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センスを底上げするネックレス。

お出掛けはもちろん、デイリーユースたりとも抜かりなくセンスを底上げするにはジュエリー・アクセサリーは必須!!

年齢を重ねる度にそう思うのですが、興味のない方にとって、そして『お出掛け』アイテムとしか見ない人にとっては「めんどくさい」とか「習慣にない」とか「邪魔」とか・・思われがちではあるのかなーと思う時があります。


装身具(ジュエリーアクセサリー装飾品)としての文化、歴史を振り返った時に、日本では民族文化以外では聖徳太子あたりの時代から江戸時代までの1000年の間に、一旦消滅しているらしいんですよね。

江戸時代に入ると「粋」の概念とともに、またその時代から復活したとのことですが、どうも庶民に手の届くものではなかったようですし、小物に繊細さや豪奢さを金に糸目をつけずに求めるような、そして天保の改革などに代表される奢侈禁止令により表立った装身具として財力や権力を誇示することが困難であったために『目立たないように目立たせるという屈折した美学』のもとに誕生したという文化的背景があったということにも原因がありそうです。

江戸時代「粋」というと女性の小物ではなんとなく櫛、髪飾り、簪、帯止めあたりを連想しますが、組み込まれたDNAってある気がする・・欧米諸国に比べて、日本人・・長い髪とヘア小物好っきやのぅってありませんか?

装身具が消滅した時代の考察としてはいろいろあるようなのですが、着物代替説が濃厚な気がしている。衣服の発達により、形、色目、色彩が豊富に取り扱われるようになったことで装身具が果たしていた役割をそれらが吸収してしまったとする説。

服にばかり気を取られてジュエリーやアクセサリーの”着こなしとしての効果”を考えておられる方ってまだまだ少ない気がしているんです。

日常の生活にまで組み込まれていないというのか、なんか。

たぶん欧米諸国に比べて洋服自体の歴史が浅く、装身具の歴史乏しく、知識量が圧倒的に少ない。

結局のところ、服も然り、アクセサリーやジュエリーに関してもみんなが買って着けているような物を好んでいる傾向にありますよね。

そのあたりの概念、小物の概念、変えたいなー。変わらないかなー。って思っている方も少数ながらも着実に増えてきている・・ハズ。と思っていたのですが。

でもそれどころかコロナ時代としてのまたの消滅危機!?は大げさですが、欧米諸国でのこのコロナ時代としてのジュエリー・アクセサリー離れってたぶん全くあり得ない気がする。んなこた誰も気にしていなさそうな気がする。

『日常の生活にまで組み込まれていない』ということは、自分としての満足感などよりは他者へのアピールであったり、見栄、傲り、マウントツールとしての捉え方??言い過ぎかもしれないけれど・汗

そんな使い方の人が多かったことがあぶりだされている結果になっている気もしていて、その価値観をどう変えて行くかが課題なのかな。と思ったりしています。

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最近またグレーパール推し。

押し売りの勢い。

先日ロング過ぎて利用頻度”少”でずっと気になっていた私物アクリルのグレーパールスーパーロングネックレスをロングとショートに作り替えました。

切っ掛けにまた執拗にグレーパール推しの気配です。