DIOと呼ばれた女(1)

「お前がいないと…ッ、もう生きていけないんだよ…!」

(またこのセリフか……)

駅前の往来ではばかりもなく泣いてすがりつく男を前に、リサはもう何度目かの既視感を覚えていた。恋の終わりは、いつもこうなる。

俗な好奇心でいっぱいの視線が、ちらちらと遠巻きにふたりを盗み見ていく。いつからだろう。この男のことを愛せなくなっていたのは。強がってるくせに本当は弱くて甘えんぼなところがかわいい、と思っていたのに。

この男は私を愛してるんじゃあない。こうやって泣いてすがって、私の同情を引き出して、周りの目をつかって私が拒めないように退路をふさいでるんだわ…。そんなことをしておいて、なにが愛よ。

そう思い始めると、先ほどまでかすかに残っていた男への情が、引き潮のようにさあっ…と引いていくのを感じた。

「いい加減にして」

「え?」

「そうやって泣いてすがれば私を取り戻せるとでも思ってるの?だとしたら、とんでもない愚策ね。あなたがすがりつくほど、私の心は離れていくのよ。」

リサは冷えた目で、ぼんやりと男の向こうに見える改札を眺めた。

次の電車は何分後だっけ…。走って行って、ちょうど電車にすべりこめるといいんだけれど…。

もうリサが自分に対して興味をなくしているのを察して、男はリサの肩をより一層強くつかんで、ほとんど叫ぶように言った。

「ご、ごめん!許してくれよ、な?リサは俺のこといっつも許してくれたもんな?俺のこと甘やかしたいって言ってくれたもんな?で、でも、甘えすぎたんだよな。ごめんな?なんでもするから、だから…ッ」

「…なんでもするの?」

「え?あ、ああ。リサと一緒にいるためならなんでもする!」

チャンスがめぐってきた、と言わんばかりの男の必死な目を、リサはゆっくりと見据えた。頭の奥で「もうやめてあげて…」と、か細い声が聞こえる。けれど、いつもほの暗いどろどろしたものがその声を押し流してしまう。

自分でも恐ろしくなるほど自然に、リサは男の頬に手を添えて妖しく微笑んだ。

「でも私、もうあなたのこと好きじゃあないの。」

「…ッ、じゃ、じゃあ彼氏じゃなくてもいい!セフレでも、二番目でも…何番目だっていい!だから、だから…俺のこと…捨てないでくれよ…」

「じゃあ、下僕にでもなる?彼氏にはなれないけど、それなら一緒にいられるわよ」

「え……」

男の瞳が、ぐらぐらと揺れている。プライドを保ってリサを失うか、プライドを失ってリサとのつながりを保つか…。男が何を考えているかが、リサには手に取るようにわかった。そして、どちらを選ぶのかも。

「私はね、あなたのこと嫌いになったわけじゃあないのよ?友達に戻りたいだけなの。でも、あなたが今みたいに私を困らせるなら、友達でいることも難しいわ…」

「そ、それは…!」

「…あなたは強がってるだけで、本当は甘えたいのよね。でも、だれもあなたを甘やかしてあげられない。…私に甘やかされるのが、大好きでしょう?」

男が、ごくりと生唾を飲み込む。堕ちたな…。リサは確信した。最後の一押しに、リサは両手を広げて男を見上げる。

「ほら…おいで?」

「…~ッ、リサ!リサぁ…ッ!!」

母を見つけた迷子のように、男は覆いかぶさる勢いでリサに抱き着いた。男の背をなでながら、リサは優しい声音でささやく。

「彼氏にはできないけど、ごめんね?」

「うん…、うん、それでもいい。それでも俺、リサに甘えたい…。俺、ほんとにリサがいなきゃダメだから…」

「いいこにできる?」

「うん、いいこにする。」

ここまでくると、男は完全に従順な子どもそのものだった。これも、いつもの恋と同じ。抱き着く男をあやしながら、リサは夜空を見上げた。恋って最初はキラキラしてるのに、どうして最後はこんなふうになってしまうんだろう。いつもどこで間違えているんだろう。

…次の次の電車で帰ろう。

恋愛感情のかけらも感じない男に抱きしめられながら、リサはぼんやりと遠くに冷やかしの声を聞いていた。

* * * * *

「『お前がいなきゃ生きていけない』ね…。リサ被害者の会でも組まれて、みんなに連絡いってんじゃあねえの?」

「被害者の会って…。はあ、揃いもそろって同じこと言ってくるのほんとなんなの。」

がやがやと賑やかな居酒屋のカウンター席で、忌々しそうに焼き鳥をほおばるリサを、イツキがからかうようにニヤニヤとのぞき込む。それを手で押し返して、リサはグラスの中身を一気に飲み干した。オレンジの甘酸っぱさの下から、アルコールがせりあがってくる。

顔をしかめたリサの前に、イツキは苦笑気味に水を差し出した。

イツキはリサの幼馴染だ。ふたりの母親が同じ病室だったことから仲良くなったために、付き合いは生まれる前からということになる。兄弟同然に育ってきたふたりは、高校以降別の進路をたどった。お互いざっくりとした居所しか話していなかったが、蓋を開けてみれば会社こそ違うものの同じ市で働いていたのには、シンクロ率が異常だと笑ったものだ。

これほど気を許せるのはお互い以外なく、こうしてよくふたりで飲みに出ている。今日のような週末だと特に。

喉を鳴らして水を飲むリサを眺めながら、イツキはまだニヤニヤした笑みを浮かべている。

「ほんとリサってちっさい頃からDIOみたいだよなー」

「いや人間やめてないから!せめて人間にしてよ!っていうか、イツキだって人のこと言えないでしょうが、この人タラシめ…」

ことあるごとに、イツキはリサのことをDIOのようだと言った。

たしかにリサは男女問わず恋愛対象として見られることが多かった。そして、なぜか彼・彼女らから『あなたがいなきゃ生きていけない』『あなたのためなら何でもする』と依存されて(あるいは崇拝までされて)しまうのである。

『小柄で可愛らしい』と第一印象で思われるが、その意志の強さがにじみ出る目元は、リサの印象を大きく変えるらしかった。また、心の隙を的確に突くような甘やかし方をするリサに、相手は沼にハマるように際限なく依存してしまって、離れられなくなるのだ。

そんなリサの姿は、たしかにDIOと重なるところがある。自覚があるぶん言い返せないリサを、イツキはいつもからかっていた。

「そ、そんなん言うけど、私がDIOならイツキはプッチってことだからね!」

「お、いいねえプッチ。嫌いじゃあねえよ。『時は加速するッッ!』」

「あ!ちょっと!そのだし巻き私の!」

「ふはは、『次の新月の時を待て…』」

「この…ッ!ってそれDIOのセリフだし!」

リサが取っておいただし巻き卵を頬ばって、イツキはふざけて席から逃げ出した。慌ててリサが追いかけると、さっさと会計を済ませて「帰ろーぜー」なんて笑っている。こういうスマートなことを抜け目なくするという点では、イツキもまた人を酔わせるタイプだ。


店を出ると、ひんやりとした空気が背筋を撫でた。あたたかくなってきたとは言え、まだ春だ。ぶるっと身震いして自分の肩を抱いたリサに、イツキが後ろからもたれかかった。180㎝の長身にのしかかられて、リサは足が地面に埋まったかのような錯覚を覚えた。

「な、に、して、くれてんの…ッ」

「酔いまわってきたわ~、リサおぶって帰って~」

「ザルのくせによく言う…。ほんとに重いんだけど!」

「は~あったかいし楽だしいい乗り物よのー」

「このDIOの生まれた時代にはこんな乗り物はなかった…ッ!」

ふざけつつも、寒さをやわらげようとしての行動だとリサはわかっていた。リサがそれを理解しているということを、イツキもわかっている。この『言わずともわかる』関係がひどく心地よくて、お互いに甘えているのだ。

仕方なく送っているていを装いながら、店からほど近いイツキが一人暮らしをしているマンションへ向けて、リサは歩き出す。案内されるまでもないほど、もう道は覚えている。

慣れた手つきで暗証番号を入力して部屋の前までやってくると、リサの後ろからイツキが鍵を開けた。そのまま部屋に入って、電気をつけてふたり掛けのソファにイツキを転がした。イツキはどうやらまだ酔ったふりを続けるようで、全く動こうとしない。

「ちょっと、イツキ!スーツ皺になるでしょ。」

「んー…リサやって?」

なるほど、今日はそういうモードなのね。

リサは着ていたスーツをハンガーにかけて、ワイシャツと下着だけの姿になった。甘えた声を出すイツキに近寄りながら、大げさにため息をつく。

「……しょーがないな、もう。」

ゆっくりとイツキの服を脱がせていく。

初めてのときは、シャツのボタンが逆なのに戸惑って外すのに時間かかったなあ…。イツキも、ホックが外せないってあたふたしてたっけ…。

上の服をすべて脱がせてハンガーにかけていると、後ろからイツキの声がした。

「いやあ、絶景かな絶景かな」

ソファに寝転んだイツキが、満足そうな顔でこちらを見上げてうなづいている。その視線の意味に気づいて、リサは呆れて言った。

「…ほんと、男ってこの格好好きよね。」

「そら好きさ。その見えるか見えないかって感じが最高」

「はいはい。」

服をかけ終えて戻ってきたリサは、イツキの横に腰を下ろしてその体をす…っとなぞる。もう幾度となく触れあってきた。それでも平然と友人として過ごせているなんて、ふたりとも世間の軸からは大きく外れたところにいるのだろう。

「イツキといると、心が安らぐの…」

「…そんなん言って、付き合う気なんかないんだぜ」

「ふふ、まあね。イツキだってそうでしょ?」

「まあーね。」

イツキがリサの首に手を回して引き寄せた。この唇の柔らかさも、もうお互いよく知っている。それでも、不思議と恋人になろうという気は起きない。お互い信頼しているし、大切に思っているのに。

あたたかく濡れた舌を絡ませながら、イツキがささやく。

「なんで、っん、はぁ、いつも俺に、付き合ってくれんの?」

熱を帯びた声に、リサの首筋から背中まで快感が走る。ぞくぞくするその快感が、あのほの暗いどろどろとしたものを心に連れてきたのか、リサは妖艶に笑み、体を起こして濡れた唇を味わうようになめた。

「イツキが大切だからよ…だいすき、イツキ」

「っ、…ああもう、ほんとお前って…」

イツキはリサを抱き寄せ、腕に閉じ込めた。あたたかい肌と速い鼓動が心地いい。

「『お前がいなきゃ生きていけない』…」

ぽそり、とイツキの口から言葉がこぼれ落ちた。けれど、それはあまりに小さな声で、リサまで届いていない。

「え…?」

「…いや、なんでもないよ。」

やけに優しい表情をしたイツキに、リサは心がざわつくのを感じた。なんだろう。快感とは違うなにか…。もっと、あたたかい……。

再び絡ませた舌で、手で、心をざわつかせた何かを探ろうとしたが、どこまでいっても触れたのは快感だけだった。


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