熊男と、最近のことからと
初めましての方、そしていつもご覧下さってる方、sanaのnoteに足を運んで下さり、ありがとうございます。皆さんが縁あるいつかの星に繋がる時のために、sanaの現場からの何かをころんとお届け出来たら、と思っています。
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2024年3月下旬から書き始めたお話ですが、これは続いていまして、第16話~21話を本日新たに順次アップしていく予定です。
1つ目のお話は「七色書房とサビアンシンボル占い」第1話~第8話
2つ目のお話は「岩のように重たくなる足」第9話~第15話
3つ目のお話は「熊男とお茶を」第16話~第21話 です。
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★「見えないところを泳ぐ魚」
いろいろなお話を聴かせていただくのですが、最近数件続いていたのが、思うようにならない現実、ままならない日常というお話でした。
「ああしたい、こうなりたい、なのに、そうならない、なってない」
ということです。
「可能性」という存在が自分の立ち位置からは見えていなくて「可能性が無い」ように思えているということなのですが、この「可能性」という存在は私たちの周囲を無数に泳ぐ魚みたいなものだ、としてイメージしてみましょう。
私たちが思い付くことというのが、自分にとって「見える魚(という可能性)」であって、それ以外は魚は居ないように思えてる状態が起きています。
見えていないだけで、本当はもっと多くの魚たちが泳いでいて、自分の気が付いていない「更なる可能性という見えない魚たち」が存在している。それが実際に起きていることだったなら、と仮定してみましょう、ということをお話したりします。
私たちの中に起こることのある「道が無い、もう無い」というのは「感情」であって、それは「事実」とは違っていたりします。
感情はそう言いたい、叫んでる、わけです。
事実ということになると、見えない魚たちが泳いでいるけれど見えていないという現象が私たちには起きる、起きているっていうこともあるんだよ、そうすると絶望を感じてしまうという感情体験をしている私と、魚が居ないという見えていない私と、二人の私がいるということになります。
この魚が見えると世界は違ってくるはず。まずは、どこかに必ずあるはず、居るはず、という前提を掲げてみるかどうか、それを簡単に取り下げたりしない自分であれるかどうかということが次へのステップのひとつになるでしょう。
あるのに見えていないこと、あるのに気が付いていないこと、というのが今の自分にはある、とうことを前提としておくことが日頃からあったなら、何がどう違ってくるだろうか?
ということをイメージしてみるということが、もし自分にとって新しいことであるならば、挑戦してみていただくといいことのひとつです。
魚はいますよ、いーっぱい。
魚は世界中の海の中にいっぱいいますが、私の見える範囲いるのはわずか。泳がずじっとしていればさらに出会いは減るでしょう。
感度を上げていくほどに、見える魚たちは増えていきます。自分という存在が内包するものが増えるほど、見える魚たちは増えていきます。旅をするほど出会う存在たちは増えていくでしょう。
あなただけのこの人生の物語を紐解いて歩きましょう。
昼の地球で、夜の宇宙で、丸ごと一日どうぞよい旅を。
cafe prizm sanaでした。
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