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神経回路の再設定(前編)

「不確実でわずかな希望だけを頼りに」
2017年に僕がMS(多発性硬化症)ではじめて入院した時の治療とリハビリの話。状況は左手が全く思うように動かず、というか「ただ左手がついているだけ」みたいで、そこから今のようにキーボードが打てるようになるまでの経過の話です。


1.異変を感じ始めた

7月末、左手の親指を中心に血が止まった時のような痺れを感じ始め、その後徐々に痺れが手全体に広がりました。近くの内科を受診し、結果その内科では「よくわからない」ので大きな病院で見てもらってくれと紹介状をいただきました。8月中旬、聖隷浜松病院を受診し簡単に行える検査を一通り受けて医師の診察の結果「多発性硬化症」の可能性が非常に高いので「極力早い入院をお勧めします」と言われ(この言葉結構怖かった)翌日入院することに。この時点では病名だってほんのちょっと聞いたことあるかな、くらいだったので見えない恐怖感しかありませんでした。

2.入院〜検査

8月末、聖隷浜松病院に入院し、検査と治療を同時進行していくことになりました。この病名の場合、何かをもって確定診断とすることが難しく「除外診断」という「あれでもこれでもない、これしか残らないからこの病名」という方法をとります。可能な限りの検査を受けました。血液検査、MRI、髄液検査... 血液は何本とったかわかりません(初日に9本+後日3本は覚えています)。1時間以上MRIの機械の中だったり、腰に長い針を刺されて髄液を採取するとか、だいたい普通に考えられる検査ではなかったのは記憶に鮮明です。数日後に「多発性硬化症」の診断が確定しました。

3.症状の進行〜治療(何が痛いかわからない)

検査を受けつつ、ステロイドパルス療法(これついて別に記事にします)をしていました。1日2時間のステロイド薬の点滴を3日連続ののち4日間休薬(この1週間が1クールになります)。しかしこの間も左手の違和感(というか麻痺)は悪化していて、ペットボトルのふたを開けられないどころか、もはや何かを持つこともできませんでした。背中の痛みも出てきていて、はじめは確かロキソニンのようなよくある鎮痛薬でしたが、すぐにトラムセットというもっと効果の高い薬に変わりました。

その頃リハビリを並行して行う、ということが主治医から告げられました。

4.リハビリの開始(めちゃくちゃ疲れる)

僕の場合は左肘から先の運動や感覚の機能がダメになっているのが顕著だったので、作業療法士の先生がついてくれることになりました。指示にしたがって積木のようなもので指先を使っていく訓練をするのですが、この時の僕の左手は「神経の線は繋がってるけど指示通りに動かない」状態。動かし方がわからないんです。神経回路をまた一から構築するのがこのリハビリ。1日たったの45分くらいだったけど「めちゃくちゃ疲れ」ました。ものすごい集中力を必要とするのです(そもそもMSは疲労感が出やすいらしいけど)。長ーーーいタッチペンでスマホを操作するような感じ。毎日同じような作業を繰り返します。

50kgあった僕の握力はこの時20kgくらいでした。

5.治療難航

主治医の指示でステロイドパルスを1週間ごとにやっていく。並行してリハビリ。痛みは対症療法で頓服使用。それを2週間(2クール)やって左手は効果が全く出ていなかったのです。MRIの結果ではこの時点で病気の進行は止まったようでしたが、左手がこのまんまじゃ生活に困る。食器はすでに介助食器でした(器を持てないしラップも外せない)。っていうかステロイドパルス効いてるのか?実感全くないけど??リハビリも何かができるようになった感じもしないし。医師や作業療法士の先生たちが客観的に見てもやはり思ったようによくなっていなくて頭を抱えている感じでした。作業療法士の先生が色々考えてくれていて、僕もしんどくても何とかしたいのでとにかくできる限りのことはしました。が、パルスが3クール終わる頃、改善がみられなかったので主治医より「血漿交換」という方法をやってみないか?と提案がありました。

6.血漿交換って何??

僕も知りませんでした。それ。簡単に書いても難しいですが、要は「透析」です。血液中にある「よくないもの」を透析で除去しようということです。そのよくないものが僕の場合「免疫」でしたが、機械の種類や設定でいろんなものが血液中から除去できるようです(僕は透析について詳しくなくてすみません)。
頸静脈にバスキャスカテーテルという管を接続(全身の血液を短時間できれいにするため通常の透析の「シャント」より太い血管とカテーテルが必要)させて透析の機械につなぎ、4クール目のパルス療法と並行して血漿交換をやっていきました。機械には自分の血液成分ではない血液成分の瓶が何本もつけられ(輸血みたいな感じ?確か一回に3.3Lくらい。ドイツで採取された血液らしいw)2時間ちょっとのあいだ血液を入れ替えていく作業を1週間やりました。計算上全身の血液が透析されたことになります。

左手は日によってちょっといい時があったけどあまり変化なく。

7.退院

9月24日くらい。正直全然よくなった感じなかったけど、とりあえずやれる治療は全部やったとのことでお家へ帰ることになりました。その後は内服薬(主にテクフィデラ)とリハビリ継続で経過を見ていくことに。ぶっちゃけ「全部やった割にさっぱりだぞ...」という事実が絶望につながっていきました。ただ家に帰れるというのは嬉しかったですね。まあどっちにしても絶望とセットで退院しました。

この時点でMSに関しては今後の生活を考えると上記の「絶望」しかなかったです。難病の病名がつくことは実生活での困難だけでなく社会的困難(別で記事にします。非常に大事です。今のコロナで多くの人が困っていることにもつながります)も発生するので、今後さらに絶望が深くなっていく感じでした。そこから4ヶ月くらい休んで、ひたすら病院通いと自宅でできるリハビリを続けました。

                              後編へ続きます

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