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破壊の美学

Prayer For The Lotusとして僕が扱うテーマの一つに「破壊」がある。人も物も世界も、壊れていた方が美しいから。だから僕の作るサウンドは一貫して破壊的であることを目指している。

僕は、庵野秀明がすきだ。庵野秀明の描き出す破壊シーンはいつだって美しい。庵野秀明の描き出す破壊シーンには「破壊される時に初めてそのものの本質が現れる」という庵野秀明の思想そのものが投影されている。だから庵野秀明の破壊シーンはあんなにも美しい。そして僕も庵野秀明の破壊の美学に共感したうちの一人だ。僕と庵野秀明とでは月とすっぽんくらいの差があるのだが、それでも「破壊の美学」にかける思いという点においてクリエイターとして重要な要素を共有できた気持ちになれるし、だからこそ庵野作品が好きなのだ。

人間だってそうだ。完全に健康で精神的に安定した人間よりも、歪で危うさを感じる人のありように美しさを感じる。夏目漱石の「こころ」、あるいは太宰治の「人間失格」に描かれるような人間の歪さ。そこに美しさがあるし本質がある。あるいはそれはserial experiments lainやさよならを教えて、新世紀エヴァンゲリオンなどの僕の好きな作品からも感じ取れる(無論、先に述べたこころと人間失格も僕の一番好きな小説のひとつだ)。

また、破壊は常に創造と対になる。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ一粒のままである。創造もまた、破壊を前提として成立しているのだ。ゆえに創造というのはじつは破壊なくして成立し得ないのではないかとさえ思う。創造に目を向けるならば破壊にもきっと目を向けるべきなのだ。

うだうだと破壊に感じる美について述べてきたが、結局のところ破壊というものに美を感じた、その体験こそが重要なのだと思う。理屈を抜きにして破壊というものを直感的に美しいと捉える感性、それが僕に備わっていたと言うことがそもそも重要なことだと思う。その感性がある限り、僕はこれからも破壊をテーマに作品を作る続けられるから…。そして願わくば、みんなも破壊の美学を何かしらの作品から感じてもらいたい…。

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