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遊戯三昧 。

2015/02/22

最近思う事。
「結局自分は何をやりたいのか?」
「何をする人になりたいのか?」

そういう発想を、
いっそ取っ払ってしまっては?と思う。

ただ、今『楽しいと思うこと』をやる。
そして今『楽しい』と思うことに
集中する。

「私は○○だ」なんていう枠を取っ払っても
多分私がやりたいと思うこと、
自分のフィールドは変わらない。
(し、変わらなかった。)

型枠を外したら消えてしまうものなんて、
或は自分に課さなければ
やり続けられないことなんて、
それは自分の命ではないと思う。

何て言うか、、、
もっと自分の底にある力とか、
自然の力を信じれば良いと思う。

やりたくないなら
それは今その時期じゃないし、
同時に、他に今やるべきものが
きっとあるのだと思う。
だから流れに沿ってそれを楽しめばいい。

勿論、方向性という物はある程度
自分の中に持っておいた方が
良いとは思う。

でもそれも、
自分を縛るルールではなくて、
もっと大きな方向性でいい。

何かを一生懸命やってきた人程、
思っている人生と違うものになるのは
怖いかもいれないけど、

まぁそれが自分の本来の人生なのであれば
"それもあり"かもしれないよって。
それは単なる"諦め"とはちょっと違う。

結局大切なのは、
『今、自分がちゃんと幸せかどうか』
ってとこだと思うから。
1年後も5年後も10年後もその先も。

私はどちらかというと今まで、
5年後、10年後の為の”今日”
という生き方をしてきたけれど、

多分、”今日は今日”って感じで
ちゃんと楽しんで過ごし、

それを丁寧に積み重ねていった
5年後の方が、
豊かで幸せなんじゃないかなと思う。


もっと柔軟に、もっと自由に。
それがもう一回り自分の人生や世界を
大きくするポイント
なんじゃないかなと思ったり。

『努力はいつか報われる』
っていうフレーズは
勿論正しくはあるかもしれないけど、

”努力している” ≠ ”遊びのイメージ”
(つまり苦労)と思って練習しているうちは、

私はきっとそのレベルを
超えられないのだと思う。
真面目君タイプの私には
とても勇気のいる発想転換ですが。

ヨガのポーズを沢山練習していた時に
目から鱗だったことは、

『美しいポーズをとってる人は、
力んでいない』ということ。
その姿があまりにも美しかったので
この発見は衝撃でした。

難しいポーズだろうが
易しいものだろうが、
穏やかな顔で普通にやっている。

そういう人の練習が
1番はっとさせられます。
勿論それがどれだけすごい事なのかは
やってみればわかるのですが…

それでその時私は、
「そっかぁ。真に強い人というのは、
みるからに"強い"人ではないんだ。」
と若造ながら思いました。
その頃は私もまだもっとツンツンしていて、
もっといつも"頑張って"いて
尚かつそれを示そうとしていたから。

勿論これらのことは
日々の鍛錬あってこそできることなので、
ちょっと主旨が違うのだけど、

全てを犠牲にしてものすごく頑張って、
5年後ある場所に辿り着けたとしても、

その5年間の日々の中にある
幸せや楽しみや愛情に、
気付かず楽しまずに過ごしてきたなら、

それは勿体ないというか、
豊かな人生ではないと思うのです。

日々の中には、
こんなにも素敵な人達や、
たくさんの優しさがあるというのに。

というわけで、
今までやってきたあれこれについて、
1度考え方をリセットして、
つまりは「がんばらない」ことにした笑。

そしたら何か肩の荷がおりたというか、
すごく楽だし楽しいし、
素直に日々を楽しめるようになりました。
いやいや、あんた、、、
十分楽しそうだよ、、、って?
まぁそうなんだけどね! (。・ω・。)

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