旧友とお礼参り

昨日の出来事もあり、私にとって最後の作品になる。
だから、学生時代に創作で元気や励みをもらった旧友に、読んでもらいたくて、思いきって連絡してみました。

10年くらい前に、執筆をやめた頃から、疎遠になっており、もしかしたら、番号変わってるかも。
今更、迷惑かもという不安を抱きながら思いっきり、電話番号のショートメールをしました。

それから数分後。
旧友から返事があり、無事に連絡を取ることができました。
番号変わってなくてよかった。

そして、LINEやアドレスなど交換し、近況を話し、投稿した作品原稿を送ることができました。
最後はどうしても、旧友に読んで欲しかったから、繋がれてよかった。

そして、歓迎されたことに、ただただ嬉しかった。

それで、昨日の絶望から、少し立ち直ることができました。

そして、今朝、出勤前に、初詣と応募した時にお参りに行った神社へお礼参りに行きました。
願いは叶わなかったし、「昨日、神様なんてやっぱりいないんだ」と絶望したけれど、やはりここまで頑張れたことに対して、きちんとけじめをつけたくて神社を回りました。

遠方の神社が1箇所あり、小説の舞台として登場させていただいた神社は、今日は行けないので後日行きます。

これからまた自分は創作を頑張るのか。
諦めるのか。
新作が浮かばない自分に何ができるのか。
今はまだ何もできず、心がぐちゃぐちゃでまとまりません。
でも、昨日は悲しいという思いから、今は悔しいに変わりました。
この悔しさを頑張りに変えることができるかわかりません。

でも再応募するかを考えている自分がいます。
どうせまたダメだと思っています。
でも、もう少し足掻いてもいいかもしれないとも思う自分もいます。
諦められない自分がいます。
私はどうも諦めが悪いようです。
それくらい自信があった作品だったからかもしれません。
ただ、新作を書いた方がいいというのは、わかっている。
一次落ちた作品なんて改稿しても、意味はない。
応募先を変えたところで、結果は変わらない。
下読みをされる方の苦労が増えるだけ。

今日引いたおみくじにも、「人に頼っても評価されない」。
「傲慢な言動をとれば、周囲の協力を失い孤立する」と書いてありました。

確かに今回の再応募した作品は、前回、二次通過したから、一次通過すると傲慢さが現れた戒めだったのかと思います。
そんなに甘くないと知っているはずなのに、自分に対する傲慢さを痛感させられました。

さすが神様。
励ましではなく、戒めを与えてくれました。
今の私に慰めという甘さは必要ないということです。

面白くない作品をかいた自分が悪い。
一次を通過した方は、自分よりも面白い作品をかいた。
それが結果に出ただけ。

だから今なら言えます。
一次通過者の方々おめでとうございます。

どんなに励まされても、最後に選択するのは自分。

後悔のないように、選択したいです。

少なくとも、私が昨日、旧友に連絡をするという選択は間違いではなかった。

皆さんは、疎遠になったけれど、再会したい方はいますか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?