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子どもでも違いが出る、「徳」積む人・そうでない人


昨日の出来事です。

私たち家族が住んでいるのは小規模な共同住宅です。

建物の裏側に、駐車場と、共有の庭が付いています。

我が家の上には、うちの息子と年が近い男の子2人がいる家族が住んでいるのですが、先日から上から紙飛行機を飛ばしまくっており、駐車場や庭に紙が散乱しているのです。

我が家は、そういったゴミを放っておくのが嫌なタイプで、その男の子たちの両親が子どもに言うなり、自分らで片付けるなり、何かしてくれないかとはじめは期待して待っていました。

が、待てど暮らせど片付く気配がないので、結局私たちで片付け、その後そちらのお母さんにやんわりと(ドイツの人たちは、普通、そこまで言うか!くらい強気にこういうことを伝えるのですが、我々夫婦は控え目です 苦笑)伝えました。


そして、昨日。

また、ひらひらと空を舞う紙飛行機(推定合計20枚)が。


私はちょうどキッチンで夕食の準備をしており、キッチンから裏庭が見えるのですが、上の男の子(兄)が友達と外に出てきて遊びはじめたので、窓を開けて、紙飛行機を集めて捨てるように言いました。

するとその子は、

「僕がやったんじゃない、弟がやったんだ」

と。


そこで、遠い遠い記憶が蘇ってきました。


ありませんでしたか?このような場面が。

小学生のとき、机の下にゴミが落ちていて、近くに座る子に片付けるように言うと、

「僕/私が落としたんじゃありません」

と言って、

「自分で落としていないから拾わない、ではなくて、教室が綺麗な状態でいられるように、自分でなくても拾いましょう」

と先生にお目玉を喰らう子たち。


きっと、どこのクラスでも、学校でも同じようなやりとりがあったと思いますが、まさに、この場面ではないか!と思った私。


上の男の子と友達は、ひとしきり遊んだ後、そのまま地面に散らばった紙飛行機にはめもくれず、家の中に戻って行きました。


その後、事情を知らない他の男の子が庭に遊びに出たのですが、その子は、散らばった紙飛行機をしばし眺めた後、黙々と拾いはじめ、そしてゴミ箱に捨てていました。


昔から、「お天道様が見ている」と言いますが、

心の中で、その男の子に拍手を送ると共に、彼に幸あれ!と思った私でした。


落ちているものを拾う、という極めて単純な作業ですが、大人であっても、

「自分がしたわけではない」

「誰か他の人が片付けるだろう」

「自分には関係ない」

と思ったり、そもそも落ちていること自体、見えていないかもしれません。


要は、意識するか、しないか、の問題だと思うのですが、

正しいこと、道理にかなったこと、自分のためだけでなく、人のためになることを積極的に出来る人は、それこそ徳を積んでいます。

そんな「貯金」は目には見えませんが、人生は往々にして帳尻が合うようになっている、と私は思います。


子どもだから、まだ経験が浅いとか、未熟だとか、知識がないんだとか、そういう言い訳が出来るかもしれませんが、子どもたちが誰をお手本にしているかによって、その子が辿って行くだろう道筋も、おのずと見えてきてしまうものです。


誰が見ているわけでもなく、

自分が汚したわけでもないのに、

黙々と片付けをした、あの少年のように、自分も在りたいと思う出来事でした。





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