マガジンのカバー画像

感謝!画像を使っていただいた作品

105
みんなフォトギャラリーに投稿し,note内で使用していただいた作品集です。ありがとうの感謝をこめて
運営しているクリエイター

#自己肯定感

気持ちの良い晴れ間

皆さんの場所がどうだったか知り得ませんが 今日はいい天気だった 「今日はいい天気だ」 と何度つぶやいただろうか? それぐらい気持ちのいい天気だったので 外に出て公園でも行って 青空の下運動してみたり ベンチでゆっくりしてみたり 近場をドライブしたり カフェでお茶したりしました と言えればよかったのですが、引きこもりです まったく外に出ることなく 親の髪の毛を切ってあげて、ボードゲームで遊びました 空の天気に言わせれば、なんてもったいないのでしょうか 通常運転、そんな

他人の基準にとらわれている自分(旧:やりたくても躊躇すること)

自分はなぜこんなに生きにくいのか? その理由を考えてみた。 真っ先に頭に浮かんだのは、「こんなことをしてはいけない。」とか、「こんなことをしたら、他人からどう思われるだろう。」ということを常に意識しているから。というものである。 他人から見たら、「そんなのどっちでもいいじゃん。」と思うようなことでも、自分はそう受け流すことができない。 簡単な例を挙げると、自分は自分の事を、会社などの公の場で「僕」ということが出来ない。それから、家族との間で、自分の事を、「俺」ということ

大人の学び(心の矢印)

偉い人とか、賢そうな人、意識高そうな人が… 『死ぬまで学びです』 とか言ってないですか? カッコイイ…でも私みたいな凡人は… 『何をどこから学べば、幸せになれるの?』 と思って、ずっと手段や、学びの入り口を探してました。 更に、厳密にいうと、成功者を羨ましく思いながら… 『ストレスなく沢山のお金稼ぐ』=幸せ→その為の学び と考えていたんでしょう。 適応障害になって 適応障害になったことで一日中 死にたい、死にたい、死にたい。。。 と思ったり、考えること

「超人」は他者にも寛容である。

 昨日一昨日と自分が知っている範囲のニーチェ哲学についてのnoteを書かせて頂いた。その中で登場する「超人」の事を僕は「全てを肯定して、そしてニヒリズムには陥らずにそれでも全力で自己鍛錬出来る人」と解釈しているのだが、同時に「自分の失敗や足りない部分も肯定できる人」とも解釈している。そう考えると「超人」は他者や環境にも寛容であると言う事になる。  全てを肯定して受け入れる。その中で他者にも寛容であり続ける。それが結局は自己肯定感の高い状態であり、その中で粛々と自己鍛錬してい