「仕事なんてやりたくてやってるわけじゃない」と思う人が勘違いしてること
質問。
あなたは今、やりたくて仕事をやってますか?
そのように聞くと、一部からは「そもそも労働それ自体が、別にやりたくてやることじゃないでしょ」という声が聞こえてきそうです。
まぁ、それも正論かもしれません。
ですが、もし、、、、もしですよ?
その考えが見方の1つにすぎず、実は全ての人間が『働きたくて働ている』のだとしたらどうでしょうか。
そのように考えることが可能だったとしても、それでもあなたは『イヤな気持ちでい続けたい』ですか――?
――いつもお読みいただきありがとうございます。
または初めての方も、この記事を見つけてくださって嬉しいです。
私はエンジニアの中島といいます。
サカバンバスピスの物まねが超うまいと妻から評判の今日この頃です。
この 絶対バグらないシステム作ろうぜの会 では、バグの出ないシステム・問題を起こさないチーム運営・AIには作れない設計論などのコラムを、なるだけ面白く・分かりやすくお伝えする主旨で記事を配信しております。
1. 家事はやりたくてやることじゃない?
日本全国でよくあるであろう、夫婦の会話の例。
妻が夫に向かって「なんで家事を手伝ってくれないの!?」と文句を言ったとします。
すると夫はこう返したとします。
「だって、やりたくてやってるみたいだし、手を出しちゃ悪いと思って」
とりわけ共働き世帯の方々におかれましては、ダンさんにこないなこと言われたら、ハラワタ煮えくりかえることとご拝察申し上げます。
いったい何のどこをどう見れば “やりたくてやってるように見える” のやら。
「お前の目はアロワナか!!」と叫びたくなるんじゃないでしょうか。
ですがこちら、非常に残念ですが、実は夫側の認識の方が正しいんです。
、、、あ、いや失礼。
別に正しいわけじゃないですね。
こんなん別に正誤じゃないので。
正確には、「妻は家事をやりたくてやっている」と考えることは、
実は “十分に理に叶ってる” んです。
え? どゆこと? どういう理屈?
はい。例によって根っこは非常にシンプル。
“いったいいつから、磯野君が素振りを好きでやってると錯覚していた?”
2. 野球やりたくて仕方ないマンのケース
ここに、野球が物凄く大好き大好きで仕方ない人がいたとします。
名前は山本君でも大谷君でも何でもいいんだけど、仮に磯野君とします。
磯野君は、それはそれは物凄く物凄く物凄く野球選手になりたかった。
だから彼は一生懸命、それはそれはもう超ハードな練習を365日。
1日も欠かさず “ずっ~~~~と” やってました。
どれくらいハードな練習だったか?
イチローがアメリカからわざわざ来日して「もうやめろ」と注意していくくらい、とにかく誰が見ても度を越した基礎練をやっていた、としましょう。
よく考えてみてください。
磯野君は以下のどっちでしょうか?
A. 磯野君は基礎練それ自体が好き
B. 磯野君は野球が巧くなりたいから、仕方なく我慢して基礎練している
ま、常識で考えれば分かりますよね。
“B. 野球が巧くなりたいだけで、基礎練は仕方なくやっている” が正解です。
そりゃそうですよね。
野球はどうでもいいけど基礎練が楽しいんだ、なんて人がいたら、そんなのただのマゾ。
基礎練は野球がやりたいから仕方なくやるんです。
それ自体が目的ではありません。
そうでしょ?
じゃあですよ。。。????
だとしたら、
“周りの人間からはそう見えますか?”
たとえ磯野君自身は、野球が巧くなりたいがために仕方なく基礎練習に興じているだけで、それ自体が目的ではなかったのだとしても、
“周りからは好きでやっているように見える”と思いませんか?
3. イヤイヤやってることが、なぜ周りからは楽しそうに見えるのか
本人は、きつくてつらい練習を仕方なくやっているのに、なぜ周囲からは楽しそうに見えるんでしょうか。
これは『努力』という言葉の定義を曖昧にしたまま会話をすることによって生じる、一種の錯覚です。
努力とは:
目標を達成のために、その手前で我慢して行う行為の総称
です。
大なり小なり何らかの目標があり、それを叶えるために人は努力をします。
これは長期的な目標も、日々のちょっとした我慢も同じです。
メリットがないのにただ我慢だけするなんて、そんなの絶対意味ないです。
そんなことを強要する人がもしいるのなら、今から一緒にこれから一緒に殴りに行きましょう。
これ、主婦も同じですよね。
家を綺麗に保ちたいという目標のために
その手前で我慢して家事をする
んです。
だから、磯野君が素振りを楽しくやっているように見えるのと同じ理屈で、夫からは家事が楽しそうに見えちゃうんです。
実は家事そのものはつらいことを、磯野君の立場から発言したら周りにはどういう印象になるでしょうか。
「好きで基礎練やってるわけじゃない! 少しは理解してくれ!」などと発言したら、周りからはどう受け止められるでしょうか。
「じゃあやんなきゃいいじゃん」って怒られるか、もしくは普通は笑われるだけですよね。
主婦が家事をする場合との違いは、仕方なくやることに “社会的になってるかどうか” の違いだけです。
あ、もちろん言うまでもないですが、サボっても文句言わない旦那さんなのに奥さんが1人でがんばっちゃってる、ってご家庭の場合だけですよ?
『頑張る必要がないのに理由なく無理してる奥さん』なんて絶対少数派だとは思うけど、でもそういうご家庭にかぎっていえば、旦那さんが「何も言わなきゃ手伝ってくれない」のは仕方ないんです。
なぜなら『家の中を綺麗に保ちたい』は奥さん個人の願望であって、人類として思って当たり前のことじゃないからです。
だから “手伝うのは野暮” に見えちゃうんです。
4. あなたは本当に仕事をイヤイヤやっている?
だとすると、旦那さんに自然に仕事を手伝ってもらうために、奥さんはどうすべきか。
ここまでくれば自明の理です。
家の中を綺麗に保ちたい、という気持ちが自分個人の欲求だと気づく
欲求を満たすのは楽しくても、その手前の努力はつらくて当然と気づく
旦那さんが同じ欲求を持ってくれるよう、できることは何でもやって本人の意識を変える
これで、“家事を2人で楽しくやる夫婦” という理想像の出来上がりです。
もちろん理想像なだけで現実にはいろいろ困難もあるでしょうケド。
仕事も同じですよね。
あなたは日々の仕事を「つらいし、できればやりたくない」と思っているのかもしれません。
ですがそれと同時に「目標を叶えるのが楽しい」とも思っているはずです。
目標と我慢はどっちか片方じゃありません。
常に必ずワンセットです。
無論、目標自体は人によって違うとは思います。
お金かもしれないし、業務上の成果かもしれないし、あるいはお客さんの笑顔かもしれない。
このとき、仮にその人が純粋にお金にしか目がなく、お客さんの笑顔なんてものに全く興味がなかったとしても、目標を自覚できていないよりはだいぶマシってものです。
仕事の目標は常に必ず顧客の笑顔しかありえない?
そんなのただの理想論でしょ?
理想論は理想とすべきものではあれど、でも人に考え押しつけていい理由になるものではありません。
で、仕事をするうえで、あなたの――他人はともかくあなた自身の目標はなんでしょうか?
そしてあなたは、それを叶えるための行動ができていますか?
仕事の楽しさとは、そういうところを自覚するところからしか感じることができないものなんじゃないかなと、私なんかは思うからです。
ではまた。
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