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【プリズンライターズ】 ジェンダー

お元気ですか。窓外の山々は冬モードから若干抜けたかのようにはなってはいますが、まだ寒々しい雰囲気充分です。
(この投稿は2月中旬から下書きをしています。)
僕の個室は北側に面してあるので、冬期になるととても寒くて油断すると手足の指先がすぐ霜焼けとなり辛い冬を過ごすことになります。
だから、なるべくペンを握らないで仮横臥(※布団をひいて横になること)、仮就寝となれば速攻で布団の中にもぐり込んで丸くなり、しのいでいます。
仮横臥等の許可が出るまではヒザ掛け毛布でプル²しているのですが、手を出して本を読んだり、字を書いたりすると手がかじかみ、毛布の中で暖めても3分ほどで、すぐ自分の手じゃない感覚になります。
それを繰り返したりすると霜焼け地獄が待っています。
又、受刑者用の上衣・ズボン(この生地がこれまたホント薄いんです)だけで、メリヤス等は一切着ておらず、官物支給品のシャツ、パンツだけのスタイルを意志的に通して来ました。
さぶぅ。そのスタンスは僕の罪過に対する拘りと、自分のつまらん見栄に対する拘り等から生じたことですが、そのつまらない見栄から来る“恥”という感情は、人がどうのこうのではなく、自分が“恥しい事”と認めてはじめて“恥”という感情になることに気付かせてくれました。
だから、30代の頃までは、他の人は私物品を使っているのに自分は支給品を使用していることを恥しく思っていました。
(ホント、情けないです)

 ところで受刑生活ある²の1つですが、過去の工場で生活していた頃のことです。
官物支給品を使用する、イコールお金が無い、イコールつまらん低次陰口の材料となる。
そのような低次思考の輩は必ず存在していて、それは受刑者だけとは限りませんが、皆さんもこの手の事は身近に感じた体験があるものと思います。

 それら輩らに自分の感情が左右され負けてしまい、私物品を買っていましたが、その情けなさに気付いてからは官物支給品を使って陰口を言われたり、笑われようが、一切構わず支給品を有難く使用させて頂いています。
過去の生活で、自分の勘ちがいした見栄で多大なご迷惑をお掛けしている以上、つまらん見栄は直すべき1つと考え、今は、完全に改めることができました。
それは、社会復帰後の生活で必ず役立つ感情の1つと確信しています。
今は、私物を買うお金(作業報奨金とか)領置金があっても官物支給品を使用することで、気がとても楽になっています。
それらを買うお金があれば、雑誌や小説から新しい情報を仕入れる為に使っています。
何にしましても、どのような環境においても“なんでも屋”的な輩や、よごれらは必ず存在していて、その者らと接する状況になればそれはもう“自分との戦い”であり、僕の中でのその者らの存在意義など無に等しく、その様なことで悩むことがバカ²しくなっています。
そんなことより自分を観つめて残りの人生における自分のパーパスを探し続けたいと思えるようになっています。

 おっといかん、また調子に乗っちゃって前フリがながくなってしまいました。
なぜ、この様なことを先に書いたのかと言いますと、今回の投稿で6度目になりますが、1~5回までは自分の罪過・反省・償い・謝罪等、そして、立ち直りなどの考え方、決意を文章表現させて頂き、そして、社会復帰後の生き方に対するスタンスを素直に書かせて頂きました。その為、6回目からもそのスタンス的な事だけではなく、受刑生活上のことや社会で生活している方々と共通項となる話題、情報等を観つめ、自分なりの答なども投稿させて頂けたらとも考えています。

 20数年前から新聞、ニュースなどでの様々なテーマを観つめて自分なりの答を見つけ、正しい知識力・認識力・判断力等を養いそれらをノートにメモするように努めて来ました。
ですが、それらは社会から隔離され、情報に乏しいある意味ひとりぽっち的な生活上においての自分だけの答が果して、正しく社会で通ずるレベルなのか?わかりませんので、“プリズンライターズ”を通じて皆さんとそのキャッチボールをさせて頂けましたらと思っています。
その流れから、まずは、“受刑生活ある²”をちょっとおもしろおかしく表現しようと、昨年11月頃からアレコレ準備をしていましたが、名古屋刑務所の刑務官による暴行事件発覚で、そのタイミング的に杞憂が生じて、急遽テーマを変更しました。

 
 受刑者としてらしくないテーマのように思えて、どうかなぁと戸惑いもありましたが、“受刑者らしい”とはなんだ?となり、深く観つめつつも拙文を投稿させて頂きます。

 
 “ジェンダー”、その単語と出会ったのが、国際的に人道支援活動をなされておられる様々なジャンルでの日本女性たちを紹介する本の中です。
アフリカで活動していた女性の文章表現で“ジェンダー”と書いていましたが、当初、その意味がわからず戸惑ったことを想い出します。
あれから“ジェンダーレス” “ジェンダーフリー”と様々に進化?させられているようですが、現代社会において、“男らしさ” “女性らしさ”とはどのように認識される様になっているのでしょう?
確かに、人としての事、生理的な事、体の有り方、考え事等々の相違はあり、人間存在原理においても生まれてくる子供の出自には、男である父親と女性である母親の存在は絶対であり、人間存在証明の基本です。
ですが、それらは、あくまでも生命維持本能の“男らしさ” “女性らしさ”の1つでしかなく、“生命(・)”ではなく“生活(・)”においてならどうでしょう?
(実は、このテーマを投稿しようと思ったのは、“かえるのうた”26号の9ページ、「TとSの手紙」を読ませて頂き、以前、観つめた事を想い出したからです)

 都合上、簡単に“生活”と書きましたが、人が生きて生活してゆく上で、様々な常識があり、“男としての常識” “女性としての常識”が必ず存在させられています。
“生命”ならとてもシンプルでわかり易いけど、“生活”となれば複雑で面倒臭いことが多くあります。
だとすれば、その“常識”は誰が決めたことなのでしょう?日常生活の様々な事柄を観つめると、その“らしさ”には、善し悪しが存在していて、ほとんどの場合、対人が決めているように思え、極端だけど、それにより、パワハラ的な要素も絡むようになり、その常識がまかり通る日常になる事もあるように思えてなりません。

 わかり易いのが、子供に対する“子供らしさ”というほとんど強制的と言っても過言ではないことからスタートして、いずれ虐待に至ってしまうパターンです。
それらコミ²で“人間らしさ”となればどうでしょう?“人間味”でもいいように思うけど、その次元での“男らしさ” “女性らしさ”がどのように絡んでくるのであろう?おっといかん、面倒臭い横道へ逸れそうになって来ました。
僕の悪いクセです。話を戻して、“生活”における“男らしさ” “女性らしさ”なんてものは、それはもう単純に言って人それぞれで、その人の生き方なのでは?と思えます。

 これまた極端(極端が好きだなぁ)で乱文になってしまいますが。
もし、自分のパートナーが座りながら片ヒザを立て1升ビンをグワシッと握り、お股おっぴろげでグイッと一杯呷りつつ「なんぼのもんじゃい、くるならこんかいッ」とか、ところかまわずプゥプゥ⤴ゲップの連発とかだと、さすがに本人の為、パートナーとして「君ィもぉう少しらしさを…」と求め願うと思います。だからと言って決して否定はしません。
僕は、パートナーに対して好きになれたところが、1つあればそれで充分(キレイごとではなく)でアレコレ求められる自分でもないし、求めても面倒臭いだけだと思っています。

 “男らしさ”の1つに、男が女性を養うものと“俺についてこい!”的な事がありますが、別に女性が男が養う“あたいについて来なッ!”でもいいんじゃないかなぁと思う。
社会復帰後、好きになれる女性と必ず出会うと思いますが、そのパートナーが、キャリアとスキル等を持ち、バリ²に生活力を構築していたら僕は、“男”がどうのこうのと、ちんけな拘りなど一切持たず、パートナーのキャリアとスキルを充分に発揮できる環境のサポートを喜んでさせて頂くことを躊躇する事なく選択すると思います。
家事全般及び、多分マッサージのスキルも学ぶと思う。
長期の受刑生活を終了して社会復帰し、安定した正業に就ける職種は限られているでしょうし、それなら、パートナーが働き易いメンタル、物質的な事でサポートしつつ生活リズムをつくり、時間をやりくりして何かしらの副業をと、自然の流れで考えると思います。
人として生きて生活してゆく以上は、五体満足なら働く事は当然です。
何にしましても世の中は、カカぁ天下が望ましいと思っているし、生活上において、かぁちゃんの言う事に間違いないと思っている。

 と、ここから話が飛躍し大きくなりますが、この国の欠点の1つと思う僕なりの能書きです。
日本の歴史において国を左右してきた政治意志決定であまりにも男社会になり過ぎてしまい、そこだけに頼り過ぎていた欠点があります。「雌鳥が歌えば家滅ぶ」的な諺(ことわざ)もありますが、それはあくまでも時代背景というか、戦国の世のそれも他国の時代情勢から生じさせられたものであり、その観点から生まれた“男らしさ”だけを深く観つめますと、その定義は過去に遡るほど低次思考になり、更に観つめますと、そこにはもう、本能的でしかない原人時代の“はじめ人間ギャートルズ”に至ってしまいました。

 
 狩猟時代や戦国時代等における“力”が必須であった時代背景もあったのでしょうが、現代生活上に至ってはどうなのでしょう?
家族が生活してゆく上で必ずしも「俺についてこい!」的な男らしさが必要不可欠であろうか?
それだけが一般常識でしょうか?人も動物である以上、子孫を残さなくてはいけないと思いますが、その辺の生命的なことで必要ではあっても現代社会生活上においては必要としない場合の生き方も多くなっているように思えます。
むしろ、世界各地の紛争のすべてにおいて“男らしさ”という男社会に拘る一部の者らのつまらん自らの立場を正当化する為、国家という口実で多数の自国民に多大な損害を被らされている事実が存在しています。

 リアルタイムでならプーチンによるウクライナ侵攻ですが、両国の現実を直視可能な女性目線なら、話し合いで決して戦争に至ることもなかったと思えます。
TV報道で、ウクライナに侵攻し路上の戦車や軍用トラックの上で武装している多数の若いロシア兵に対して、ウクライナの杖をついた年配のご婦人が、「ここで何をしているの?早く自分の家に帰りなさい、招いてもいないのに・・・・・・・・・」とひとりで叫んでいた映像が印象深く記憶に残っています。
その言葉こそ、民族、または、国対国の互いを尊重し合うとてもわかり易い政治外交の1つのスタンスだと単純に思えました。
現代社会の政・産・官をグローバル的に観つめても、もう大分前からダイバーシティへと移行し、あたり前になりつつある事を国連や各国の政治の場で女性が活躍しているニュース報道等を視て、情報に乏しい僕でさえ実感しています。
決して男社会を否定する訳ではないのですが、この国における勘ちがいされた“男らしさ”等がもっともらしく生じさせられ様々なジャンルで、格差、隔差、差別などが網目の様に存在しています。
そこに現実を直視する女性目線はやはり無視できない時代になっているように思えてなりません。
たとえ国を左右する会合、会議の場であってもです。
この国の1つの“恥”と“欠点”に、ニュース報道でなんたりかんたり対策会合等の映像で映っている面々はほとんど男だけだったりしています。
それは、政治・企業・官僚レベルでの意志決定等に女性が参加させられず、女性軽視を確実に視て取れていると思えます。
ある意味とんでもなく情けない“男らしさ”の1つなのかも知れないと考えさせられます。

 
 男社会だぁ、何だぁかんだぁと言っても、威張りくさった男にプッツンした女性から「私たちの股からコロげ出て来たくせに何威張ってんの?」と言われこの事実に反論できる野郎っ子は果して、いるのであろうか?
ちなみに、女性の出産に際しての心身的な負担は3ヶ月の重症程度と新聞で知りました。
更に女性の消費活性によるお金の循環は男の比ではないでしょう。
また、風俗店で働く女性を差別する発言をしたバカなタレントもいましたが(この辺の事は紙上限りがあるので端折って書いています)一流大学を出て、一流企業に勤めている女性が、どのぐらい給料を頂いているのか知りませんが、風俗店で働く女性たちはその2~3倍以上は稼いでいるものと思います。
そして、消費もしています。女性が風俗店で働く理由も人それぞれで、その方々の人生の一時的な期間であり、自分の身を張った事実があり、僕は決して差別、軽視できないし、むしろメンタル強さとその生き方は立派だとも思います。

 
 沖縄の方言で「ゆいま~る」という助け合いの言葉があります。
仲間や地域間だと“助け合い(・)”、夫婦やパートナーだと“助け合う(・)”。
「い」と「う」の相違があると個人的に思っていて、夫婦やパートナー間は単純に“助け合う”日常だと確信しています。
無条件の担保無し!などと能書きをタレてまいりましたが、僕の拙文を思っていた以上に多くの方々が読んで頂き、心から嬉しく思います。

 更に、そのコメントも頂き単純に嬉しい気持ちが込み上げています。ありがとうございます。
森洋文さん、リスキリングに励んでおられるでしょうか?森さんからのコメントは素直な気持ちになれるほど嬉しかったです。
社会復帰後の励み、勇気も頂き、今を生きる目標再確認を新たにしています。
森さん、社会復帰後、ぜひお酒を飲みつつ、楽しいひと時を過ごしたいです。
やぜかさん、説教コメントありがとうございます!只、やぜかさんのコメントを拝読して、僕の文章表現力の拙さを改めて知らされていますが、とても参考になります。
ヒヨコさん、コメントありがとうございます。ヒヨコさんのやさしさが充分伝わって励みを頂いています。
ハルカさん、コメントありがとうございます。紙上、限りがありまして端折って書いていますが、ハルカさんのコメントを拝読して、僕の様な者でも社会復帰後、社会人として生活してゆく生き方を心から願う気持ちを強くしました。
皆さん、心から感謝²しています。

                      R5.3.21(火)曇天



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