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「小説 名娼明月」 第54話:蜀江(しょっこう)の錦帯(にしき)

 驚きのあまり立上がる機勢(はずみ)に、ばたりと倒れて、お秋の夢は覚めた。
 目を開けてみれば、もう金色の光もなければ、紫の雲もない。そうして、もとより天女の姿も見えぬ。やはり、元のままの暗い廻廊である。
 暁(あけ)近い寒さは、切るばかりに躯に迫る。お秋は、まだ夢と現(うつつ)の間を徘徊(さまよ)うておる。さては、現と思いし今のあれが、全くの夢でありしかと、お秋は倒れしままに起きも得ぬ。実に、考えれば考えるほど不思議である。
 探(たず)ぬる良人(おっと)に巡り合ったり、死んだ両親と話をしたりする夢ならば、これまでとても毎夜見るところである。しかし、天女と逢って、そのお告げを聞くという夢は、一度も見たことがない。しかも、ただの夢としては、それがあまりに鮮やかすぎる。

 「慥(たし)かに、嘘の夢ではない!」

 と、さまざまに想像を廻らして、夢の意味を判じかねていると、東の方の空が、ようやく白くなって、夜はまもなく明けた。
 お秋は、なおも廻廊の板敷に坐して、夢の中の天女の言葉を考え続けた。

 「夢には、西の方へ行けば、尋ぬる良人の消息(たより)が得られるということであったけれども、覚めての今思えば、全くそうだと信ずる訳にはゆかぬ。やはり最初の思い通りに、まず肥前の方へ赴き、それで良人に逢われぬときには、夢のお告げに従って、西の方へ行くこととしょう」

 と心を極めて立ち上がろうとすれば、折から窓より吹き入るる朝風に、馥郁(ふくいく)たる芳香が薫じて来た。しかもその芳香は、天女が夢に現れし時の香りと同じである。
 お秋は、覚めしと思いし夢が、なお覚めずにあるかと疑い、急に身を起こせば、怪しくも、我が身に蜀江(しょっこう)の錦帯(にしき)が掛けられておる! そしてその不思議なる芳香が、この錦帯から発するばかりか、あの天女が夢の中(うち)に纏(まと)いおりし錦帯に、寸分の違いはない!

 「さすれば、天女がそなたの守護(まもり)に授けると云って投げ与えたまいしは、この錦帯でありしか!」

 と、ようやくに心づけば、さきの夢が現(うつつ)のごとく、今の現がかえって夢のようにさえ思わるるのである。
 これ全く、観世音菩薩が夢想に現じたまいたるに相違なしと思えば、感謝の念は潮のように胸に溢れて、押さえるに押えきれぬ。
 お秋は、幾度も幾度も、錦帯を押し頂きながら、叮嚀(ていねい)に押し畳んで、恭(うやうや)しく懐中に納め、さらに御堂の前に拝跪(はいき)して、黙祷を凝らし、静かに門を立出でた。

◇◇◇◇

 金吾はなおも博多の宿にあって病気を養っていたが、長の旅路に旅金もようやく残り少なくなった。監物をいつ捜し出すとの見当されもつかぬ。

 「まだこれから、どれだけの旅を続けなければならぬかもしれぬ。長途を前に抱えし身が、かくて安閑と暮してはおれぬ。衰弱疲労は残っておれど、昨今、幸い病気は全快に近い。一日に三里や五里の道ぐらい辿れぬことはあるまい」

 と、金吾は気を焦って、正月の下旬、肥前唐津の城下に向けて、博多を発った。もとより病後の保養大事の身であるから、急ぎたい心を押さえ、正午近い頃から博多を後に残し、しずしずと今の早良郡(さわらぐん)は藤崎の駅(しゅく)まで行ったが、何といっても病後に身である。思いしよりは足が重く、疲労が酷いから、息迫って足が捗(はかど)らぬ。
 
 「とはいえ、せっかく博多を発った上からは、今宿までは今日のうちに行こう」

 と、再び気を励まして、姪の浜(めいのはま)まで行った折、今宿帰りの馬子が追付いて、しきりに金吾に、乗れと薦めた。

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