セックスしたくない

私は結婚『が』したい

　大好きな人といつまでも二人一緒にいるために、結婚したいのではない。
　社会に認められて、両親や親戚からの言葉に振り回されず、会社でも友人の中でもそれなりに認められ、何より楽になりたいから、結婚がしたい。薄情だが、本当にそれだけなのだ。
　私の心というのはいつだって驚くほどに冷めている。利害や損得を抜きにした純粋な愛や恋で物事を考えることが出来ない。どうしてこんなふうになってしまったのか、自分でも分からない。たまに怖くなることさえある。恋愛結婚には向いてない。逃げ恥のように契約結婚だって構わないとさえ思う。
　
　私には現在、ネオくんという彼氏がいる。一応、付き合ってからもう2年以上経つ。プロポーズされてからは1年が経ち、ともに過ごした時間の半分以上冷戦状態の曖昧な関係を続けている。なんとも不思議な仲だ。何故こんなことになってしまったのだろう。これも分からない。
　本当は死ぬほど別れたいと思っているくせに、だけど彼を逃したら二度と結婚出来ないんじゃないかという恐怖が頭をよぎり、冷静な決断を下せなくなる。
「別に悪い人ではないんだから、この人で決めればいいんじゃないか。それが一番無難な人生だ」と囁く自分もいる。私にはきっと、ネオくんがすごくお似合いだ。俯瞰で自分を眺め、そう思う。
　だから潔く彼を切り捨てることが出来ないのかもしれない。

好きだったからこそ、許せない

　私は狭量な女なので、人の過ちを許すことが出来ないのではないかとここ1年考え続けてきた。
　だが、どちらかといえば私は人付き合いが上手く、寛容なタイプだと思う。性格に難がありすぎて世界に私しか遊びに誘える相手がいない友達なんかもいるから、決して嫌われるタイプでもないと思う。多くの人がした多少の過失など、一月も経てば許してしまう。
　そういう性格の私が、ネオくんにされたことの数々を許せずにいる。彼と真剣に向き合おうとするたび、プロポーズ後に大きくこじれた日々を思い出してしまう。彼は悔い改めて改善に努めてくれた部分だって多くあることは分かっているのに、付き合っていた時に嫌だった無数の出来事が忘れられない。
　おそらく、それは当時の私が本気で彼を好きで、大切に想い、一挙一動を信じていたからなのだろうと最近になって思うようになった。結婚という大きな壁が迫ったとき、ずっと目を逸らしてきた彼への不平不満が立て続けに襲い掛かり、おまけに次から次へと降り注いできたのだと思う。聳え立つ高い岩肌を前に立ち往生している私に無神経な暴言と行動が落石のように降り注いできたのだから、あの日々は本当にたまらなかった。

無理なんだと、思う

　結婚がしたい。それは今でも変わらない。
　だが、【そろそろ結婚するか別れるか決断してほしい】と迫られると、うーん……という迷いが生じる。こんなに拗れたあとで今更元通りになんてなれない。だから別れようと切り出すと、「あなたの気持ちを尊重する」なんて言ったその口で「別れたくない」と泣く。私は人に泣かれたり悲しそうにされたりするのが苦手なので、「じゃあもう少しだけ……」と気まずさから逃げ出して一瞬だけ自分が楽になる言葉を口にしてしまう。それの繰り返しだ。
　
　先日、デートに行ってきた。相変わらずどこで食事をするかも、何をするかも決まってない。待ち合わせる駅と時間だけが指定され、開口一番「今日どうする？」その連続だ。ネオくんの3倍は稼いでいて、ネオくんの10倍は忙しく生活しているはずのスイーツさんは、わざわざディナーの候補を3つも4つも送ってきてくれる。お店選びも含めて、一緒の時間を楽しんでくれていると感じる。しかもお代は絶対に受け取ってくれない。最早居た堪れなくなるので彼のポケットにねじ込みたいくらいの優しさだ。比べてはいけないと分かっていても、比べてしまう。
　私の貴重な土日が退屈な時間に消えていくのが許せないが、一応は恋人同士だからなんの予定もないのにデートの誘いを断るのもおかしい。だから虚無の時間を過ごすために、私は電車賃を払って都内へ赴く。
　だが、なんの目的もなく都心の駅を指定された日は本当に、本当に憂鬱になる。何故なら、「何もすることがないね。……じゃあホテルに行こうか？」という誘導が来ると分かっているからだ。

　私は本当の本当に彼とのセックスがしんどくてたまらない。生理になると本当に安心する。ああ、今日は断る口実がある、と嬉しい気持ちになる。私に訪れる唯一無二のボーナスタイムである。
　セックスがないと分かっている場所ならデートに行くのは構わない。だが、明らかにセックスの時間が用意されているデートに行くのは本当に嫌だ。つらい。昔から好きではなかったが、ネオくんと仲良くしていた頃は（まあ、仕方ないか……）と割り切れていた。だが、今は無理だ。日に日に許せていたことが許せなくなっていく。
　この前はついに、生理でもないのに生理だと嘘を吐いてしまった。私はコロナが完治してから一週間くらいしか経っておらず、まだ喉が破れそうな咳をしていた。具合も悪かった。それなのに「ホテルに行こうよ」などと言うから、生理を理由に逃げた。逃げられたと思った。だが、「じゃあ、行くとこもないし、ホテルに行くだけ行ってみる……？」等と言い、結局ホテルに連れて行かれた。で、手と口でさせられた。それでも全身を差し出さなくて良かったのは僅かな僥幸だが、この人は私とセックスすることしかデートを楽しむ気がないんだな、と思えてしまった。
　たしかに一ヶ月に1〜2回しか会わない（相手の勤務が土日休み固定じゃない）から、セックスしない月だってある。相手がしたいのは分かる。そう思って付き合ってきた。だが、毎回ランチしてからホテルに連れ込まれる虚無デートを繰り返された日には、たまったもんじゃない。

　しかも、セックスが上手いなら、まだいいのだ。
　ネオくんはセックスが下手だと思う。いや、私にも大して経験がないので、上手いのか下手なのか、正しい評価は下せない。
　ただ、私はいつもセックス中に別のことを考えているのは紛れもない事実だ。早く終わらないかな、とか。気持ち悪いな、とか。なんでそこなのかな、とか。早く帰りたいな。ここの支払いはどっちが持つのかな。明日の仕事面倒くさいな。ここらへんで一回くらい喘いどこうかな。あ、この辺の気持ちをちゃんと覚えておいて、今後の同人原稿に活かしてみようかな、とか。
　こんなふうに思うようになったのは、相手とひたすらに微妙な空気感が続いているというのもあるだろう。だが、やたらと長いコイキングキスは気持ち悪いし、挿入すれば激痛だし、一回の挿入で体位をコロコロ変える挙げ句AVで見ただけの高難易度体位を試そうとして失敗するし、穴の位置はわからないし、なんなら両手を使ってるくせにブラすらまともに外せない。こんなんでセックスをどうやって楽しめと？　陰部が段々と砂漠のように乾いていく感覚は、筆舌に尽くし難いものがある。
　こういうのが続いて（特に激痛なのが嫌）セックスは嫌だな、と思う。でも誘われる。不平不満を言い出しづらいから黙っている。前よりさらに酷くなった行為を披露される。痛い。さらにセックスが嫌いになる。なるべくセックスしたくないと、避けるようになる。デートすら億劫になる。生理を待ちわびるようになる──。
　この人と結婚したら、少なくとも妊娠するまで週に一回は行為をしなければならないのかと思ったら、もう嫌で、怖くて、本当に泣きたくなる。妊娠したあともすぐ求めてきそうなのが容易に想像がつくのも、本当に気持ち悪い。少しくらい商売の女と遊んでもらったって構わないから、もっと上手になってほしい。
　結婚して、セックスレスになると、正当な離婚の理由になるのだという。私は彼と結婚したら、セックスレスになって彼に訴えられるかもしれない。だけど、それって私だけが悪いのだろうか。体調不良だろうが、生理だろうがホテルに連れ込み、どんなに痛がっても改善する気もなくセックスに持ち込もうとする男には何の過失もないと、法律は言うのだろうか。
　
　何もかもが分からない。
　私に分かるのはただ、もう、ネオくんとセックスしたくないということだけだ。