結局人間は周りの目を気にしてしまう事が多いがそことの付き合い方

インスタのストーリーで話のタネを頂けたのでそれについて書こうと思う。

日本という国で生まれ育ってきた人なら誰しも右にならえの教育に疑問を抱いてきたであろう。そして、違和感を持った時にはすでに習慣より深いレベルで自身の中に根付き、今もなお苦しんでいるだろう。

周りの目を気にしてしまうのはなぜなのか。自信がない。周りと違うことをして独りになるのが怖い。行動して出来ないだのダサいだの言われるのが怖い。おおよそこういった理由だろう。

極論を言うなら自信がないなら自信がつくまで勉強、練習、努力すればいい。独りになるのが怖いなら山に籠るなりして一人で生きていけるような環境にすればいい。

そんなこと言っても仕方ないので筆者が辿りついた考え方、日々実践していることを書いていこうと思う。筆者自身も周りの目を気にして生きていることの方が多いので参考になれば嬉しいと共に、周りの目を気にせず行動できるようにお互い頑張っていこう。

まず一番に出てくるものとして気にしないという意識を強く持つ。これが一番であり、出来たら苦労していない。どれだけ親しい人、血縁者でも自分の人生の責任は取ってくれない。そのくせ他人の人生にケチつける暇を持て余している。

自分はそうならないと決意するだけでも日々の行動がだいぶと変わってくる。なぜなら他人の人生の責任は取れないし、他人の人生にケチつける暇なんてない。自分のやりたいことをやる方がよっぽど有意義な時間の使い方だからだ。

その次に、他人は変えられないということ、自分で変えることの出来ないものに時間を割くのは無駄であることを周りの目を気にしだしたら思い出すようにする。

他人の考え方なんて自分が決められるわけでもないし大切なものの基準なんて人によって違うからだ。

この自分と他人を分けて考えることと次に記載する自分を客観視できる力、精神力をつけることが一番重要なのではないかと現状思っている。

この自分を客観視できる力、精神力をつけることは一つデメリットが存在する。客観視できるということはそれだけ冷静になるということで、少し物事に対する熱量が減ってしまいがちになる。

状況を分析してしまい、今その時を純粋に楽しめなくなってしまう。人間起用な生き物ではないので知ってしまうと知る前には戻れないので次はそこに葛藤することになる。

今しがた読者に共有できるのはこのあたりだ。また思い出すこと、新たに気付いたことがあれば追記しようと思う。

貴重な時間を使って私の考え方に触れてくれてありがとう。また機会があれば私の考え方に触れに来てもらえると嬉しい。

気になることやあなたの意見、感想があればコメントでもSNSのDMにでも送ってほしい、そこでまたお話をしよう。

またどこかで、そのどこかでお話しましょう。

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