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新たな味との出会いの瞬間

 とんかつ、餃子、寿司、パスタ、、、
 結婚して4年の妻とは食の好みが良く合う。どちらも食べることが大の付く好きで、更には大食いである。私も妻も見るからに大食い!な体型ではないので、格安イタリアンチェーンで10000円の御会計を記録したことは誰に話しても驚かれる我が家の伝説になっているし、私は盛りの良さで有名なお店の海鮮丼を3つたいらげ、妻は妻でうどん屋の家族向けに提供している4~5人前の桶を幾度も一人で完食しているし、それぞれで得意分野と個人記録を持っている。もうすぐ3歳になる娘も大人用のパスタを一皿とピザを4切れ食べても、おなかいっぱいにはならずにお菓子をねだるので、我が家の大事な戦力だ。そんな我が家の食事はいつも”たのしい”。

 そんな妻とはお付き合いの頃から街の食堂や時には料亭、フレンチ、スパニッシュなどいろんなものを食べに行ったが、お互い三十年近くも生きていると、新しい出会いというのは中々ない。確かにお店一つ一つにはその店のこだわりがあって、他の店舗では味わえないものであるのだが、出汁をこだわり抜いた茶碗蒸しも「こんな茶碗蒸し今まで食べたことない!」とこれまでに食べた茶碗蒸しを差し置いて1番美味しい茶碗蒸しの称号を得られても、卵に出汁を効かせたとろっとした口当たりのそれであり、そのステレオタイプが壊れるほどの出会いではない。

 新しい出会いを求めるとなると、いわゆるゲテモノと呼ばれる各国の料理を思い浮かべるが、そのゲテモノですらなにかと鶏肉に似ていると評され、既食感を味わうのではと考える。考えるだけで実際に食したことはないが、そもそも食べることに”挑戦”など、おいしいからもたのしいからも最もかけ離れている。こうなると日本にいては、食との新しい出会いはもう巡ってこないのではないかとかすかに思わざるを得なかったのである。

 しかし、そうではなかった。私たちはこの悠久の日本の土地にて、後に私たちの定番食となる代物に巡り合った。私たちはそれを探し求めたわけでもないし、誰かにおすすめされたわけでもない。

 それはまるで、知らない土地で車を走らせているとお昼が近くなり、お腹が空いたね、お店があったら入ろうかと、良きお店との出会いに期待を膨らませたものの、あたりにお店がある気配がなく、やっと見つけたお店は定休日。走る道は段々と細くなり、この先に一体何があるのかと、気が付いたら目の前には海が広がっていて行く道がなくなる。昼もとっくに過ぎていて失望を抱いたその時に、海風に屈することなく堂々とそびえ立つ小さな建物。その脇に立つ「営業中」とかかれたのぼりが私たちの目に飛び込んできたかのようだった。

ではなく、正にこの通りだったのだ。

「瓦そば」は山口県下関界隈の郷土料理である。西南戦争時に兵士が瓦を用いて、野草や肉を焼いて食べたことに由来し、温泉旅館の亭主が宿泊者向けに開発し振舞ったとされている。

 私たちがこの瓦そばに出会ったのも、もちろん山口県である。妻と付き合って初めての旅行。20歳前半の私たちが選んだのが、山陽旅行だった。今でもその選択は渋いと思いながらも、当時は山口で角島の絶景を眺め、食事は広島で堪能するという計画で、山口での食事は妻の知り合いの店に決めていたこともあり、山口県のグルメというのは、ほとんど調べていなかった。角島に渡る橋の前で、海から吹き付ける強風で前髪がかきあげられ、おでこが露になるのはお互い恥ずかしがりながら、記念の写真を撮った。

 前述した巡り合うまでの過程は、この後、島に渡ってからの話である。本当に小さく、さらにはプレハブの建物であったが、とにかくお腹が空いていて、大食いの二人であるから、言葉を交わすことなくこの店に決定した。メニューを見て、山口名物と書いてあるから頼んだ瓦そば。旅先でそばが名物だというのは地方ではよくあることで、どちらかというと名物だからという理由より、そばが好きだからという理由で注文する。このときも同じくしてそうだった。

 他に客もおらず、海を眺めながら10分もしないうちに運ばれてきた漆黒の”瓦”。瓦の上にのった緑色のそば。そばの上にのった黄色い錦糸卵と茶色くて艶のあるお肉。オレンジ色のもみじおろし。思わずあげてしまった歓声ではなく驚愕の声。和のテイストな色味だけあって、瓦にのっていることに不自然さは全くない。熱々の瓦でそばを焼く音、茶そばが焼ける香り、見た目だけでなく、耳でも鼻でも楽しまされていることに気が付いた。これは、旅先のただの名物そばではないと、覚悟してそばを箸ですくうと、瓦に面していたそばがカリカリに焼けていた。カリカリをほぐすようにつゆに付け、いざという表情の顔を二人で合わせ、同時にそばをすすると、肉、卵のそれぞれの甘味と茶そばの香り、それらをつゆがまろやかにまとめている。確かにこれはそばのはずなのに、私たちが食したのはそばとしては括ることができない「瓦そば」であった。

この新しい出会いは、我が家の定番になった。ただ、残念なことに瓦ではなくホットプレートにのっている。作って楽しい、見て楽しい、食べて楽しい。たのしいことはおいしいこと。おいしいことはたのしいこと。この相互関係の全てを瓦そばが表している。ホットプレートにのったそばを美味しく食べている娘に、瓦にのったものを見せて、さらに満足させたいものである。

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