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いいぜんざいができたよ

あのー
2023年10月2日に
意識不明の重篤
として
緊急搬送されまして

まさに
生死の境を
彷徨ったわけですが

意識が戻って
病院の白い天井を眺めながら
ボーっと考えを巡らすと

結局のところ
自分は何を目的として
何を希望として
生きてきたのか

決して
真っ直ぐな道のりではなかった
けれど
その瞬間瞬間を
一生懸命に
全力で
生きてきた

その果てに
てんかんを患い
諸々の合併症も加わって
28歳から12年間
この身体と付き合ってきまして

20歳過ぎた頃のぼくは
自分がまさか35歳で生活保護を受け
挙句
38歳の10月に
脱生活保護まであと2週間
というところまできて
背筋の肉離れをおこし
39歳の11月には
左肩を脱臼し
同年の12月には
コロナに感染するなどどは
思い描いても
いませんでした。

後悔などあろうはずもない
ある意味では本望です。

平坦な道を歩く人生は
楽だが面白みはない。

先の見えない道を
手探りでも歩いて
大きな壁にぶち当たっては
それを乗り越えたり
あるいは
そこを回避したりしてこそ
面白いんじゃないか

望んで生きてきました。

その意味では
本望です。

しかし
この現状の有り様は

不本意ではあります。

ぼくがイメージしたのは
あくまでも
登山に例えるなら
山頂には辿り着く
という前提のものでしたので

こんなにも見事に
坂を転げ落ちるような
人生を歩むことは
望んではいなかった。

いずれにせよ

望むようには生きてきたけど
結果として不本意。

ということでした。

話は少し逸れましたが
病院の白い天井を見つめながら

意識が戻った当初は

本当は今はいつなのだろうか?

ということが
頭から離れなかった。

医者は
「今がいつかわかりますか?」
と、聞いてきた。
「わからない」
と、答えると
「今は2023年10月4日です」
と、返ってきたけど

実際にはわからない。

体感では20年とか30年とか
過ぎてしまったのかもしれない
という感覚だったし
ここが地球で日本で
令和5年の10月4日だと
誰も証明はできない。

何よりも

ぼくが知ってる人が
誰もいない

ということが
その不安を
より一層、強めました。

あるいは

いわゆる
パラレルワールドのようなところに
飛んで来てしまって
全てにおいて
現実「にそっくりな」架空の世界
に、いるのかもしれない

見知らぬ人だらけで
その人がその人である証明など
誰もできないわけで

しかし日が経つに連れ
確たるものが
ぼくの中に芽生えたそれは
じんわりと
しかし着実に根付いていきました。

今がいつであれ
ここがどこであれ

自分は自分としてしか
生きるしかない

ということです。

それこそが
いわゆる「ありのまま」
ということなんじゃないかと

そう考えるとですね
本当に自分に必要な物や人は
何なのか
誰なのか
ということは
必然的に定まってきまして

それは

自分を必要としてくれてる人


他ならない

そして
その人が生きている限り

自分は生きないといけない
という結論に至ったわけです。

病院のベッドの上で
無様な姿を晒して
もう
これ以上
何も隠すことなんか無いじゃないか
というところまで来て
ようやく
「ありのまま」
という概念が
少しわかった気がします。

それまで
例えば良いと思って着飾ったりとかした
服だの時計だの車だの 
地位だの
収入だの
良い女だの

そんなことは
どうでも良くなった

本当に必要なものではなかった

「ありのまま」

何かに抗う自分もありのまま
何かに抗うことをやめようと思う自分も
ありのまま

そうやって2024年も
過ごしていきたいと誓った今日

去年より甘みがありますが
イメージに近いドロッと感が
出せました🐹🙏

伊藤久右衛門の玄米茶との
タッグは最高です

では
みなさん

まあ頑張りたまえ
(・Д・)
ごーん

はる氏でした🐹

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