptQp686XGlz4jd9aGFCkC5oU/view
この日のさらにつづき
感覚の話をするのが、とても好き。わたしの輪郭が溶かされて、目に見えないものとして存在できる気がするから。 この日のつづき
世間からみれば益体のないことばかり、本当にそんなことばかり話す友だちがいる。会話のはじまりもなければ、終わりもない。思いついたことを思いついたときに、思いついたままに言葉にする。力を抜いて考えたことの記録でもあるから、文字に起こして残しておきたい。