ポルノグラフィについてお勉強① 荒木菜穂「フェミニズム諸文脈からの「女性によるポルノグラフィ消費」観」
最近はポルノグラフィについての電子論文をいくらか読んでいます。そこで、今回からはその感想を少し書く記事を連載?していこうと思います。(感想といっても、学術的なそれではなくて、素朴な素朴な感想です)。一応「性」についてのお話ですので、苦手な方はブラウザバックを推奨します。
今回読んだのは、2003年の荒木菜穂さんの論文『フェミニズム的諸文脈からの「女性によるポルノグラフィ消費」観』です。同志社大学図書館の学術リポジトリ「DOORS」にデータがありますので、気になる方はそちらでご確認ください。
この論文は「大衆雑誌記事におけるトレンドの変遷」という副題がついており、女性がポルノグラフィの消費者となっている状態に関して、大衆雑誌がどのように取り上げていたのかをまとめています。
それらの取り上げ方は、ラディカルフェミニズム的反応、リベラルフェミニズム的反応、エロティカ(女性の手による良いポルノグラフィと端的に説明される)的反応に分けられています。
ラディカルフェミニズムは、家父長制がもたらす抑圧の一表れとして私的領域であるポルノを分析します。ポルノは男女間における女性の抑圧、モノ化を描く性差別的表現として扱われます。その中で女性がポルノグラフィの消費者となることは、そうした構造に取り込まれることを意味することとなり、反フェミニズム的であるため批判の対象となります。
リベラルフェミニズムは、私的領域における権力関係は重視せず、むしろ家父長制的性規範からの解放という側面からポルノを見ます。女性が男性同様の権利を得たという点も重視します。また、ラディカルフェミニズムが女性を性的に弱者であると規定することを批判します。
エロティカ派は、性表現が女性の楽しみとして機能する側面を重視し、既存のポルノグラフィと異なる、性差別的でない性表現(良いポルノグラフィ)を女性自身で創造することを目指します。ここでは女性自身がセクシュアリティを手にし、男女の関係を変えること、既存のポルノグラフィを駆逐することが目標となります。
さて、筆者は1990年代頃を対象に、大衆雑誌が「女性がポルノ(レディースコミックやアダルトビデオ)を消費する」という現象をどのように捉えていたのかを分析します。
その細かい分析は実際の論文を確認していただきたいと思いますが、ラディカルフェミニズムやエロティカ派よりもリベラルフェミニズムの視点からの、男女の差異をあまり強調しない記事がこの時期には多かったようです。
また、「第三波フェミニズム」のような文脈として読み取れるものも登場し始めています。第三波フェミニズムは個人の経験と実践が重視されますが、そういった潮流によって実際の女性の立場の強調と、新しいセクシュアリティの在り方への変容が見られることを、筆者は肯定的に捉えているようです。
と、ここまでがひとまずの論文の概要で、ようやっとここから私の感想です。ここまでが大変だった...。間違えているところがあったらごめんなさい。
まず、この論文自体が2003年に書かれたものですから、その後フェミニズム自体もポルノグラフィを巡る展開も様々に変わっていると思います。ですが、ひとまず様々なフェミニズムの立場から(女性向け)ポルノグラフィをどう捉えているのか、ということは十分知ることができました。
現在でもポルノグラフィを始めとする性的表現を巡る論争は盛んに行われていますが、私はそれに対する見方を持っていなかったので、これからは多少分析しながら考察することができるようになるのではないかと思います。
もちろん、現在のフェミニズムがポルノグラフィをどう捉えているのか、という点に関しては、現在のフェミニズムの潮流と合わせて理解する必要はあると思います。
あとは、シスヘテ男性である私がどういった立場を取っていて、これから取っていくのかということにも意識を向ける必要があると感じました。これは、シスヘテ男性以外に向けて作られたポルノグラフィに関しても、シスヘテ男性向けに作られたポルノグラフィに関してもです。
最近はシスヘテ男性として自身がポルノグラフィにどう向き合うかを考え続けていますし、(シスヘテ)女性向けのポルノグラフィや、ゲイ男性向けのポルノグラフィなどについても興味関心を持っています。ゲイ男性向けのポルノグラフィに関する研究があまり見つからなくて苦闘していますが...。
ということで、根本的には自らのセクシュアリティを考察することが目的だった論文漁りを、これからは記事にしてみようと思います。皆様の学習などに役立ちましたら幸いです。
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