「私、シスヘテ男性なんです...。」

私は「シスヘテ男性」という属性を引き受けようとしている。「シスヘテ男性」として語るために。

私なりに「シスヘテ男性」という語りがあまりなされてこなかった属性として語ることには、それなりの意義があると思っている。「シスヘテ男性」という、一枚岩として不動だと見なされてしまいがちな属性を、自らの力で動かしていくために、あえて語る必要があると思っている。

だから、私は「シスヘテ男性」の名を拝借して語ってきた。


とはいえ、私がしてきたことなんて、0でないだけであって限りなく0に近い。「シスヘテ男性」は、パッと見大きく動いていない。

だから、私がコンフォートゾーンを一度越えて「シスヘテ男性」の看板を背負っていくことは、正直気が進まない。

特に、「ジェンダー、セクシュアリティなどについて考える」みたいなイベントに参加することに、やや抵抗がある。

「性」について考えている最近でも、「性について考えます」というZoomのイベントを見て、興味はあるのに一歩が踏み出せない気持ちが外せずにいた。

私は、まだセンシティブさを根差していない。意識して意識して、それでやっと自分の性差別的な内面を押さえつけられているか、どうか。

そんな自分が、「シスヘテ男性」の看板を背負って人前に立つことが、たまらなく怖い。もう少し模範的な「シスヘテ男性」だったら良かったのに。


ロクサーヌゲイの『バッドフェミニスト』という本がある。残念ながらまだ読めていない。

フェミニズムが目指すより良い社会を目指しつつも、フェミニストに要求されるような振る舞いを完遂できず、むしろその基準からすればバッドな振る舞いをしてしまうこともある、そんな「バッドフェミニスト」。

完璧でなくても、フェミニストであっていい。そんなメッセージは反響を呼んだ。ハイチ系アメリカ人である作者のゲイ自身の自己開示的な語りも魅力的なものだったのだろう。

ただ、私自身は「まだ」バッドフェミニストにならないことを目指していたい。

前にも使った表現だが、私は「体制派」だったわけだ。シスヘテ男性であり、バッドな価値観を根差していた私は、まだ十分にフェミニズムの思想を取り込めていない。

だから、まだバッドな状態を肯定するのには私は早いと思う。今のままで肯定しようとしたら、バックラッシュのサイドに居残ってしまうと思う。トゥーバッド。


私は、ジェンダー学やフェミニズムを本格的に学びはじめてから、まだ一年もたっていない。頭が悪い私にはそれだけの時間じゃ全く足りない。

だからもう少し、センシティブな在り方が板についてから、もっともっと他者と関わっていきたい。

シスヘテ男性という属性を勝手に自負して、良く分からない意気込みをしているけど、私のなかでシスヘテ男性という属性がもっともっと素敵なものになってほしいがゆえの決意だから、私は大事にしたい。

「私シスヘテ男性なんです」と、もっともっと胸はって言えるようになりたい。その時には、もう少しだけベターなフェミニストであってほしい。


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