DIOと呼ばれた女(3)
「最上(もがみ)ちゃん、今月も契約件数1位じゃん。これで4か月連続だっけ?」
「ええ、まあ…」
「さっすが、俺が見込んだだけのことはあるよな!ははは!」
がしっと肩を掴んでくるこの上機嫌な上司—藤原シン―の扱いに、リサは手を焼いていた。リサに好意があって女として見ているのは明らかなのに、彼はそんな気などないふりをずっと続けていて、どっちつかずな態度を続けている。面倒だ…。いっそのこと迫られたほうが対処のしようもあるのに。
リサの仕事ぶりは同期のなかでぐんを抜いていた。会社相手の営業がリサの部署の主な仕事だが、入社以来この仕事を難しいと感じたことはない。最近では、つまらないとさえ感じていた。
「いずれ独立するための人脈づくり」と思って働いているが、こうも毎日面倒な人間に絡まれると今すぐ辞めてやりたい衝動にかられる。
「むこうの会社さんと、たまたま相性がよかっただけですよ」
「いやいや、そこはやっぱ最上ちゃんの実力よ。俺たしかに女の子には甘いけど、仕事に関しては辛口だから。ほんとにいいと思ってるよ、リサ。」
真剣な目をしてシンがリサの目を見つめた。シンの瞳に映る自分の顔と見つめあう。微塵も興味なさそうな表情をしている自分に、なんだか笑いがこみあげてきそうだった。
シンは30代半ばで、いかにも仕事ができそうな雰囲気を漂わせている。色黒でほどよく筋肉質な体は、スーツに包まれて色気が増しているように見えた。長身で少し強面ながらも、たれ目でかわいらしい笑顔がいいギャップを生んでいる。かなりモテるというのは社内でも有名で、狙っている女子社員も多いと聞く。モテるという自信が、体の隅々からあふれ出ているような男だ。
そんな男から好意をちらつかされたら、喜ぶ女が大半だろう。彼に言い寄る女子の多さが、それを事実たらしめている。だが、リサの心が動かされることは1ミリもなかった。
「…なーんてな!まあ、今日はお祝いに何でも奢るし、食べたいもの考えとけよ。」
ちょっとはにかんだように笑って、シンはリサの頭をぽんぽんと撫でた。大きなごつごつした手が、否応なく男を感じさせる。
「ありがとうございます。楽しみにしときますね。」
シンはそのまま後ろ手を振りつつデスクに戻っていく。その後ろ姿を見送る間もなく、リサのもとに数人の女子社員が興奮気味に走り寄ってきた。
「ねえねえ最上さん!最上さんって、藤原さんと付き合ってるの?」
「え、違うけど…」
「じゃあじゃあ、藤原さんと今付き合ってるひと知ってる?」
「いや、知らないし聞いたことないな。」
「まじー?!じゃあチャンスじゃん!最上さんいけるんじゃないの?」
「いや、私は別に…。藤原さんただの上司だし。」
「うっそー!もったいなー。最上さんなら絶対いけそうなのにー。」
「ねー!それなら私、藤原さんねらっちゃおっかな!」
「あんた藤原さんと話したもことないじゃない。無理無理」
「話したことくらいあるわよ!1回だけだけど…」
「はあ、どうやったらあんなハイスペック男落とせるのよー」
「ほんと優しいし気が利くし、お姫様扱いしてくれるし、女子の理想だよねー!デートも楽しいだろうなあ」
「ちょっと、まだ付き合ってないのに気が早いわよー。」
きゃいきゃいと盛り上がる女子たちからさりげなく逃れ、リサはカフェスペースでカフェオレを入れてゆっくりとため息をついた。どうも女子のああいったノリは苦手だ。本当に自分と同じ性別の生き物かと疑いたくなる。
どうしてみんな、あんな男がいいのだろう。あの優しさに見えるものも、気が利くように見えるのも、しょせん外付けに過ぎない。
シンの女の扱いは、言わば『教科書通り』だった。女性雑誌に書かれていることをそのまま実践しているだけ。彼自身の心から出てきてる行動じゃあない。そんな行動に、どれほどの価値があるというのだろう。
なりたい姿を演じていれば、いつかそれが本当の自分になる、という話もある。「今のシンがそれだ」と言われればそうだが、どうもリサにはそんなふうには見えなかった。モテている今の状況を楽しんでいるだけで、人間的に成長しようなどという意志がシンにあるとは思えない。
(…同族嫌悪、なのかな)
リサはぼんやりと窓の外を眺めながら思う。「ひとの心に付け込んでダメにしてしまう」という自分の影がシンに見えるから、こんなにも苛立つのかもしれない。
(小手先のテクニックがこの私に通じると思ってるところも腹立つ)
「ひとの心に付け込む」自分なんて嫌いなのに、その技に関して変に負けたくない、なんておかしな話だ。でも、物心ついたときから苦も無くひとを操ってきたリサにとって、シンのそれはままごと程度にしか感じられなかった。あの程度で堕ちると思われているなんて、心底腹立たしい。
「おまえはこのディオにとってのモンキーなんだよ…」
そう独り言ちて、リサはカフェオレをぐっと飲み干す。甘さのあとに滑り落ちてくる苦みが、幾分かリサを冷静にする気がした。
ふう、と息を吐いたリサの後ろから男が声をかける。
「ジョジョ、お好きなんですか?」
「え、ごほっ、うぐ、ごほっごほっ!」
「ああ、いきなりすみません!大丈夫ですか?」
男は慌ててハンカチをこちらに差し出す。慌てて思わずそのハンカチを受け取って、口を覆いながらリサは男のほうを見た。
おろおろとリサと同じくらい慌てているものの、全体の雰囲気が紳士然としている。どことなく高貴な気配さえ感じる。ネイビーのスーツは、彼のために仕立てられたかのようにぴったりで、よく似合っている。力強い目元が涼し気で印象的だ。
「す、すみません、取り乱してしまって…お恥ずかしいです…。」
「い、いえ!こちらこそ、いきなり話しかけて驚かせてしまいました…すみません…。私は星遼太(ホシリョウタ)、グランドスターから来ました。」
「グランドスターって…あんな大企業からウチに…?」
「御社の開発部と提携することになったので、今日はそのご挨拶に伺いまして…今帰るところだったんですよ。」
リョータは柔らかく微笑んだ。その微笑みは、何もかもを許して包んでくれるような、そんなあたたかい何かを感じさせた。リョータの器の大きさを感じて、がらにもなく緊張する。リサはなんとか平静を装って会話を続けた。
「そうだったんですね。いや、本当に、あの…お見苦しいところをお見せしてしまって…恐縮です。」
「いえ、私が悪いんですよ。本当に申し訳ありませんでした。『ディオ』と聞こえて、つい…。私、ジョジョが好きなもので」
「え、あ、聞かれてたんですね…恥ずかしい…。私もジョジョ好きなんです。ついつい嫌なことがあると、ジョジョを思い返してるものですから…」
「そうなんですね!こんな偶然にもジョジョ好きと出会えるとは、ラッキーです!」
嬉しそうなリョータの笑顔があまりにも無邪気で、リサは眩暈がしそうだった。
スマートなのにこどもみたいなところもあって、その言葉も表情も所作のひとつに至るまで、全てが彼の心から現れている。計算など欠片もない。純真そのもので、まるで内側からきらきら光を放っているかのよう…。
(私とは、真逆の…)
とてもリョータを直視できず、リサは手元に視線を落とした。受け取ってしまったハンカチも品が良く、手触りもやわらかい。値段を想像するなどという俗なことさえ許さない気配を漂わせている。
「あ、あの、これ…すみません、汚してしまって…。洗ってお返しします。」
「え?ああ、そんな」
言葉が途切れたことを不思議に思って顔を上げると、リョータと目が合った。
「…………じゃあ、お言葉に、甘えても?」
さきほどまでの紳士と同じ人物とは思えない瞳がそこにあった。
底から光を放ち、射抜かんばかりにこちらを見るリョータの瞳に、リサは全身が粟立つのを感じた。
なんでそんな、獲物を狩るような眼を…—。
「え?え、ええ…必ず。」
「ありがとうございます。あ、これ、私の連絡先です。」
その雰囲気は、嘘だったかのように一瞬で消え、リョータはまたやわらかく穏やかな紳士に戻っていた。流されるまま名刺を受け取りあっけにとられるリサを残して、リョータはカフェスペースから出ていく。
ちら、とこちらを振り返ってリョータはいたずらっぽく笑った。
「できたら、早めにご連絡ください。…また、あなたに逢いたい」
「それじゃ!」と、リサの返事も待たずにリョータは小走りにその場をあとにしてしまった。
とんでもないひとに出逢ってしまったかもしれない……。
リサはリョータのハンカチをぎゅっと握ってみたが、鼓動はいつまでもうるさいほどに鳴り続けていた。
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