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一緒くたにしない。|生きる行脚#2@秋田

 僕は大学で学んでいることや「大学」という環境、自分の将来のことなど、いろんなことについてとにかくもやもやを感じていた。
 そんな中REIWA47キャラバンでの株式会社ポケットマルシェ(現:株式会社雨風太陽)のCEO、高橋博之さんとの出会いをきっかけに、大学3年生(2021年度)の1年間を休学し、日本各地で一次産業を生業とされている方の隣で一緒に作業をさせてもらう旅、「生きる行脚」をすることを決めた。
 生きる行脚とは、一次産業を生業とされている日本各地の漁師さん・農家さんのところに住み込みで1週間~1か月ほど滞在し、漁師さん・農家さんが普段やっているようなことを隣で一緒にやらせてもらう修行の旅である。
一次産業という産業のなかで物理的に命を扱ったり命と向き合ったり、一次産業を生業とされている方の生き様などを通して「生きる」とはどういうことなのかを感じたり、考えるため、2021年の3月8日(火)から2022年の3月28日(月)までのおよそ1年間、この「生きる行脚」を実施した。
 このnoteでは、この1年間で日本各地の漁師さん・農家さんのところへ行かせていただいたときに僕が見てきた景色や、僕が感じたことや思ったこと、考えたことを綴っている。


 2月18日、高橋博之さんの「歩くラジオ」。ゲストはえっこさんこと秋田県最年少船長の底引き網漁師、佐藤栄治郎さんだった。
 2人の対談の中での高橋さんの「秋田県の底引き網は1ヵ月のうち26日、漁に出れない。仕事に行きたくても行けない。」という一言に驚いた。「1ヵ月のうち26日漁に出れない…? 底引き網ってどんな漁業なの…?全然想像できない…。」と思うと同時に、生活はどうなっているのか気になった。
そこで、ポケマルのメッセージ機能を使って船に乗せてください、とお願いしてみると、4/8(木)から2週間、インターンを受け入れていただけることとなった。


日本海の厳しさ


   「明日から2日間お休みです。シケで船が出せないので。」

 到着して早々、栄治郎さん家へ向かう軽トラの中で言われた一言である。
 港の外には見渡す限り水平線が続き、荒い日本海が広がる。日本海はユーラシア大陸と日本列島の間に挟まれるように存在しているため、よく波が立ち、荒れやすい。その威力は、防波堤沿いにきれいに積み上げられた重さ数十トンもある消波ブロックを崩してしまうほどで、日本海に出たら14トンの底引き船だっておもちゃ同然だという。
 
青空が広がり陸では風が吹いていなくても、風よけとなるような障害物のない沖では強い風が吹き、波が立っている。そんな中無理に船を出せば、命の危険にさらされる。そのため、年間を通して漁に出れるのはおよそ100日。特に冬はシケが続き、出漁できるのは月に5日ほど。
 
これが、秋田県南部の底引き網漁だった。

 ここへ来る前にお世話になっていた三重の真鯛の養殖のところではだいたい毎日決まった時間に決まったことをしていたため、同じ漁業でも真鯛の養殖とは全然違うんだなぁ、と思った。
 そして結局、滞在させていただいた15日間のうち、出漁できたのは2日間だった。

これだけ晴れていても船を出すことはできない。天気の良し悪しではなく、風の吹く方向や強さで海の状態は決まる。


底引き網漁


 一口に底引き網と言えど、その方法は二艘式・かけまわし式・トロール式、と大きく3つに分けられる。
 二艘式とはその名の通り、小型の船2艘で網を引く方法で、瀬戸内などでよく見られる。かけまわし式は、1艘の船がひし形を描くようにして走りながら縄と網を落とし、その後、数十分かけて海底を引っ張る方法である。そしてトロール式は山口などで、100トン級の大きな船を使い数日かけてノドグロなどを獲ったりする際に用いられる方法で、網を海に落とすと一気に網が開き、それをそのまま引くというダイナミックな方法である。
 栄治郎さんはこのうちの「かけまわし」というやり方でハタハタやノドグロ、ズワイガニ・ヒラメ・タラなどの主に海底にいる魚を獲っている。

 朝1時に出港し、2時間~2時間半ほどかけて漁場へと向かう。漁場に着くと、暗闇の中作業は始まる。まずひし形を描くように船を走らせて縄と網を落としていく。それから数十分船を走らせて海底を引っ張った後、縄と網を巻き上げていく。そして、船尾の方に上がってきた網を船首の方へ移動させ、網についたチャックを切って獲れた魚をあける。その後、あけた魚を選別してカゴに入れていく、というのが一連の流れで、これを7・8セット繰り返す。

 1日ごと・1セットごとに魚がいるであろうと予測される場所へ出向いて漁をする様子は、お客さんのいるところへ自らが出向く、移動販売やキッチンカーのイメージに近い。魚を獲り終えると、重さを計り、箱詰めをしながら港へ戻る。16時半~17時くらいに帰港し、船から魚を降ろしてようやく長い1日が終わる、というような感じだ。

縄と網を落としている様子。3:00を過ぎた頃から1セット目が始まる。
チャックを切って網の中から魚が出てくる様子。この時はノドグロが大漁だった。
網から開けた魚を選別する様子。僕はまだこのとき、カレイとヒラメの見分けがつかなかった。
港へ戻るときに箱詰めをしている様子。狭い魚槽の中を動き回って乗組員さんは汗だくだった。


 まず、「深夜1時」ではなく「朝1時」という感覚が不思議だ。15~16時間を船の上で波に揺られながら過ごしたが、僕は特別な作業をした訳でもなかったのにだいぶ体力を削られた。船を降りて栄治郎さん家のイスに座った瞬間、それまでピンと張りつめていた糸のようなものが切れ、一気に全身の力が抜けた気がした。その夜は10時間以上、死んだように眠ったかと思ったけど、疲労感は翌々日あたりまで持ち越した。僕は基本的に見ていることが多かったのに、これほどの疲労感を感じた。船上を忙しなく行き来している乗組員さんや、移動中も寝ずに舵を取る船長の栄治郎さんの疲労は計り知れなくて、

「すごい…。魚を獲るってこんなに大変なことだったんだ…。魚を食べれるのってすごくありがたいことだったんだな。」

と思った。
 
 そんな大変な一面を感じた一方で、嬉しいことも多くあった。
 まず、14トンという大きな船でだだっ広い日本海に出れるだけですごく気持ちいい。エンジンの音とか振動、スクリューの水しぶき、ゆっくりと揺れる船の揺れ方で「でかい船に乗ってる!」って感じがする。
 また、朝日や鳥海山、どこまでも続いてる海など船からしか見ることのできない景色は、ものすごくきれいだ。
 漁の合間にささっと作っていただき、口いっぱいに白飯を詰め込みながらかき込んだ沖漬けと、流しこんだカナガシラやエビのみそ汁。船の上で漁師さんが作る漁師メシってこんなにおいしいんだ…、と思った。
 そして底引きの醍醐味とも言える、海底をガーッと引いて、魚がドバァーッと獲れる豪快さ。見て、食べて、日本海を感じた。

朝日。船からしか見れない景色には本当に息をのんだ。
日中の景色。海はとろとろとして穏やかで、奥にうっすら鳥海山が見える。
漁師さんに作っていただいた漁師メシ。初めての船上メシだったってこともあって、こんな印象的だったご飯はない。


底引き網漁師、佐藤栄治郎さん。


右から2番目の、大きなロゴの入った服を着た金髪の方が栄治郎さん。


 佐藤栄治郎さん(27)。秋田県にかほ市金浦に生まれ、金浦で育った。小さいころから魚や釣りが大好きで、釣りに明け暮れる少年時代を過ごした。小学校2年生の時、学校で七夕の短冊に書いた願い事は「お父さんみたいな漁師になりたい。」だった。大学からきていた野球の推薦の話を蹴り、高校卒業後、そのまま漁師となった。


 「漁業を盛り上げたい、漁師を増やしたい、そしてこのにかほを盛り上げたい。」

という強い想いが栄治郎さんにはある。
 数十年前は20艘あった金浦の底引き船は現在、その4分の1の5艘にまで減った。
幼い頃から港を見て育った栄治郎さんは、年々引退する漁師さんや使われなくなった船が増えていく、金浦の港から元気がなくなっていく様子を目の当たりにしてきた。


現在の金浦港。底引き船が20艘あった当時はいったいどれほどの迫力だったんだろう、と思う。


 そんな港を変えるため、漁業体験などを通してまず知ってほしい、と栄治郎さんは言う。
 一般に漁業や漁師というと、苦しそうな生活が連想される大間のマグロ漁か、一攫千金の冬のベーリング海といった両極端なイメージしかない。
だけど実際には養殖とか底引きとか色々な漁業があって、底引きに関していえば給与も固定給で安定していて、ボーナスも出る。
 そこで、漁業体験で作業を体験して楽しさややりがいを感じて漁業自体に興味を持ってもらったり、漁業の実際を知ってもらいたい。そこから1人でも漁師になりたいという人が出てきてくれたり、若い人に集まってもらうことで金浦やにかほを盛り上げていきたい、ということであった。
 また、漁師という職業について、高卒でも大卒でも学歴に関係なく広く当たり前に受け入れられるような職業になっていってほしい、と栄治郎さんは語ってくださった。

 漁業体験に力を入れたり、ピンク色に塗った船で釣り船を営むなどして金浦に新たな風を起こそうと挑戦し続ける栄治郎さんだが、決して楽なことばかりではない。周囲からは船の色について揶揄されたり、漁業体験などについて消極的な意見を言われることもあったそうだ。
 しかし栄治郎さんは

「出る杭は打たれる。でも出続けなきゃいけない。出るのをやめたら『あいつは終わった』って笑われるから。」

と言っていた。
どう見たって逆境なのに、そこに屈しないで立ち向かっていく姿はすごいと思ったし、「周りから否定されたって、自分がそうするって腹をくくったら簡単に諦めちゃだめなんだな。」と思った。

ピンク色の釣り船、「栄汰丸」。栄治郎さんが大好きな長男、栄汰くんの名前がそのまま船の名前となった。


小型定置網漁


 近くて港から5~10分、遠くて30~40分ほどの場所に網が仕掛けてある小型定置網漁業。底引きがシケで休みの日でも、波の影響を受けにくい比較的陸に近い場所で漁を行うということで、思いがけず船に乗せていただけることとなった。

 小型定置網は海に網を設置し、網の中に迷い込んで外に出られなくなった魚を捕獲する漁法で、その中にもいくつかの種類がある。網を仕掛けておき魚が入ったら引き上げるのは、店を構えておいてお客さんに来てもらうスーパーやコンビニのイメージに似ていて、効率的だなぁという印象を受ける。

 6時や7時、早いと4時半や5時に集まって出港したり作業をしたりする。船外機などの小さめの船で網のある場所へと向かい、午前と午後の2回、網起こしをする。アジやイワシなどに加え、季節によってサクラマスやイナダ、サケ、ハタハタなどの魚が獲れる。
 また、「底建網(そこたてあみ)」というやや遠い所に置いてある網ではヒラメやソイなどの海底にいる魚も獲れる。海に出れないときは、網の破れた箇所を「あばり」という裁縫における針のような役割を果たす棒を使って繕う“網仕事”や、高圧洗浄機を使って網についた藻や泥汚れを落とす“網洗い”などの陸での作業を行う。

 まず、港を出るとどっしりと腰を据えた鳥海山が目に入る。その日の天気や空の様子に合わせて鳥海山の雰囲気は変わる。また、鳥海山を真正面に臨む漁場からはその大きさを肌で感じることができる。網起こしでは色々な種類の魚を、ピチピチと跳ねた活きのいい状態で見ることができる。そしてその様子を見ていた何十羽という数のカモメがおこぼれを狙って船を追っかけてくる。いろんなところで自然の成り立ちとその美しさを目の当たりにした。


鳥海山。実際に見ると写真よりも大きく感じる。
底建網の網起こしの様子。魚が跳ねて顔中にうろこがくっついた。
獲れたサクラマスを船上ですぐに締めて血抜きをしている様子。こんな風に手間をかけてクオリティの高い商品を出しても値段はほとんど変わらないのだそう…。
船を追っかけてくるカモメ。常におこぼれに目を光らせている。


 楽しさの一方、大変なこともある。底建網の網起こしに行ったとき、たくさんのイワシが網の目に刺さって死んでいた。腐ったイワシからは何とも言い難い臭いがして気分が悪くなって、吐きそうになった。またその臭いはただ強烈なだけでなく、しばらくの間鼻に残っていた。初めて嗅いだ臭いにすっかりやられたような顔をした僕を見て、親方さんから「3Kっていうのは、『くさい・くさい・くさい』だよ。」と笑いながら冗談を言われたが、本当にそうかもしれない、と思った。


独特な臭いの素となっているイワシ。
イワシの臭いを嗅いで吐き気を催した僕(写真左)。漁師さんたちいわく、「こんなのはまだまだ。夏はもっと臭いがするよ。」とのこと。


 そして、網の扱いでは漁師さんに対する「大雑把」みたいなイメージが変わった。網の破れた箇所を修理する網仕事では、何回も手本を見せてもらいながら編み方を教えていただいたが、全然うまくできなかった。
 また、網洗いの時に何時間もかけてきれいに汚れを落としていたり、網上げの前に網に引っかかった藻や魚を1つずつ外している様子などを見ていると、仕事がすごく丁寧で繊細だし、手先もかなり起用だな。と思った。


網仕事に大苦戦する僕。手に握っているオレンジのものが、”あばり”という網を修理するのに使う針のような役割を果たす道具。
網洗いの様子。2~3時間ほどかけて丁寧に汚れを落としていく。
網上げの様子。自分が触っているのは網のどの部分なのかまったくわからなかった。
”サツマ”と呼ばれる編み込み。1箇所も結ばず編み込んだだけなのに、引っ張っても絶対にほどけないという漁師さんの不思議な技。


小型定置網漁師、佐々木一成さん。


一番右でピースをしている方が一成さん。


 佐々木一成さん。僕にいろんなことを教えてくださったり体験させてくださった、丸共丸(小型定置網の船)の船頭さん。漁の様子や魚の捌き方をYouTubeにUPしている、“漁tuber”でもある。
 高校を卒業してすぐに漁師になることを夢見ていたが、「同じところにいると考えやものの見方が凝り固まってしまうから。」と親に勧められて関東圏の大学へと進学し、水産について学んだ。卒業後は1年間魚屋に勤めた後、漁師となった。
 話してみるととても人当たりが柔らかくて、冗談も言う。その一方で、貧困や男女平等といったディープなことも考えている。僕が勝手にイメージしていた、「無口」とか「気難しい」みたいな漁師さん像とは全然違っていた。

一成さんに連れて行っていただいたにかほ市の観光名所、元滝。海もあって山もあるにかほ市はほんとに自然豊かだった。


 初めて腐ったイワシの臭いを嗅いで参っていたとき、一成さんに「刺し網はもっとキツいよ笑。知り合いがいるから乗せてもらったら?」と勧められたものの、すっかりその臭いにやられた僕は頑なに遠慮していた。
その帰り道、

「人から聞いた話で決めるんじゃなくて、実際に自分で足を運んで、自分の目で見て、体感してみるといいと思うよ。そしたらもっと見る世界は広がると思うなぁ。」

と言われた。この言葉は結構グサッときた。
確かに僕は、自分の勝手なイメージだとか人伝いに聞いた話を鵜呑みにしてしまうところがある。
だから、色々なことに対して「とりあえず行ってみる」とか「とりあえず見てみる」みたいな「とりあえず」の姿勢って大事だな、これからも大切にしていきたいな、と思った。


一成さんが描いてくださった小型定置網と底建網の図。網上げのときに「なにがなんだかわかんない…」と言っていると、一成さんが番屋で丁寧に網の仕組みとか構造について教えてくださった。
作業の合間の休憩所として利用される“番屋”という建物の中。ここで網の仕組みについて解説していただいた。


「漁業」「漁師」って、その一言でまとめきれない。


 ここまで綴ってきたように、漁業と言っても漁法をはじめ作業内容や出漁日数、楽しいことだったり大変なこと、そして漁業を営む“人”などいろんな要素がそれぞれ違っていて、「漁業」という言葉だけでは何一つとして説明できない。船1艘、漁師さん1人ごとにそれぞれ違っている。

 
にかほに来て底引き網と小型定置という2つの漁業を見させてもらって、栄治郎さんや一成さんという漁師さんたちに会ってみて初めて、今まで漁業とか漁師さんっていう職業を勝手に決めつけていたな、と思った。
 漁業っていう1つの言葉の中にもいろんなやり方があることとか、漁師さん1人1人にはその人の人生とか、想いがあるんだな、と思った。


 そしてこれもほんの一部に過ぎないのかもしれないのだろうけど、新しい漁業を知って、その幅広さとか全然違うことにワクワクしたし、おもしろいと思った。
 同時に、漁業は知られていないことがすごく多くて、たくさんの人が単純に知らないが故に、個人的な思い込みによる漁業とか漁師さんに対するハードルの高さとかとっつきにくさが残っているような感じがした。

知らなかったことを知るのってすごく刺激的で、おもしろいな、と思った。


 栄治郎さんはじめ佐藤家のみなさん、隆栄丸の乗組員のみなさん、そして一成さんはじめ丸共丸・春光丸の乗組員のみなさん、お世話になりました。
本当にありがとうございました。



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