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“悪い思いやり”は反省の機会を妨げる

この世に絶対悪なんてものはありません。

たとえば嘘をつくのは悪いことですよね。
でも “どんな状況でも常に必ず絶対に” 悪いことでしょうか。
つまり、生まれてから死ぬまで1度たりとも一切確実に嘘をつかなければ、その人は最高の人生を送れるのか、ってこと。

そんなことはないですよね。
むしろ絶対かつ頑なに嘘をつかない人は、トラブルの多い人生を歩みます。
同じように、普段我々が “絶対善” だと思ってるものの中にも、負の側面はだいたいあるものです。

“思いやりの心” を持つこと自体はいいことですが、それがプロジェクトを失敗に導く。
“思いやりの心” が、むしろメンバーの心にダメージを与えてしまう。
みんなが思いやりの心を持っている職場だったがために、チームの成長が止まってしまう。
とかとか。
そんな状況が、世の中にはあるのです――。

皆さん、いつもお読みいただきありがとうございます。
または初めての方も、この記事を見つけてくださり嬉しいです。

私は、俗にいうエンジニアなるお仕事をしております中島と申します。
この 絶対バグらないシステム作ろうぜの会 では、バグの出ないシステム・問題を起こさないチーム運営のやり方などを、なるだけ面白く・分かりやすくお伝えする主旨で記事を配信しております。


1. 業務改善フレームワークが上手く回らない会社で起こりがちなこと

世の中には様々な業務改善フレームワークがあり、中には業種を問わず使えるものもあります。
PDCA、OODA、KPT とかとか。

反面、これらのフレームワークを導入はしたものの、「なんかよく分からんけど上手く回らない、、、」ってのも “あるある” だったりします。
中でも、「具体的に改善しなきゃいけない」内容をみんなが正確に理解しているにもかかわらず、それでも改善できないことがあると、そのような問題を抱えたチームで働くメンバーのストレスはどんどん溜まってしまいます。

たとえば顧客向けにWebサービスを販売している会社Aがあったとします。
その会社では、

  1. 広報チームがリード顧客を探してくる

  2. 運営チームがトライアルを促す

  3. 営業チームがクロージングする

  4. 開発チームがサービスを改善する

たとえばザックリこういう流れだったとします。

このとき、この会社に『誰かが失敗したらみんなでフォローし合おう』という風潮があって、かつ、この言葉をみんなが過剰解釈しまくったらどうなるでしょうか。
しかも、社員はみんな思いやりの心の強い人達ばっかり、として。

  • 営業チームがクロージングに失敗したので、
    そのフォローのために開発チームが顧客の無茶振りに答える

一例ですが、こういうのが日常茶飯事になるでしょうね。
なぜならその会社では、誰かが失敗したら、みんなでフォローをするのが当たり前だからです。

そもそもフォローは、誰かが失敗してからでなければできません。
ですから『みんなでフォローし合う』という社風は、全員が平等なようでいて、実は後ろの工程にいる人の方が負担が大きいんです。

上記のような『広報』⇒『運営』⇒『営業』⇒『開発』という流れで動く会社では、営業チームが失敗するとそのフォローは必ず開発チームがやることになってしまうし、なんなら開発チームは 広報・運営・営業 の全チームの失敗フォロー係になってもしまいます。

“人間みんな持ちつ持たれつ” の意識が強い人は、こういう「普段はフォローに周りがちな人をどうフォローするか」って視点は抜けてたりします。
大きな会社では『開発』チームの後ろに『サポート』チームがいて、そこが全ての失敗の受け皿になっていることもあります。
ちなみにですけど、とりわけ将来お嫁さんが欲しい人なんかは、『持ちつ持たれつの関係は決して平等じゃない』ことを覚えておいた方がいいかもしれませんよ。
夫婦関係ってのは、どっちかがもう片方のフォローを常にやっている状態になると破綻するのでね🤔

で、この状況を業務改善しようとしたとします。

  • 開発チームがフォローのための開発に追われていて、
    システムの改善が出来ていない
     ⇒ なんとかしよう

ってことになりました。
まぁ、なんせこの会社Aの人達は思いやりの心にあふれています。
なので「なんとかする」ことそのものに反対する人は誰もいませんでした。

ですが。。。
実際には反省会は実施されませんでした

これはあくまで私個人が過去に遭遇した事例で、もしかすると一件症例だったのかもしれませんが、社員がみんな思いやりの心の強い人達ばっかりだと『他人に反省させる』というアクションがとれなくなることがあります。
なぜって、思いやりの心を持つってことは、程度の問題こそあれ『他人の問題を自分が何とかする』こととある程度同義だからです。

思いやりの心が過度に強すぎる人の中には、『自分以外の人間はミスなどしたりしない。ミスをするには常に自分』という前提で行動している人が実は結構いるものです。
そういう人の理屈でいくと、

「他人の失敗はフォローするのが当たり前で、それってつまり世の中の全てのミスは私のものだ」

ってことになるんです。
だって、誰が失敗していようと、そのフォローをするのは自分だからです。
つまり誰が失敗しても「失敗したのは自分だ」と認識してしまうことになります。

この架空の会社Aは社員全員が思いやりの心の強い人達ですから、ゆえに「反省会など開いたところで自分が責められるだけ」とみんなが思ってしまうことになります。
ですから、反省会の必要性をみんなが認識していながら、誰も反省会を開こうとしなくなってしまいます。

現実問題として、世の中の大部分の会社は『問題だらけだけど何とか回っている』状態のはずです。

ですが、社員が率先して反省会を開く企業が、実際どれくらいあるでしょう。
ほとんどないんじゃないですかね?
問題だらけなのに?

つまりこの架空の会社Aが抱える問題は、決して非現実的なものではないってことです。

2. フィードバックを受けるたびに心にダメージを追う人がやるべきこと

反省会の必要性を認識していながら多くの人がそれをできないってことは、反省すると心にダメージを負う人がそれだけ多いことの表れでもあります。
数ある反省会の中でも、とりわけみんなが心中で嫌っていることが多いのは “フィードバック面談” ではないでしょうか。

チームリーダーなどから、自身の働きぶりについて、反省点をリストアップしてもらうための会ですね。
本当にただツラいだけの時間、と感じることも多いでしょう。


ところでなんですけど、、、
フィードバック面談が嫌いな方々にちょっと質問。

フィードバック面談は “反省会” ではないって、気づいてました?

だってそうですよね。
フィードバックというのは、自分の行動結果が客観的にはどう見えているかを教えてもらうことをいいます。

これは人間同士の面談に限らず、スマホや自動車に搭載されたフィードバックシステムでも同じことです。
フィードバックとは、自分の行動結果を客観的に判断するための材料、という意味の言葉です。

それから一般論的な事実として、全ての人間は良いところと悪いところを半分ずつ持っているはずです。
良悪に多少偏りはあったとしても、悪いところしかない人、良いところしかない人、なんてのはありえません。

事実として、そんな人はいないんです

、、、てことはですよ?
フィードバック面談が “自分を客観的に見る会” であるためには、“褒め言葉を半分、反省点の指摘を半分もらう会” じゃないとおかしいと思いませんか?

いったいいつから、
反省点しか言ってもらえないと、
錯覚してました?

、、、ま、これは割と分かりきってますよね。
人をけなすことしかできない老害上司に当たっちまったあの日からです。

ですからフィードバック面談で、もし褒め言葉を何ももらえなかったとしたら、確認すべき点は2つです。

確認項目1. 本当は褒め言葉をもらっているのに、それを聞き流していないか

悲観的な考え方の人は、自身に対するポジティブなフィードバックを無視したり、悪い意味に無理やり再解釈したりする傾向があります。
とりわけ鬱病になりかけている人は、その傾向が顕著になります。

そういう人は、“ポジティブに捉えられるなら無理やりでもポジティブに捉える” という気持ちが必要かもしれません。
あるいはどうしてもそれができないときは、「それは反省すべきという意味ですか?」等と実際に聞いてみるのもいいかもしれません。

また、メンバーにそういう考え方の人を持つリーダーは、「これは褒め言葉だけど」「これは反省点だけど」と、はっきりと告げることが重要です。

鬱病になりかかっている人というものは、耳から入ってくるありとあらゆる言葉を「自分を貶すものだ」と捉えるものであって、これはその人の性格の問題ではありません。
人間の脳は、鬱病になるとそういう動作をしてしまう、構造上そういう仕組みになってるんです。
鬱病の人が何でもネガティブな捉え方をしてしまうことは、本人の意思で何とかできる類のものではありません。

昨今、おじさん向けのZ世代との付き合い方をテーマにしたビジネス記事の中に、“Z世代を人前で褒めてはいけない” というTIPSが書かれていることがあります。
さも「昨今の若者はみんな、褒められると落ち込む」と言わんばかりの内容です。

が、ぶっちゃけ完全に間違いです。
鬱になりかかってる人は褒められても落ち込む” ものであって、それは世代に関係なく誰でもそうです。

確認項目2. フィードバック面談のはずなのに褒めてもらえない場合: 今のチームとのアンマッチを疑う

良いフィードバック面談とは、褒め言葉を50%、反省点を50%もらえる会のことです。

もちろん多少偏るのは仕方ないかもしれませんが、
  “褒め言葉20:反省点80”
  “褒め言葉10:反省点90”
とか、あるいは逆に
  “褒め言葉90:反省点10”
みたいに極端に偏っているときは注意が必要です。

なおかつ、それが自分の捉え方の問題でなく客観的にそうだと言い切れる場合は、今一緒にいる人達と馬が合っていない可能性を疑った方がいいかもしれません。

そもそも人間は、褒め言葉と反省点を半々ずつもらわないと成長できないのであって、霊長類ヒト科の生き物は元からそういうものです。
世の中には「だって悪口しか出てこないんだもん。俺に悪口を言わせないように行動しろよ」といった理屈で部下を貶すことしかしない安直な上司もいて、そういう人はそもそも人の上に立つ資格なんてなかったんです。

仮に上司自身がそういう愚かな人ではなかったとしても、万が一自分にその人から見た良いところが何もないのだったら、その人と一緒にいる意味がないことにもなりますよね。

そういうときは配置換えを希望したり、または何らかの手を考えるべきでしょう。

世の中には『置かれた場所で咲きなさい』なんて言葉もあるようで、もちろんたまたま置かれた場所で綺麗に咲く努力は大事かもしれません。
が、より良い暮らしをしていくためには『自分を欲してくれる人のところで咲く』ことも同じように重要なんです。

どっちかじゃないんです。
両方大事なんです。

3. 業務改善フレームワークを正しく回すためのメンバーの鍛え方

互いに思いやりのありすぎるチームでは、「言ったら相手が傷つく」ことを互いに警戒して業務改善ができなくなります。
それは罵倒が飛び交う職場よりは多少マシかもしれません。
が、みんなが発言1つ1つにやたら気を使っていて居心地が悪いという意味では、大して違いはありません

無論、本当の意味で無遠慮・無礼講にとにかく何を言ってもいい職場を作ることはできないし、そこまでやっちゃったらむしろ人としてダメです。
でも、だからって互いが互いを警戒し合って何も言えない状況というのも、決して健全ではありません。

業務を改善していくためには、互いに適切な発言を、適切な量だけできる雰囲気作りが必要です。
「ここまでなら言っても相手は傷つかない」とみんなが互いを理解しあっていることも、いわゆる心理的安全性の高い職場を作るうえで重要です。

そういうチームを作っていくためには、以下のような訓練が必要なのではないでしょうか。

1. メンバーのメタ認知能力を鍛える

世の中には、ただ仕事のやり方について指摘しただけなのに、「そんなこともできない自分はダメなヤツなんだ」と落ち込んでしまう人もいます。
そういう人は多くの場合、言っちゃダメなことを平然と言ってしまう心無い親族・先生・上司等に当たってしまった経験があります。

そのようなメンバーが多いと気づいたときに、リーダーや上司が「個人的な心のケアは自分の仕事じゃない」などと思っていたら、割とすぐにチームの成長は止まってしまいます。
こうしたメンバーには、

  • 『仕事の方法論について注意を受けること』と
    『人格を否定されること』は全く違う

ことを学ばせなければいけません。

言葉にすれば全然違うことが一目瞭然かもしれませんが、世の多くの若者は実際のところ、この2種類の注意の違いを認識できていません。
受けた注意をとにかく何でも人格否定と受け取ってしまう人は、仕事のやり方に対する注意を、そんな簡単なことも分からない自分への戒めと受け止めるケースが多いのです。

言い換えれば、『仕事に本気で向き合うだけのスキルがまだ育っていないのに』『過度に仕事に向き合いすぎている』ともいえるでしょう。
心から仕事に向き合っているからこそ、仕事に対する注意なのに自分の心への注意と受け止めてしまうのです。

こういう系統の人は、仕事という概念を客観的に捉える訓練が有用です。
仕事に関する注意は、あくまで『仕事中の行動』という表面的なものに対する注意であって、表面的な行動を表面的に修正すれば怒られなくなるんです。
そのことを教え、そのように捉える訓練をさせます。

また注意を行うリーダーにも、注意は表面的な行動に対してのみに留め、不要な人格否定をしない訓練が必要なこともあるでしょう。

とりわけ「おまえは失敗が多いから心を入れ替えろ」などと言ってしまう人や、仕事に向き合う姿勢に対して注意しがちな人は要注意でしょう。
入れ替えなきゃいけないのは仕事中の行動であって、心ではありません。

これらの訓練はちょうど、『仕事中は仕事人という演技に徹する』ことによく似ています。
会社は全て職場という物語の舞台であり、中で働く社員は全て、それぞれの役割を演じているだけの俳優にすぎない、という考え方です。

仕事中に発生する叱責は全て『台本に基づいた行動』に過ぎず、演じている俳優に対する叱責ではありません
心理学者ユングは、人間はこのような舞台演技を日常的に行っていると考え、本人が演じている役割のことをペルソナと呼びました。

何かと傷つきやすい人は、この “ペルソナ” という概念を(知識的にしか)理解していないことが多いです。
そのような人は、“仕事中の自分は仕事人を演じているだけ” と考えるといいのではないでしょうか。

仕事中の自分自身を “仕事人を演じてるだけ” と捉えるとは、つまり仕事中の自分自身を客観的に見るということです。

自分を客観的に見る能力のことを 《メタ認知能力》 といい、怒られてもへこたれない心を鍛えていくために必須の能力です。
つまりメタ認知能力が低いと、怒られたとき心がそのままダメージを受ける確率が高まるってことです。

またメンバーのメタ認知力を鍛えていくためには、リーダーにもやはり高いメタ認知能力が必要になります。
仕事という舞台を成功させるために “叱る演技をする” という意識が必要で、そういう意識の低い人は、無意識のうちに人格否定するようなことを言ってしまいやすくなるのです。

2. 反省会を定例化する

人間にとって一番のストレスは、何よりも “予想外のトラブル” です。
世の中には多くのストレス源がありますが、予想していなかったトラブルが突然やってくることほど心理負担の大きいものはありません。

反省会を不定期に行うと、たまたま忙しかった人などが『開催を予想できていなかった』ケースが増えてしまい、彼らの中で反省会が予想外のトラブルであるかのように感じられることがあります。
そうなってしまうと、反省会はそれらの人々にとって負担でしかなくなります。

そうならないためには、規模は小さくてもいいので反省会は定期的に行う方が有用です。

また、思ったことを思ったままに口に出すメンバーが多い場合、発言内容も定例化する必要があります。
人間は、他人の良いところよりも悪いところの方に目が向かいやすいため、ですから「はい、反省点を何か指摘してください!」と咄嗟に振られれば、出てくる言葉はほぼだいたい悪口です。

反省会が “不定期に突然やってきて、悪いところを掘り返される会” になってしまったら、そんなの誰がやりたがるんでしょう。
そんなのやりたがる人が仮にいたら、その人は間違いなく心が歪んでいます。

そもそも、人間は “良いところを伸ばす” ことで成長する生き物です

悪いところを直すのは、あくまでも状況をこれ以上悪化させないため
それは成長ではありません。

世の中には「欠点をなくしていくのも1つの成長の形」という考え方の人もいるかもしれませんが、残念ながらその考えは現在の経済社会とはマッチしません。
通常多くの場合、いわゆる市場価格と呼ばれるものは、良い個性の抜きんでた部分に出るものだからです。
なので、良いところがとりたててない人物は、無難で欠点が特になかったとしても市場価値は 完全に0 です。
世知辛い話ですが、今の社会はそういうふうに出来ています。
ですから反省会は “よかったところを褒める会” にした方が有益なんです。

意識的に褒め合うのが難しければ、KPTフレームワークを使うのもいいでしょう。

  • Keep
    これからも継続すべきこと

  • Problem
    問題だったこと

  • Try
    挑戦したいこと

これらを各人に2~3個ずつ考えてもらい、発表し合うだけでも意識の交換は行えます。

またこのときもし、「良かったところを褒めるなんてバカバカしい」という意見が出た場合、それを言った人は個別対応が必要な可能性があります。
良いところが見えず、世の中(あるいは自分の周囲)の悪いところにばかり目が行って、良いところに目を向けることを拒否するのは鬱の症状です。

これは、他人が幸せになっていくところを見るのを気持ち悪く感じたり、リア充どもに実際に憎しみを覚えているときも同じです。
「『リア充爆発しろ』くらい誰でも言うじゃないか」と思うかもしれませんが、社会全体が声をそろえてそんなこと言うなんて、絶対に正常なことではありません。
リア充が憎いのは鬱の症状です。

あるいは、どうしても褒め言葉が出てきづらい場合、褒め言葉を固定化してしまうのもいいかもしれません。
褒めるのが苦手な人の中には、ユニークな褒め言葉を考えすぎて言葉が出てこない人もいるようですが、昨今のSNSの褒め言葉は「いいね」の1種類だけです。

良いと思ったら「いいね」と言えばいい。
褒め言葉なんてそんなもんです。

褒め言葉が毎回同じだったとしても、褒められて喜ばない人なんているわけないんだし、褒められればそこを伸ばそうと努力するのが人間というもの。
それが、チームを成長させていくために大事なポイントなんじゃないかなと、私なんかは思うわけです。

ではまた。

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