父との関係

私の父はいわゆるアル中であった。過去形なのは、治療の結果現在は全く飲まない状況を創作できているからである。
もう4年になるが、本当に穏やかになり仕事も出来て、趣味も復活している父を見ると、嬉しいのと同時に酒の恐ろしさも感じる。

物心ついた時から、父はいつも酔っていた。
酔っぱらい目を真っ赤に充血させ、母や私達に怒鳴ったり暴力をふるったり。
私は土間に蹴り落とされたこともあるし、昭和の家庭では必ずあったと思われる、分厚いガラスの灰皿を投げつけられたりしてきた。理不尽さに怒りはあったが、子どもゆえに歯が立たない。力でも口でも叶いっこないのだ。母でさえかなわないモンスターなのだから。

兄弟集まるといつも、離婚したらどっちについていくかと話し、全員母だと言い張るのも鉄板だった。
そういえば、今思い出したが、自分が殴られるのも嫌だったが、母や兄弟が殴られるのを見るのも嫌だった。

いつしか、

「こいつ、早く死ねば良いのにな」

そう思うようになった。

高校生になると、筋力体力だけでなく体格も大人に近付き、応戦出来る状態となった。

おそらく、父に手を上げたのは私だけだと思う。
度重なる理不尽な暴力に我慢の限界を超えた私は、ホウキという武器を持ち、父に殴りかかっていった。

誰もがフリーズしていた。
父でさえも。
あの時の驚いた父の顔は忘れられない。

高校卒業したら、一刻も早く実家を出たかった私は、
敢えて遠くにある看護学校に進学した。これで大手を降って実家を出られたのだ。母や兄弟のことは気になっていたが、まずは自分が死なないためにも脱出することが大切なことだと思っていた。

暴力に怯えること無く夜が過ごせる日々を満喫し、いつしか私も酒を飲むようになった。

最初はチューハイで、ビールなんて苦くて、なんでわざわざ飲むのかわからなかった。
それが、やはりDNAなのか、私は酒にめっぽう強かった。
あっという間に焼酎や日本酒を飲むようになり、酒の楽しさを覚えてしまったのだ。

就職も実家から離れることを最優先事項としていたので、関東の病院に就職し、年に数回しか実家には帰らない生活をしてきた。

私が帰る時に狸寝入りして待ってる父がウザくて、無視してた。

この関係性は20年続いた。
そして、変化の時が来た。

ある年の年末年始、私は久々の実家で過ごしていた。すると朝から泥酔状態の父がいた。いつも通りの光景に怒りもわかない。存在の否定。無視だ。

うちは本家なので正月は親戚一同が集まる。結構めんどくさい儀礼的行事。

これに家長である父も当然参加していた。
公に酒が許される場で、気分の高揚もあったのかもしれない。
病気の進行もあったのかもしれない。
たくさんの親戚の前で、父はあろうことか仏壇を枕に寝始め、失禁したのだ。

もう、言葉がでないほど衝撃だった。

ここまでひどいのか…。

見て見ぬふりをして、母に押し付けていた代償は大きかった。実は母に刃物を向けることもあったともこの時初めて聞いた。

あぁ

もうダメなんだな。人間じゃない。人としての尊厳もない。

当時は総合病院の看護管理者だった私は、使えるコネクションを総動員して、父を精神科に入院させた。本人は病識がないので医療保護の名の元、父を騙して閉鎖病棟に放り込んだ。

正直期待などしていなかった。
アイツが酒をやめられる訳がない。

そう思っていた。

ところが、酒を強制的に抜くというのは思わぬ効果があった。

本来の人格が垣間見えるようになったのだ。
物事ついた時から、酔った父しか見ていない私には、はじめましての感覚だった。

母を思いやる態度や表情、感謝と喜びを口にする。

え?こんな人だった?嘘でしょ?

動揺した。すごく。
今まで私が見てきたあれはなんだったのか?
憎んできた対象が突然すこぶる好い人になったのだ。

酒とはかくも恐ろしいものなのか。
そう改めて認識した時期でもある。

その後順調に酒も抜けて、いざ専門的治療のための病院に転院する事になったが、大きな問題があった。

本人が明確に酒を辞める意志が必要だったのだ。

そう、父は全くその意思はなく、私が騙して病院にぶちこんだ。彼の意思は無視していた。

ここに来て、彼の意志が必要となったのだ。
私は悩んだ。とても悩んだ。

無理だ、絶対無理だ。辞めるはずがない。
どういったら辞めると言わせることができるか?

考えたが答えは出ず、仕方ないのでノープランで父と話すことにした。

この時、何を話したかほとんど覚えていない。
ただ、涙をぼろぼろ流しながら、こんなお父さんを初めて見た。お父さんには、元気で長生きして、自分のやりたいことやってほしいとは伝えた。

そんなことが自分の口から出てくるなんて、想像もしなかった。

だって、死ねとずっと思ってきたのに。
白衣のまま、病棟のスタッフも先生も他の患者さんもいる前で、ぼろぼろ泣きながら父と真っ向から向き合った時間だった。

いつしか父も泣いていた

わかった。お前の言う通りにする。

そう言った父は、自ら主治医に断酒の意思表示をした。
医師も喜び、トントン拍子にアルコール依存症治療の専門病院に行くことになった。

そこには私も付いていき、またプロのスゴさを観ることになった。

外来で対応してくれたのは、院長でもある精神科医。
その道では権威らしいが、当時作業着を着てて、どこのおっさんだろうかと思ったほどの人だった。

彼は父に向かい、

あなたはアルコール依存症の末期です

と、いきなり言ってのけた。
正直びっくりしたのだが、前の病院で酒が抜けていると思っていた父は、もっとびっくりしていた。

続けて医師はこうも言った。

ガンならガンの治療するでしょ。あなたは末期の病気なんだから、あなたが悪いんじゃない。ただの病気だ。だから治療しましょう。

そう淡々と伝えたのだ。

医療従事者である私でさえ、アルコール依存症はメンタル弱いからだとか、意思の問題とか、個人の問題とする傾向にあった。

そこをあなたは悪くない。病気だと言ってくれた医師に、父は目を見張って驚いていた。

そう、散々私たちから責められてきたのだ。自分でもどうしようもないのに、自分でも自分を責めていたのだろう。

それをいとも簡単に、病気だから仕方ないじゃん。
そう言ってくれた医師は、本当に救いの神だったのだろう。

警戒するように腕組みしていたのが、腕はほぐれて膝の上に置き、前傾姿勢で前のめりで医師の話しに耳を傾けていた。

一言も漏らさず、全身を耳にして聞いているような、そんな凄まじささえ感じた。

結果、父は最短で治療を終え、4年経つ今でも一滴も酒は飲まない。

最近はタバコまで辞めている。

具合の悪かったあちこちはどんどん良くなっている。
孫とも遊べるようになった。
魚釣りにも行けるようになった。
父とドライブするようになった。
畑仕事を楽しむようになった。

彼は今、自分の意思で生きているし、自分のやりたいことが出来る人生を選択したのだなと、今はそのあり方に尊敬すら覚える。

もし、身近な人でアルコールに限らず依存症で苦しんでいる人がいたら、どうか伝えてあげてほしい。

あなたが悪いんじゃない。病気だ。
そうは感じないし、思いたくないかも知れないけど、
自分の意思でなんとかならない時点でおかしい。

だから、病院に行こう。出来たらちゃんとした先生の居るところ。

あなたの人生、本当にあなたの意思で生きてほしいんだ。

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