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実験続き 毒されて

またしても、シスヘテ男性の性に関する記事です。苦手だな、嫌だなと思われたらブラウザバックをおすすめします。








いやー、ね。

これの続き、というか5日経っての「けえかほおこく」です。

まず、シスヘテ男性向けなポルノ表象を極力見ないようにする、っていうのは普通にしてるんですが、まあまだ5日ですからね。正直何かが変化したとは思いません。

ただね、ちょっと気づいたことがありましてね。

やってみてるんですよ。自慰。

何もポルノグラフィなどを見ることなく自慰するのは、正直しんどいです。自分のことを見てしまうから。

で、無になろうとしても、そう簡単には無にはなれない。他のことを考えると、自慰にならない。

そして、何かしら性的興奮を得るための想像ができないかと考えると、結局のところポルノ的な表象を脳内で再生することになってしまう。これでは意味がないんじゃないか。

視覚的な興奮しか得てこなかったということでしょうね。実際の経験が全くないですから。とはいえ、視覚情報を用いない妄想というのも難しいんですが。

視覚情報を用いるときには、誰かのことを性的に見ることになる。でも、性的に見ることに関して何一つ気にしなくていい対象なんていないし、まだ自分の中で誰かを性的に見ることに関して考えるところが多いし、そもそもその性的に見ることに対する疑問からこういう実験をしているんだし、ううん。


やっぱりね。私はポルノに毒されているんだと思うんですよ。

何もアダルトビデオに限らない。この社会には性的に見ることを促す表象が大量にある。そういう表象を私はポルノと言っているんですが、私はそういう表象に対して考えることなくこれを受け入れてしまった。

ポルノに毒されていると思うのです。

だから、ポルノ無く自慰することができない。仮に実際には見てなくても、私はポルノに頼るしかない。つまり、何か女性的なものを思い浮かべて、それを性的に見て、興奮するしかない。


多分、自分が性的指向とする対象を、性的に見ることそのものはある程度の自由があると思うんですけど、でもシスヘテ男性が現在の社会構造の中で、女性を性的に眼差すということに関しては、やっぱり考えていくべきことが多々あると思うのです。

おそらく自分だけじゃない、多くのシスヘテ男性が、そういう溢れるポルノ的表象を普通のものとしてインストールしてしまっていると思うんですけど、でもジェンダーの観点から見ると、シスヘテ男性の自慰はこれでいいのかなーって。

例えば小学生や中学生なんかは、もう自慰をすることができますし、今ならポルノグラフィを見る手段なんていくらでもあります。その中のシスヘテの男の子は、実際に性的行為にアクセスすることは難しい。いや、既にしている人もいるかもしれないけど、少なくとも「そんなポルノなんか見ないで経験しろ」とは言えないじゃない。

じゃあ、何がなされるべきなのか。

これはゆっくり考えていきたいかな。

とにかく今は、「私自身がポルノに毒されているな~と思いました。」な「けえかほおこく」でした。

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