七歳の二女サヤが描いてくれた私の絵
見出しの写真は、二女が七歳の頃、描いてくれた私の絵。
七歳にしては結構写実的に細かく描いてくれてるなぁ。私はバレエばかりしていたから、きっと髪の毛は後ろでシニヨンに結っているのね。後れ毛までよく描かれている。
それにしても、私、なんだか泣きそうな不安そうな顔ね、、30代後半の頃、まだパニック症状が時々起きて毎日不安でいっぱいだったものね。
美容室も歯医者も劇場も怖い。飛行機はダメ。新幹線は夫となら何とか。
バスや地下鉄に乗るときでさえ小さなクマのお守りの人形をポケットに入れて握りしめていた。。
こんな母親だから、娘たちはほんとにしっかりと育ってくれた。手がかかることはほとんどなかった。
友達の娘さんは、学校の様子を詳しく毎日話したり、悩みを相談されたり、親密な親子関係。
うちの娘たちは男っぽいというかさっぱりしているというか、、、まぁ、甘えたくても母親が自分の精神状態でいっぱいいっぱいだったから甘えられなかったのかなぁ。ごめんね。
娘たちには自分が好きなピアノやバレエを三歳から習わせて、ふたりとも嫌な顔もせず、長女は大学三年まで二女は中学三年まで続けてくれた。
娘たちは、私が喜ぶ顔が見たかったのかもしれない。私が一番好きなのは、娘たちがバレエを踊ったりピアノを弾くのを見ることだったから。
今、考えるとつくづく私は母親に向いていない。ほんとに毒親かも。
よく素直で優しい娘に育ってくれました。ありがとうね。
アヤが高校二年、サヤが小学六年生のときに社宅の近くに小さな家を買いました。
結婚してから夫の実家で同居、それから千葉、熊本、東京と社宅暮らし。
私はいつも自分のお城が欲しかった。
東京が大好きだから、出来たら東京に家が欲しかった。
だから20年前に夫が突然「家を買おうか?」と言った時には嬉しくて飛び上がりました。
5月30日だったかな。
二女サヤの小学校の運動会を夫婦でお弁当を持って応援にいき、その帰りに建設中の小さな家を見つけました。
「この家がいい!」
いつも直感(ワガママ?)の私は言い出したら聞かないので、ほんとはもっといろいろ物件を見たかったみたいな夫だけど、すぐに購入手続き(35年ローンで!)。
社宅から300メートルの場所でした。
7月10日には、できたてホヤホヤの新居に家族で引っ越していました。
わずか1ヶ月半でした。
夫の両親は福岡でいずれ一緒にまた暮らすと思っているだろうから、内緒にしようかと最初夫は言っていました。
結局、あまりに突然な事で驚かれたけど、両方の両親とも東京に家を買ったことを納得してくれました。
社宅から引っ越して、私はほんとに幸せだなぁと、小さな新居の中でしみじみと感じました。
夫と結婚した時も幸せだったけど(だって一人だとパニック症状が怖かったから)、家を買ったときはもっと幸せだったかも。
自分の家を持って私はここでずっと暮らすと決めると、ぐんと心が強くなりました。
私は植物が大好きなんだけど、自分自身植物的なのかな。
動かない場所のほうが心が安定する。
この家で暮らしてこの家で死のうと決めるとなんだか心に根が生えたようでパニック症状もほとんど起こらなくなりました。
23歳で突然パニック症状が出てから、パニック障害に振り回された人生と思っていたけれど、パニック障害のお陰で幸せな人生だったかも。パニック障害ありがとう。
7歳だった二女のサヤも今は31歳。
小さかったサヤがもうすぐお母さんになるのね。
そのうちまた色鉛筆でサヤに絵を描いてもらいたいな。
大好きな自分の家で、夫とモナカとタルトと一緒に幸せに笑っている私を描いてもらいたい。
こんな私だけど、なんとか62歳まで生きてこられたのは、回りのみんなや夫や娘たちのお陰だね。
きっとお母さんは、最期までお母さんらしくない子どもみたいなお母さんだろうけど、これからもみんなよろしくね~
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?