フェミニズムを学ぶこと

こちらの記事は私にとって大事な記事だと思う。

前半の記事。

後半の記事。


私はおそらく、現在の日本の「フェミニズム」の状況を分析しその課題を指摘するという内容の記事を求めていた。「フェミニズム」がうまくいっていない様子を見かけることもあったし、私自身その状況に対してどうすべきかが分からなかったから。

もちろんここに書いていることが全てではないとは思うけど、書かれていることには納得できたし、一年前とか二年前とかの学問を始める前の私にも見せたい記事だなと思えた。


後半の記事には様々な「警告」が発されている。インターセクショナリティの視点を欠くことについて、ジェンダー問題が男女間の不均衡に終始すること、物事の複雑さを直視して単純さに頼らないこと、フェミニズムにおいて「偶像」となる人を作り上げないことなど。

これは本当に厳しい「警告」だと思う。最近ジェンダー学などを学び始めたのだけど、私も乗り込んだ「フェミニズムブーム」のような状況は間口の広さ、ライトさ、すなわち単純さが寄与してきたところも大いにあるのではないかと思う。

私はたまたま学生で、しかもかなりの暇人だった。そのために一応学問としてジェンダー学やフェミニズムやクィアスタディーズなどを少しは学べたけども、果たして私よりも遥かに忙しい皆さんがどれほど学べているのかは想像もつかない。まあ私よりも頭が良い人や考える事が上手な人がいっぱいいるとは思うんだけども。

「フェミニズムなめんなよ」ってこともあると思う。フェミニズムを学んでいると思うのは、本当に「命に関わる学問」なんだなということ。「シスヘテ男性」であり「マジョリティ」であり実家ぐらしでぬくぬくしている私は実にノンビリしたもので、しかしこの学問が進展しなければ救われない人がめちゃくちゃいる。本来なら「マジョリティ」たる私こそが真剣に学ばねばならないのだろう。「マジョリティ」とは透明であれることと、見ずにすむこと。

フェミニズムを、ジェンダー学を学ぶとはどういうことなのか。

「しばらくは」いつでもこの記事に帰ってこれるようにしたい。

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