「理論」と「実践」
ジェンダー学やフェミニズムなどを学んでいる私にとって今の一つの課題は「バランス」とか「複雑さ」に慣れることだと思う。
私は白黒な思考をしがちでシンプルなものを好む傾向があることが分かっている。それでも現実に根差した学問であるのだから、それを細やかに捉え続けねばならない。
思想、思考と、現実、実践。慣れないことをやり続ける必要があるのだろう。
私がジェンダー学に興味を持つ入口となったのは「男性学」だった。自分の感じる閉塞感のような何かを打破するきっかけになるのではないかと思ったから。
用いるための、「実践」のための学問のつもりだった。
それから今に至るわけだけど、その過程で今度は「理論」に寄ろうとして、それはそれでうまくいかなくて、落ち着くところがなくて混乱しているのが現状。
もっともらしく、しかし絶対の真理とは限らない「理論」と、私が生きる些末な「実践」がうまく擦り合わないことがある。
そのときに私はどうしたらいいのか分からなくなる。「理論」によって私が肯定されるように感じることも否定されるように感じることもある。自分の「実践」がどうしてもうまく説明できないこともある。
「実践」を優先しようと思うとき、そう思いたいから「理論」を無視しているのではないかと疑う。「理論」を優先しようとと思うとき、「実践」がその通りに従ってくれないときがある。
賢くはない私が、その間をどう生きようか。
今度、とあるオンラインでの集まりに参加しようと思う。前々から「いつか参加せねば」と考えていたメンズリブ系の集まりだ。
どういう会になるのかは邂逅するまで分からないけども、他の参加者の方の話を色々と聞きたいと思う。まだ中人数での会話に慣れないというか、自らのことを開示するのはどちらかといえば1対1のほうがしやすい気もするから、聞く中で慣れていければいいだろう。
もし話せるなら「加害」とか「マジョリティ性」みたいな、そういう話ができたらいいとも思うのだけど、「話して満足」とか「慰めあって終わり」みたいになることも望まないので、なかなか難しいところ。
「加害性」。「加害」を「実践」することは許されないけど、「理論」として「加害」について語ることと「実践」の「加害」を語ることは違うはずで、でもそれは不可分な性質も持っているはず。
私は何を語ろうとしているのか。ある程度はそこまで先回りして臨みたい気持ちがある。
明日はそのイベントとは別に人と話す機会があるし、そこでちょっと相談しようかな。
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