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短編 / 掌編

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エコバッグに詰め込んだアイディアたち
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半径100メートルの天使

 どうしてせっかく直接会わずに済むリモート会議だと言うのに、ケンカになってしまうのか。まあ、上司とは言え、プライベートのことで説教めいたことを言われたのだからこちらが下手に出ることはない。だからそのままを口にした。すると相手はムッとした。自分から言い出したのに、それはないだろう。  とりあえず時間が来て「それでは後ほど」と言って画面を消せるのはいい。相手を削除できたみたいでそれはそれでスッキリはする。しかし、もやもやした気持ちが収まらない。  よし、飲むか。  冷蔵庫を

ショコラの甘い風

「楠田、一杯付き合え」   12月。  私、楠田美緒は会社の仲間たちとのごく軽い飲み会を終え、そのまま帰路に向かおうとした所で、先ほど別れたばかりの先輩上司にこのように声をかけられた。  先輩とは普段から割とストレートに物を言い合う仲ではあるが、突然背後からこんな乱暴な口調で声をかけられたので驚いた。 「え? 先輩、車に乗って来てるじゃないですか」 「あれだよ」  先輩が指をさす方向を見ると、コンビニエンスストアだった。 「最初からそう言って下さいよ。突然『一杯付き合え』

歩む

 校舎を出る際、陽射しが少し傾き、それでもなお残る暑さに面食らった。今日は誰とも話をする気分になれず、早退するかのような早さで玄関を出た。何となく外の空気が無性に吸いたかった。  ゆっくり一人で歩いていた僕のリュックに、後ろから誰かがぶつかって来た。中学生の頃、3年間同じクラスで仲が良かった歩(あゆむ)だ。今の高校でも偶然同じクラスになった。 「あ、ごめん。」 「おう。」 「もう帰るの? 早いね。」 「歩も……」  随分早く帰るんだな、と言おうとしたが止めた。 「ああ、うん

跳ねっかえりの天使

 そっと窓ガラスを開ける音がする。彼女だ。そのままリビングに入ろうとしたのだが、窓を覆うカーテンが彼女の体に纏わりついた。更にカーテンの開き口になかなか辿り着けず、手でもがいたため、優雅とは言い難い様子でやっと入って来た。  彼女が僕の部屋に来る時は、こうして玄関からではなく窓から侵入してくる。他人が聞いたら犯罪者のようだと思うだろう。しかしその犯罪者紛いの行動を取ってやってくるのが僕の恋人なのだ。僕が許しているのだから問題はない。 「カーテンは開けておいてって言ってたのに

ラストシーンは来なくていい

 夢を見ていた。  もちろん、紛れもなく現実の中で。  大部屋俳優、なんて呼ばれている来生だが確実に実力がついてきている、と実感していた。端役ではあってもオーディションに受かる率が増えている。更に実際演技をすると手応えを感じた。  今日もそうだった。一生会えるのかどうかすら判らないほどのベテラン俳優であり、雲の上の存在だった役者と共演でき、彼に言葉をもらえた。嬉しい言葉だったが来生は有頂天になるより先に、身が引き締まる想いだった。彼の作品やインタビューはほとんどすべて観てい

お姫様の場所

午後23時半のコンビニエンスストア。霧が深い日でかなり視界が悪い。 僕はこういう霧を悪くないと思う。もちろん車を走らせたりするのは注意が必要だし、気を使う。でも景色として、風景として。うん。悪くないよ。 田舎のコンビニエンスストアの灯りだって、霧の中だと何となく外国みたいじゃないか。 しばらく掃除をしたり、商品を揃えたり、せかせかしていたが、 とうとう暇だと認めざるを得ないほど客足が途絶えたので、ドアを開けて外を眺めた。 月も、もわもわしてる。等間隔に並んだ道路の照明灯は幻

レモン・シャーベット

年々、暑さが増して行くような夏だ。 私の職場の窓からは、向かいの公園でランチを食べている社員が目に入る。 彼らの目の前には噴水があり、目には涼やかに見えても多分水はぬるま湯に近いだろう。何より木陰でも十分暑いのに、よくあの場で食べる気になれるものだと思う。 昭和頃の日本では37度なんて気温、なかったはずだ。 だからと言って、地球温暖化だのと色々言いたくない。もちろん大事なことなのは判ってる。 ただ、今それを考えるには暑すぎる。この暑さが落ち着かないまま考えてしまうと、体は

解き放つ

 花の首を落としてしまった。  活けるのに慣れていないせいだ、と言い訳をしてみるけれど何度目だろう。いつも活ける時に力を入れ過ぎてしまう。落としてしまった花の首にごめんね、と言ってからゴミ箱に捨てた。  四苦八苦しながらも、何とか私なりに何種類かの花をひとつの花瓶に納めた。そう、活ける、ではなく、納めた、という言葉の方が似合う歪な仕上がりだった。  慣れないことをしているのは、亡くなった母の仏壇に供えるためだ。  母は花が好きで活けることも上手だったけれど、私は母とは逆で

体温

「郁ちゃん、お熱出た」  子供のような言葉で連絡をして来たのは僕の恋人の郁子だ。  軽い熱と風邪の症状があるため、かかりつけの病院に電話すると、来院はご遠慮下さい、とのことだった。現在、世界的に流行っている病のせいで少しでも似た症状を持つ患者は外来不可となっているらしい。行く場合は専門外来へ、と。 「でも症状に合わせたお薬は出せるから家族とかに取りに来てもらって下さいって」  そこで一番身近な僕の出番となった。郁子は遠い田舎の実家から上京しているからだ。 「職場にはなんて?」

君の横で祈る

 こんな夜中に鳥の声なんてするのだな。  ふと、夜空から目を外し、木々の辺りを見渡してみる。なんという鳥だろう。本来ならば朝に似合うような高く、細い声だった。  いつものコンビニエンスストアに行く途中、そんなふうにふと、足を止めてしまうことがよくある。だから多分、僕はあまり人混みなどは向いていない。後ろから歩いて来る誰かとぶつかったりもするし、そうなるとどれだけこちらが謝っても急いでいるような人たちには通じてくれないからだ。そして妙に悲しい気持ちになってしまう。そこまで繊細