1995年映画『藏』感想
1995年映画『藏』(監督/降旗康男)観賞。
大正8年。雪深い風景と共に描かれる新潟県を舞台にした物語。
古い家父長制度の頃の物語なので、酒蔵は女人禁制、穢れ、とも言われる。
女性が圧倒的に不自由な状態の中で田乃内家に不幸が続く。家長である意造はほとんど衝動的に若い女を娶る。その陰には佐穂を始め、たくさんの女性たちが我慢を強いられている。なかなか現代では受け入れがたいがそういうことが当然の時代だったのだろう。
そんな中でヒロイン、烈(一色紗英さん)は時代に抗うかのように、絶対的権利である父親に反対され叱責されてもなお、すべてを突破してしまう。もちろん盲目というハンディはあるものの、幼い頃から母親のように大きな愛情で面倒を見てくれた叔母、佐穂(浅野ゆう子さん)の力添えもあり、名前通りの強さと意志を持ち、酒蔵を立派に継ぐ。やがて成長した烈は若い蔵人、涼太(西島さん)に恋をする。
このめぐり逢いから、この恋がどうなってしまうのか、と思った。
原作を読むのも映画を観てから、と思い、手を止めていたので先が判らず、烈と涼太の恋が実るのか! はたまた身分の差から破綻してしまうのか!? と、手に汗を握りながら見守りました(そんなアクション巨編ではない。)
ふたりの出会いは、烈の視力がまだ残っていた頃で、酒蔵のもろみが発酵する貴重なところを涼太に直に見せてもらったり、後妻をもらい、出て行くはずだった叔母、佐穂を追いかけ、一緒に止めに行くなどふたりだけの絆がある。ただ、そこまでのシーンはすべて烈も涼太も子役の俳優さんが演じているので、その前振りを経て、とうとう成長した姿で互いに再会するところはドキドキしました。烈は目が見えないから涼太の存在を確認するために、胸元、肩、首筋、顔、と愛撫するように触れて行く。しかも無邪気で可愛らしく満面の笑みで。これは……普通に涼太、惚れますわな(笑)
ただ、涼太は冬の酒蔵を手伝いに来るだけなので、時期が過ぎると故郷に帰る。身分の差もあり、父親は烈の恋を頑なに許さない。しかし烈は、もしも涼太が烈を受け入れなければ海に身を投げて死ぬ、とまで言い、涼太の故郷に行く決意を固め、拙い字で書き置きを残し、たったひとりで家を出てしまう。
まさに命がけの恋だった。
途中、激しい吹雪に見舞われ、唯一持っていた杖まで失くし、雪山で倒れてしまう。そんな烈の前に亡き母の霊が道行を助け、烈は涼太の家に無事辿り着く。連絡を受け、やって来た佐穂と意造。盲目の体で、たったひとりで山奥に入り、涼太に会いに行った烈の元気な姿を前にして、意造はもう怒ることなどできなかった。生きていてくれた。それで十分だった。そして、涼太も烈を受け入れるべく、意造に深々と頭を下げる。
烈と涼太のことが落ち着き、意造はやっと佐穂を後妻に迎えたいと告白するが、何と長かったことか。それなら最初から奥さんの遺言通りにしたら良かったのに、と思わなくもない。どんな男も若くて可愛い女に弱いものなのか……。しかも再婚した芸妓、せきとはすぐ仮面夫婦になり、浮気された上に身籠り(相手が涼太だと勘違いされるところはビビりました!)、結果的に離婚。ただ、ここまでこじれる展開になった理由として、この物語は当時、新聞で連載された小説とのことなので、強弱をつける必要があったのだろう。はい。軽くスリル満点でした(語彙)
ええと……、西島さんは途中、酒の席で無理矢理歌わされます。
「米とぎの唄」と言っていましたが、西島さんが歌う歌詞のものは見つからなかった。けれど、その土地によって別の「米とぎの唄」は実際に存在しています。軽やかな高音で踊りながら歌う姿は初々しく、可愛かったです。
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