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「時」についての考察

2015/07/26

どんなに楽しみにしていても、
随分前から準備してきても、
当たり前だけどその本番を体験するのは
本当に瞬間的だなぁと思う。

自分の気持ちや状態とは裏腹に、
それは本当に淡々とやってきて、
淡々と終わっていくんだなと。

特別な瞬間も、
何でもない瞬間も、
物理的な時間という視点で見ると、
そっか、それは全く平等にやってきて
全く平等に過ぎてゆくものなのかと、
妙に冷静に実感した一カ月でした。

一方で感じたことは「時」というものの存在。
物理的な時間とは全く別次元の「時」のこと。

物理的な時間はどんな時も一方向に進んでいくけれど、
時というものには方向がない。(持論w)

尺度は密度で実体はなく、
その濃密な瞬間は、
永遠になり得るこの世で唯一のものである気もする。


今月は、特別で大切に想う事がたくさんあって、
大切に何かを想っている状態の時間が結構長かったし、
考えることも多かったし、
本当に心打たれる瞬間が沢山あった。
心に深く刻まれたことも沢山あった。

そして思ったこと。
何かを叶えたいと思っている時は
叶ったその時のことを一生懸命考えて、
まさか今のその時間が
時の本質だとは思わなかったのだけど、

"今日"はただの日常で、
本番はあちら側にあるのではなくて、

今日いま此処で本番のことを考えて
わくわくしたり、ドキドキしたり、
一生懸命になっていることが、
実はその「時」そのものなんじゃないかと
ある時ふと思ったりしました。

そこに辿り着くまでの道のりを
単に「トランジット」と捉えて
本番と分け隔てて過ごしていくのと、

これも既に本番の時の一部なのか、
いや寧ろこの時間こそが
夢見ているゴールの瞬間の
本質なのかもなって思って
味わい噛みしめて過ごすのとでは、

やっぱり日々の色彩は全然違っていて、
大切に感じることも全然違ってきて、

当たり前だけどそこを大事にして、
楽しみながら遊びながら、
たっぷり愛でながら今日1日を味わうと、
日常に感じる愛おしさのクオリティが
それはそれはもうぐんと上がるのです。

そうして一歩ずつ近付いていくことや、
その時間の中で何かが少しずつ変わっていくことは、
それはまたとても素敵でスペシャルな
沢山の感動の物語でもあり、

そうして散りばめられたその小さな煌めきこそが、
夢を糧として生きていくことの
本質である気もします。

そういう事を噛みしめずして
いきなり何かに辿りつけても、
自分にとっても、人にとっても、
きっとそんなに深い感動はないのかもなと
思ったりもするのでした。

一つ一つの「時」を
大切に着実に重ねていき、
だからこそ魅せられる自分というものを、
いつの日にかお届けできると
いいなって思います

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