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ホタテ養殖のインターンから「生き物」を感じ、生きることを考える。|生きる行脚#5@岩手
僕は大学で学んでいることや「大学」という環境、自分の将来のことなど、いろんなことについてとにかくもやもやを感じていた。
そんな中REIWA47キャラバンでの株式会社ポケットマルシェ(現:株式会社雨風太陽)のCEO、高橋博之さんとの出会いをきっかけに、大学3年生(2021年度)の1年間を休学し、日本各地で一次産業を生業とされている方の隣で一緒に作業をさせてもらう旅、「生きる行脚」をすることを決めた。
生きる行脚とは、一次産業を生業とされている日本各地の漁師さん・農家さんのところに住み込みで1週間~1か月ほど滞在し、漁師さん・農家さんが普段やっているようなことを隣で一緒にやらせてもらう修行の旅である。
一次産業という産業のなかで物理的に命を扱ったり命と向き合ったり、一次産業を生業とされている方の生き様などを通して「生きる」とはどういうことなのかを感じたり、考えるため、2021年の3月8日(火)から2022年の3月28日(月)までのおよそ1年間、この「生きる行脚」を実施した。
このnoteでは、この1年間で日本各地の漁師さん・農家さんのところへ行かせていただいたときに僕が見てきた景色や、僕が感じたことや思ったこと、考えたことを綴っている。
「三陸でやってるホタテの養殖は面白そう。」という話を風の便りに聞いて(たぶん秋田の漁師さんが言ってたような気がする…。)、「ホタテかぁ。魚とはまた違った、じっとしてる海の生き物も見てみたいかも。」と思いやって来た、岩手県大船渡市三陸町越喜来。
ホタテの耳吊
僕が行かせていただいたときはちょうど1年の中でもトップクラスに忙しい、「耳吊」という作業を行う繁忙期と重なっていた。
耳吊を簡単に説明すると、稚貝(貝の赤ちゃん)の状態から1年ほどカゴに入れて育てたホタテをカゴから出し、「耳」という部分にドリルのような機械で穴を開けて“かえし”の付いたプラスチック製の糸を通し、ロープに結んで再び海に吊るす作業だ。
朝4時、夜明けと共に出港し沖へと向かう。船を走らせること約5分、沖に着くとホタテの入ったカゴを船に付いたローラーのような機械を使って巻き上げ、カゴに入ったホタテを取り出していく。全てのカゴを上げて港に着くとホタテに付いた藻や貝をナタで叩いて落とす係、耳の部分に穴を開ける機械にホタテを通す係、穴の開いたホタテに糸を通す係、というように分かれて作業を行う。そして全てのホタテをロープに掛けたら再び海に吊るしに行く、というのが一連の流れだ。
いろんな作業をやらせていただいたけど、その作業でもお母さん方の手を動かす速さには勝てなかった。特に穴に糸を通すときのお母さん方のスピードは凄まじかった。僕が1枚通すのに苦戦している間に、4~6枚くらいのホタテに糸を通してしまう。僕としては負けじと手を動かして熾烈な戦いを繰り広げたつもりでいたが、長年この作業をやってきたお母さんたちには全く歯が立たなかった。
そして、ホタテを観察していると結構貝を開いたり閉じたりして動いていることに気づく。今回お世話になった漁師さんの中野 圭さんによると、ホタテはストレスを感じると貝を閉じたり開いたりして泳ぐ、とのことだった。僕の中でホタテは海底で動かずにじっとしているものというイメージだったので、「え、ホタテってこんなに動くもんだったんだ…。れっきとした生き物じゃん…。」と思った。
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ウニ
滞在させていただいた8日間のうち、2日だけウニの「口開け」(ウニを採っていいですよ、と漁協から許可が下りた日。)に遭遇した。箱めがねで覗きながら5mくらいある長い棒を使ってウニを採るらしいのだけれど、波がほとんど立っていないとか、透明度が高い、みたいないろんな条件が揃わないと口開けにならないのだそうだ。また、1艘の船に乗れる人数やウニを獲って良い時間なども厳格に定められている。そんな様子から、ウニはかなり数が限られた稀少なものであるということを知った。
港では獲ってきたウニの殻を割ってピンセットを使って内臓を取り出し、殻から身を剥がす「身剥き」という作業が行われる。秋田の小型定置網の漁師さんのところで網仕事をやらせてもらったとき、「漁業っていっても手先を使う繊細な作業ってあるんだなぁ。」って思ったけど、まさかピンセットを使って作業することがあるとまでは思っていなかったから、「えぇ!? 漁業でピンセットなんて使うの!?」と驚いた。
また、「ウニって棘の間から吸盤出して移動すんだよぉ~!バケツに水入れてウニ入れてみな~。」とお手伝いに来ていたお母さんから聞いたときは衝撃を受けた。すぐさま洗面器に海水を張り、ウニを入れてみた。すると、本当に棘と棘の間から吸盤の付いた触手が伸びてきて、ウニがゆっくりと動き出した。「ウニ! れっきとした生き物だったんだな~。動いてる~!」と感動していると、圭さんに「吸盤が貼り付いて岩から剝がれないこともあるよ。あと、カゴのロックが1箇所だけ掛かってなかったら中に入ってたウニが隙間から全部逃げてたこともあるし。」と教えてもらい、「ウニ…、すごいな…。なかなかやるな…。」と思った。
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ホタテと貝毒
そして最終日。ちょうどこの日から出荷作業が再開した。深夜0時半、港を出て沖へと向かい、ホタテを上げる。港に帰ってくるとホタテに付いた小さなホヤや藻をナタで叩いて落とし、細かな汚れを落とす機械に通していく。そして5時くらいになったら出荷のトラックに積む、というのが一連の流れだ。
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ホタテは水温の低い環境に生息する生き物であるため、日本で養殖が行われているのは北海道・青森・岩手・宮城の4道県のみだ。
そのうち岩手県の生産量は最も少なく、作られているのは味が濃くよりおいしいとされるベビーホタテ(僕たちがスーパーなどで目にしているホタテの多くはこっち。)ではなく、通常の大きいホタテだ。しかし、世界三大漁場の1つである三陸の海とリアス式海岸という地形の恵みを受けた岩手のホタテは大きくなっても味がぼけることがなく、おいしいのが特徴だ。
しかしホタテは、1年中いつでも食べられるという訳ではない。
貝毒だ。貝毒というのはホタテが毒を持ったプランクトンを餌にすることでホタテの身に毒が蓄積される現象で、越喜来ではここ3,4年で長期間の検出が見られるようになった。それ以前は年に1週間ほど検出されるくらいですぐに収まっていたが、近年は4月下旬から10月下旬辺りまで基準値を上回り続けており、出荷の足かせとなっている。
越喜来では、1本上がるか上がらないかというレベルでしか獲れなかったキングサーモンという魚が20本近く上がるようになるなど、獲れるはずのない魚が獲れるようになったりしている。「温暖化の影響かどうかは分がんねけど、海がおがしくなってんだべなぁ。」とお手伝いに来ていた方は言っていた。
貝毒は麻痺性の毒で、火を通しても消えることはない。しかし、貝柱に毒は蓄積しないということは分かっており、県知事の認可を受けた加工場で処理された貝柱であれば出荷することができる。つまり、扱いとしてはほとんどフグと変わらない。ただ、ホタテがフグと大きく異なるのは、貝毒が検出されるとホタテは価格が下落してしまうという点だ。ホタテは毒を持つことがある、との認識が広まっていないがために価格が下がってしまうそうだ。こんな現状を変えるため、圭さんは“ホタテをフグにするプロジェクト”を普及させていきたい、と話してくださった。
洗濯から考える。
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洗濯機がない、と聞いたときは一瞬目が点になった。手で洗濯なんてしたことがなかったので、「どうやるんだろ?」と思いつつお湯に石けんを溶かしてそれっぽくやってみた。「昔の人たちはみんなこんな風にして洗ってたんだろうなー。」とか思いながら手を動かしていると案外楽しかったし、自然に囲まれながらそんな非日常的なことをしていると、「なんかもう、便利とか不便とかどうでもいいや。」という気持ちになった。
雲1つない青空が広がって、太陽の光が降り注ぐ。高くそびえ立った山が越喜来湾を包んで、太陽の光を受けた海がきらきらと穏やかに輝く。そして、鹿などの野生動物は平然と道路を横切っていく。
時間を忘れて、頭が空っぽになるような、気持ちのいい自然があった。
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今、世の中にはたくさんの便利なものがあって、僕たちの日常は満たされていると思う。ボタン1つで洗濯機が乾燥までしてくれるし、電子レンジでチンすればあったかいご飯を食べられる。洗剤を1プッシュして数分間おいておけば、皿や風呂の汚れは自然と落ちている。すごく便利だ。
だけど、効率と引き換えに動物的な感覚とか、本能的な営みを失っている気がする。
ご飯を作るとか、身の周りをきれいにする、人間が生きていくために必要な1つ1つの営みって、正直めんどくさいと思う。だけど、そういう営みを自分でやるからこそ疲労感とか達成感を感じられて、それが充実感につながってると思う。
ずっと昔の時代には、自分の手で食べ物を作って、自分の手で生活に必要なものを作って、掃除も洗濯も炊事もとにかく全部自分の手でやっていたと思う。そんな風に、生きるのに必要なことだけで1日が終わるというか、1日1日を懸命に生きていたような時代の人たちは、すごく生き生きしてたんじゃないかな、って思う。
現代では、効率とか合理性がすごく重要とされている。だけど、その先に生きる営みを犠牲にするほどの何かがあるのかな、って僕は思う。僕たちは死んだ魚みたいな目をするようになって、プログラミングされたことを脳死で実行するだけの機械みたいになっているような気がする。
たぶん、充実感とか幸福感って、効率だとかモノが存在していることだけでは説明しきれないんじゃないかな、って思う。モノがあることとか便利なことは確実にありがたいことだとは思うんだけど、そのことと充足感とか幸福感が比例すると限らないんじゃないかな、「めんどくさい」ことって実は生きる糧になってるんじゃないかな、と思った。
〈番外編〉 歩くラジオ
「飛び込んでいくことに躊躇するのはだいぶ薄れたと思います。専門っていう枠というか、囲いみたいなものは気にならなくなったような気がします。」
越喜来にいて高橋博之さんの「歩くラジオ」で高橋さんとお話させていただいたとき、高橋さんからの「漁師さんや農家さんのところへ行くようになって、自分の心持ちとか考え方とかで変わったと思うことって何?」みたいな質問に対して、確か僕はそんな風に答えたと思う。
「専門じゃないから…」と言って自分を押し殺してしまったり、新しい世界への入り口に自ら鍵をかけちゃう人って多いんじゃないかな、って思う。
大学に入るときは一度、学部とか専攻っていう囲いの中に入らざるを得ないけど、その檻の中に自分を閉じ込めておかなくてもいいんじゃないかな、と僕は思う。
農学部とか水産学部ではない、一次産業とは関わりのない学部の人が一次産業の世界に足を踏み入れてもいいと思うし、一次産業と関わりのある学部の人が別の世界に入って行ってもいいと思う。分野とか専攻の境界線みたいなのが取っ払われるというか、もっと曖昧になってもいいと思う。
「でも知識とか全然ないしなぁ…」とか思ってる人は、そのままでいいんと思う。
何にも染まってないまっさらな自分だから、実際にいろんな話を聞いて、いろんなものを見て、いろんなことを体験したときにいろんなことを感じて、感動できるんだと思う。
勉強してから…、とか考え始めるとどこから手をつけるとか、何を・どれくらい勉強すれば良いのかとか分からなくなって、ただ立ち尽くすというか、そこから1歩も動けずに時間だけが過ぎていくし、中途半端に知ってると「あぁ、ネットで見たあれね。」くらいで済まされてしまって、そこに感動はないんじゃないかな、って思う。
何もないまっさらな自分だから、心を震わせられる。そしてそこでの感動が、その後の自分を作り上げる原動力になるんだと思う。
実際、僕は農学部で水産とか漁業のことを何も知らなかったし、勉強したこともなかった。だけど、ここまで漁業の現場だけを渡り歩いてきた。
こんな風に、飛び込んでしまうとあれよあれよという間に、自然と事が進んでいってしまう。だから人生はおもしろいのだと思う。
そして、みんながやりたいことをやってそれぞれが輝き出したら、もっと生き生きとしていて、生気溢れた世の中になっていくんじゃないかなぁ、と思った。
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インターンを受け入れてくださった圭さんはじめお母さん方、貴重な体験をありがとうございました。
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