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駅遠の空き家の使い道を考える①   ~斜向かいの家~

 実家の断捨離は2階が終了し、あと一息、1階の、25年前に亡くなった祖母の台所と和室が残っています。

 少し前から、斜向かいの家の表札が紙で隠されていて空き家だと思っていたところ、最近になって人の気配がします。
 いつものように駅からバスに乗り、実家の最寄りのバス停で降りると、一緒に降りた高齢の女性が斜向かいの家に入って行きました。新しい住人のようです。
 表札が新しくなっていて、複数の苗字が並んでいました。サザエさんの家の磯野さんとフグ田さんみたいな家族構成だと思っていました。
 元々こちらの家には、私の両親よりも高齢の夫婦が住んでいて、夫婦には私より年上の娘さんがいました。
 どのような人にこの辺りの戸建ての需要があるのか、興味がありました。お向かいさんに聞いたところ、高齢の夫婦は施設に入り、娘さんは都心に住んでいるのですが、家を売る気は無くて、知り合いに貸している、とのことでした。住んでいる方々は家族ではなく、知人同士だと言います。
 言ってみれば、高齢者のシェアハウスです。そうか、そういう需要があるのですね。実家の活用のヒントになります。

 実家の断捨離は祖母の台所が終わり、残るは祖母の居室だった和室だけです。ここは25年前に祖母が亡くなってからは使っていなかった部屋です。祖父母の遺品を、おそらく父が整理したと思われます。

 蝶番が外れた仏壇の扉が取れそうにぶら下がっていて、ずっと下げられていないお供え物があり、中に祖父母の位牌が取り残されていました。祖母の小さな遺影がこちらを見ていて、元々無表情な写真ですが、何だか怒っているようです。「ごめんなさいね、放っておいて」と二人の位牌とご神体、遺影を取り出して持ち帰りました。
 
 箪笥には祖母の着物と洋服が残されていました。落ち着いた色合いの着物は丁寧に普段使いされていたことが伺われます。洋服は昔の人らしく、後から自分でホックを付けたり丈を詰めたり補正して大事に着ていたことが分かります。
 祖母の衣服は昭和レトロですが一周回って可愛く見え、母の衣服よりもむしろ数多く持ち帰りました。

 押し入れには、祖父母のアルバムや、戦前からの家族の歴史が分かる資料が残されていました。持ち帰って父に判断してもらうことにしました。
 これらの資料と父の話から、私が知らなかった祖母の人物像を知ることになります。

 
 

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