「即」という名のアポリア 第3回

あなたには理解できるはずもないわね、インキュベーター。これこそが人間の感情の極み。希望よりも熱く、絶望よりも深いもの。愛よ(魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語より)

自分の好きな人を/大切にすることは/それ以外の人には/冷たくすることに/なるんで/ねえの/ねえ/トーチャン(『黄色い本 ジャック・チボーという名の友人へ』より)


前回はこちら

「自分」などというものに実体はないというのは一体どういうことか。
このことについては、『ミリンダ王の問い』という経典に、「車のたとえ」と呼ばれるわかりやすい教えが説かれていますので紹介します。

 その前にこの『ミリンダ王の問い』という経典について簡単に述べておきましょう。これは、紀元前2世紀後半に西北インドを支配していたギリシャ人のメナンドロスという王様が、ナーガーセーナというインドの僧に対して、仏教について質問して教えを受けるという形式で書かれた経典です。メナンドロスというギリシャ名がインド風に訛ってミリンダと呼ばれたのです。

 ギリシャ人は紀元前5世紀頃から現在のアフガニスタンからインダス河の右岸へかけて定住しており、アレクサンドロス大王の東征などで、さらに人口は増加していました。学校の歴史の時間にヘレニズム文明がどうのとかバクトリア王国がどうのとか覚えさせられたりしますよね。『ミリンダ王の問い』はそのような背景がある経典であり、ミリンダ王のギリシャ的思考と、ナーガセーナのインド的思考の対決という側面もあったりと、非常に興味深い経典になっています。

 ちなみにこの経典は現在の東南アジアやスリランカでも地域によって扱いが異なっており、経蔵の小部に含める地域もあれば、パーリ三蔵に含めない地域もあります。この経典の中では釈迦ではなくナーガセーナが教えを説いているため、釈迦が直接説いたものではないとみなされるのがその一因です。ですが、この経典に出てくる「車のたとえ」は、初期仏教や部派仏教が「自分」とか「自我」とかいった「もの」に対していかなる態度をとるのかがわかりやすく示されているのでひとまずこの経典を使うことにします。ともあれ、早速中身を見てみましょう。


ミリンダ王は、長老ナーガセーナに(問うて)こういった――
「世人は尊者をいかが心得まするか。(つまり)あなたは名をなんと仰せか」――と。
「大王どの、それがしは世にナーガセーナとして知られております。同門の人々は、大王どの、それがしをナーガセーナとして遇します。そして世の父母は(わが子に対し)、ナーガセーナとかスーラセーナとかヴィーラセーナとかスィーハセーナとか、命名を行なう(ならわしになっている)のでございますが、それにいたしましても大王どの、この『ナーガセーナ』と申す者は、呼称・標徴・記号表出・言語的通念・名のみのものでございまして、ここ(な名称)に(相即して特定の)人格的実体(が存在するものと)は認められませぬ」
 すると、ミリンダ王はいった――
「ご参集の各位――五百のギリシア系市民および八千の比丘衆――は、それがしの提言を聞かれたい。これなる人物ナーガセーナは、『ここ(な世界)に人格的実体(の存在)は認められぬ』などと申しますぞ。このこと、はたして是認してよろしかろうか」――と。
 ここでミリンダ王は、長老ナーガセーナに(向きなおって)こういった――
「ナーガセーナ先生、もしや(貴説のように)人格的実体(の存在)は認められぬとしますなら、そもそもあなたに対して、木の皮ごろも・食の施し・寝所と座所・いたつきに効ある医療薬という、(不可欠な四種の)修道の資を提供するのは、いったいぜんたい何者なのでしょう。(他方また、提供をうけて)それを活用し、行状を慎み、精神修養にいそしみ、就道・収果・悟入(の三境地)を如実に体験するなど、(聖なる行為のいちいちを)行なう当事者はいったい何者なのでしょう。生命(あるもの)を損傷し、与えられたのではないものを着服し、欲望にかられて不正をはたらき、うそ偽りをしゃべり、酒を飲み(して、仏教者の五戒を破ったあげくは)、即座に天罰を招くという五大逆罪を犯すなど、(邪悪な行為のいちいちを)行なう当事者はいったい何者なのでしょう。かくては――善もなし、不善もなし。善・不善の行為をなす者も、なさしめる者もともになし。善・不善の行為がなされても、そこから醸成しきたるもの、(すなわち、因果応報の)果なるものなし。ナーガセーナ先生、もしやあなたを殺す者があろうとも、彼に殺人罪はなし。またあなたには、ナーガセーナ先生、師父なく、教師なく、(したがって)聖職叙任の儀とてもなし――(という理屈になりますぞ)。『同門の人々は、大王どの、それがしをナーガセーナとして遇します』とあなたは(先刻)仰せだが、この際ナーガセーナとは、(以下に列挙するうちの)いったいどれにあたるのです。先生、(生体成分のいずれが、たとえば)頭髪が、ナーガセーナでしょうか」――と。
「そうではありませぬ、大王どの」         
「膚毛が、ナーガセーナですか」
「そうではありませぬ、大王どの」
「爪が…歯が…皮膚が…肉が…筋が…骨が…骨髄が…腎臓が…心臓が…肝臓が…肋膜が…脾臓が…肺臓が…大腸が…小腸が…胃腑が…糞便が…胆汁が…粘液が…膿汁が…血液が…汗が…脂肪分が…涙が…漿液が…唾液が…鼻汁が…滑液が…小便が…頭蓋のなかの脳髄が、ナーガセーナですか」
「そうではありませぬ、大王どの」
「(生体発現を規定する五組成要因のいずれかが、すなわち)様態が…感受が…知覚が…表象が…認識が、ナーガセーナなのですか」
「そうではありませぬ、大王どの」
「そうではなくてと、では先生、様態・感受・知覚・表象・認識の総体が、ナーガセーナなのですか」
「そうではありませぬ、大王どの」
「そうではなくてと、では先生、様態・感受・知覚・表象・認識とは別に、ナーガセーナがあるというわけですか」
「そうではありませぬ、大王どの」
「それがしは、先生、あなたに問いを重ねつつ、ナーガセーナ(のなんたるか)をいっかな合点できませぬ。ナーガセーナとは、先生、単なる名辞に尽きるのか。それにしても、(存在なくしては名辞はないはず、)この際、ナーガセーナとは何者か。先生、あなたは事実無根の虚言をなされますぞ、『ナーガセーナ(なるもの)は存在せず』などと」
 すると長老ナーガセーナは、ミリンダ王に(向かって)こういった――
「大王どの、あなたは王家の御曹司のこととて、至極きゃしゃにできておられます。そのあなたが、大王どの、真昼間とて地面は焼けつき砂礫土が熱いなかを、ごつごつした小石・礫土・砂利をふんで徒歩でおでましになりますれば、おみ足はうずき、おからだは弱り、ご気分はめいり、身体の感覚には苦痛がまつわって参りましょう。ときに(本日)あなたは徒歩でおいででしたか、それともお車でおいででしたか」――と。
「それがしは、先生、徒歩では参っておりませぬ、車で参りました次第で」
「大王どの、もしやあなたが車でおいででしたのなら、それがしに車(のなんたるか)を述べてくださいませ。大王どの、轅が、車でしょうか」
「いや、先生、そうではありませぬ」
「車軸が…車輪が…車室が…車台が…軛が…軛綱が…鞭打ち棒が、車ですか」
「いや、先生、そうではありませぬ」
「それでは、大王どの、轅・車軸・車輪・車室・車台・軛・軛綱・鞭打ち棒の総体が、車でしょうか」
「いや、先生、そうではありませぬ」
「そうではなくてと、では大王どの、轅・車軸・車輪・車室・車台・軛・軛綱・鞭打ち棒とは別に、車があるというわけですか」
「いや、先生、そうではありませぬ」
「大王どの、それがしはあなたに問いを重ねつつ、車(のなんたるか)をいっかな合点できませぬ。車とは、大王どの、単なる名辞に尽きるのか。それにしても、(存在なくして名辞はないはず、)
ここで車とは何ものか。大王どの、あなたは事実無根の虚言をなされますぞ、『車(なるもの)は存在せず』と。大王どの、あなたは普天のもとに覇王たるかた、しかるに何をおそれて偽りを語られるか。ご参集の各位――五百のギリシア系市民および八千の比丘衆――は、それがしの提言を聞かれたい。これなる人物ミリンダ王は、『それがしは車で参りました次第で』などと申しつつ、『大王どの、もしやあなたが車でおいででしたのなら、それがしに車(のなんたるか)を述べてくださいませ』と求められる段には、車(なる存在)を確証できぬ始末ですぞ。このこと、はたして是認してよろしかろうか」
 このような弁論がなされるや否や、五百のギリシア系市民は長老ナーガセーナに歓呼し、ついでミリンダ王にこういった――
「さあて今度は、大王さま、力の及ぶかぎり弁じてくださいませよ――」――と。
 するとミリンダ王は、長老ナーガセーナに(向かって)こういった――
「それがしは、ナーガセーナ先生、うそ偽りをしゃべってはおりませぬ。(と申しますのは、)『車』とは、轅・車軸・車輪・車室・車台に依存し(た相対関係のもとに)て、(はじめて)呼称・標徴・記号表出・言語的通念・名のみのものとして成立する(にとどまり、それ自体としての存在はない)のでございます」――と。
「よくこそ申された、大王どの、あなたは車(のなんたるか)がおわかりでいらっしゃる。それとまったく同様でございます、大王どの――それがしにつきましても『ナーガセーナ』とは、頭髪・膚毛……脳髄に依存し、様態・感受・知覚・表象・認識に依存し(た相対関係のもとに)て、(はじめて)呼称・標徴・記号表出・言語的通念・名のみのものとして成立する一方、絶対的次元におきましては、ここに(相即して特定の)人格的実体(が存在するものと)は認められぬ――という次第であります。(大地原豊訳)


 通常我々は、「もの」が存在すると思って生きています。机がある。椅子がある。パソコンがある。みかんがある。ギターがある。この世にはいろんな「もの」が存在すると当然のように思っています。それから、自分も存在すると思っています。自分が生まれてから死ぬまでの間に、子供から大人に成長したり老いたりして外見が変化するとか、ものの見方が変わったりとかいったことはあるにせよ、自分という「もの」はあると思っている。外見や内面が変化し続けてとどまることがなくても、自分という確固たる「本体のようなもの」が生まれてから死ぬまでの間、変わらず存在し続けると思っている。人によってはその「本体のようなもの」を魂などと呼んだりする。しかしそれらは本当に存在すると言えるのでしょうか。

 例えば、今私の目の前に木でできた椅子があるのですが、この椅子とは何でしょうか。座面が椅子か。背もたれが椅子か。肘掛けが椅子か。脚が椅子なのか。いずれでもありません。「座面や背もたれや肘掛けや脚などを合わせた全体が椅子だ」と思われる人もいるかもしれません。しかし、その全体とは何でしょうか。ここでちょっと私が先ほど撮影した画像を見てください。

画像1

カパーラ

画像2

全体性?


 これは『撲殺天使ドクロちゃん』という作品に登場するドクロちゃんというキャラクターです。画像1の時点では上半身と下半身でしたが、組み立てられて画像2のようになりました。
 さて、それでは上半身と下半身がカポッとハマって合体する瞬間までは、ドクロちゃんという「もの」は存在しなかったのでしょうか。上半身と下半身が合体した瞬間に、ドクロちゃんという「もの」やドクロちゃんという「全体性」がこの世に生まれたのでしょうか。インド哲学の世界では、そのように主張する学派があったのは確かです。そう主張するのはヴァイシェーシカ学派という一派です。この学派は、この場合、上半身と下半身がカポッとハマった瞬間に、ドクロちゃんが生まれ、「全体性」が備わるのだと考えるのです。このヴァイシェーシカ学派は、この雑文で述べようとしているナーガールジュナと全く逆の立場をとる学派で、ナーガールジュナの思想とも絡んでくるので後ほど触れます。

 ともあれ、仏教ではヴァイシェーシカ学派のように、ドクロちゃんという「全体性」が生じたなどとは考えません。そのような「全体性」などという「もの」は、『ミリンダ王の問い』の言葉で言えば、「呼称・標徴・記号表出・言語的通念・名のみのもの」であり、人間の言葉や観念の世界にしか存在しないと考えるのです。

 さて、そうなると椅子の本体や全体性とは何でしょうか。そんなものがあるとすれば、どこにあるのでしょうか。そもそも木製の椅子といっても、炭素や水素や酸素の集まりです。椅子は燃やせばなくなってしまうし、微粒子が仮につなぎとめられているにすぎない。そうである以上、椅子とかいう言葉に本体や実体はないと言わざるをえない。初期仏教はそのように言うのです。

 いずれにせよ、このように『ミリンダ王の問い』の「車のたとえ」に基づいて考えていくと、人間が常識的に存在すると考えているもので、本当に存在すると言える「もの」は少ないように思えてきます。
 例えば、日本語には森とか林とかいった言葉がありますが、実際には個々の木は存在しても森や林などというものは存在しません。個々の木が集まっているのを森とか林と呼ぶことにすると、人間が言葉によって勝手に決めただけです。森や林は「呼称・標徴・記号表出・言語的通念・名のみのもの」です。森とか林とかいう言葉があるだけであり、世界にはそれに対応する実体はないわけです。

 では個々の木は実在すると言えるのかというと、そうではないことは先ほどの椅子の場合と同じことです。大学であれ会社であれ日本であれアメリカであれ、何であっても同じことです。大学であれば、学生や教授やキャンパスやグラウンドがあるだけで、大学というのは単なる呼称です。そして学生や教授やキャンパスやグラウンドにしても、木製の椅子と同じことだから、存在するとは言えない。初期仏教はそのように考えるのです。

 では、自分という「もの」は本当に存在すると言えるのでしょうか。その昔、「試みにこの世のありとあらゆることを疑ってみても、自分が存在するということは疑いえない」というリクツで「我思う、ゆえに我あり」と言った哲学者がいたそうですが、それは本当でしょうか。ここでは、世の人が自分とか自我とか呼ぶ「もの」に対して初期仏教はどんな態度をとるのかを探るために、もう一つ経典を見てみましょう。先ほどの『ミリンダ王の問い』の「車のたとえ」と読み比べてみてください。


 その時、世尊は、五比丘に告げて仰せられた、「比丘たちよ」と。「大徳よ」と、彼ら比丘たちは世尊に答えた。世尊は、このように説きたもうた。
「比丘たちよ、色(肉体)は無我である。比丘たちよ、もし色が我であるならば、色が病いに捲きこまれるようなことはあるまい。あるいは、その色について、<わたしの色はかくあるがよい、わたしの色はかくあってはならない>ということができるはずである。
 だが、比丘たちよ、色は我ではないからして、色が病いに捲きこまれるようなこともある。あるいは、その色について、<わたしの色はかくあるがよい、わたしの色はかくあってはならぬ>ということは
できないのである。
 比丘たちよ、受(感覚)は無我である。比丘たちよ、もしこの受が我であるならば、この受が病いに捲きこまれるはずははあるまい。あるいは、その受について、<わたしの受はかくあるがよい、わたしの受はかくあってはならない>ということができるはずである。
 だが、比丘たちよ、受は我ではないからして、この受が病いに捲きこまれるようなこともある。あるいは、その受について、<わたしの受はかくあるがよい、わたしの受はかくあってはならない>ということはできないのである。
 また、比丘たちよ、想(表象)は無我である。……
 また、比丘たちよ、行(意志)は無我である。……
 比丘たちよ、また、識(意識)は無我である。比丘たちよ、もし識が我であるならば、識が病いに捲きこまれるようなことはあるまい。あるいは、その識について、<わたしの識はかくあらしめたい、わたしの色はかくあらしめてはならない>ということができるはずである。
 だが、比丘たちよ、識は我ではないからして、識が病いに捲きこまれるようなこともある。あるいは、その識について、<わたしの識はかくあらしめたい、わたしの識はかくあらしめてはならない>ということはできないのである。  
 では、比丘たちよ、汝らはいかに思うか。色は常住であろうか、それとも、無常であろうか」
「大徳よ、無常であります」
「では、無常なるものは、苦であろうか、楽であろうか」
「大徳よ、苦であります」
「では、無常・苦にして移ろい変わるものを見て、<こはわが所有なり、こは我なり、こはわが本体なり>となすのは正しいであろうか」
「大徳よ、それはいけませぬ」
「では、比丘たちよ、汝らはいかに思うか。受は常住であろうか、……想は常住であろうか、……行は常住であろうか、……
では、比丘たちよ、汝らはいかに思うか。識は常住であろうか、それとも、無常であろうか」
「大徳よ、無常であります」
「では、無常なるものは、苦であろうか、楽であろうか」
「大徳よ、苦であります」
「では、無常・苦にして移ろい変わるものを見て、<こはわが所有なり、こは我なり、こはわが本体なり>となすのは適当であろうか」
「大徳よ、それはいけませぬ」
「だからして、比丘たちよ、あらゆる色は、それが過去のものであれ、未来のものであれ、現在のものであれ、あるいは、内外・精粗・勝劣・遠近の別を問うことなく、それらはすべて、<これはわが所有ではない、これは我ではない、これはわが本体ではない>と、そのように、正しい智慧をもって、あるがままに見るがよい。
 また、比丘たちよ、あらゆる受は、……あらゆる想は、……あらゆる行は、……
 比丘たちよ、また、あらゆる識は、それが過去のものであれ、未来のものであれ、現在のものであれ、あるいは、内外・精粗・勝劣・遠近の別を問うことなく、それらはすべて、<これはわが所有ではない、これは我ではない、これはわが本体ではない>と、そのように、正しい智慧をもって、あるがままに見るがよいのである。(サンユッタ・ニカーヤ22・59 増谷文雄訳)


 まず、用語について。
 色(しき)というのは、ざっくり言えば物質的要素のことです。通常我々は、例えばさっきの椅子でいくと、まず椅子というものが実在していて、その椅子にいろとか形とか、あるいは「かたい」とか「ざらざらしている」とかいった属性があると考えます。
 しかし、初期仏教ではそう考えません。初期仏教では、存在するのは「いろや形や手触りなどの物質的要素=色」であって、まずそうした要素が視覚や触覚などの感覚器官的要素によって捉えられ認識されると考えます。そうやっていろや形などの個々の要素を(視覚などの)感覚器官的要素が捉えたあとに、捉えた要素を心的要素が恣意的に統合することで「椅子」という架空の集合体が実在すると錯覚するからだと考えるのです。


 さて、ここで椅子を自分とか自我に置きかえて、「自分とは何か」「自我とは何か」を説明するとどうなるか。「自分」とか「自我」も同様に、色や形などの様々な要素が寄り集まって関係しあうことによって存在するかのようにみえるけれど、実際には人間が経験する現象のなかには存在しない幻のようなものだということになるわけです。これが初期仏教の無我の教えです。

 椅子の場合は、いろや形などの色(しき)を構成要素とする「呼称・標徴・記号表出・言語的通念・名のみのもの」だということになりますが、人間の場合は、色(しき)及び心的要素を構成要素とする「呼称・標徴・記号表出・言語的通念・名のみのもの」だと考えるわけです。その心的要素が、この経典であげられている受・想・行・識の四つです。

 この四つの心的要素についてもざっくりと説明すると以下のとおりです。
 受というのは、外界からの刺激を感じ取る感受の働きです。
 想というのは、ものごとを様々に組み立てて考える構想作用のこと。
 行というのは、何かをしたいと考える意思のはたらきをはじめとするいろんな心的作用。
 最後の識というのは、認識作用や判断作用。
以上の色・受・想・行・識をあわせて五蘊と言います。蘊というのは「集まり」を意味する言葉です。初期仏教では、人間というのは、色・受・想・行・識の五つが集まって構成される「呼称・標徴・記号表出・言語的通念・名のみのもの」だということになります。

 さて、この経典で釈迦は、「これは自分であると主張しうるものは具体的にどこにあるのか。具体的に人間のどの部分か」と問うことで、自分が確固として存在するという常識を揺るがしていると言えるでしょう。人間を構成する要素=五蘊を順番に調べあげていっても、どこにも自我など見いだせないではないかというわけです。
 ここで釈迦は、一般に自分と結びつけられる三つの性質が、五蘊のどこにも見いだせないと言っています。
 つまり、「コントロール可能であること」と「不変であること」と「楽であること」が、色にも受にも想にも行にも識にも見いだせないがゆえに、世の人が考えるような「自分」なるものが存在するとは言えない、とするわけです。そこで以下では、この三つの性質についてみていきます。


 まず、「コントロール可能であること」から見ていきましょう。
 まず色はこの場合、我々人間の肉体を構成する物質的要素です。我々の身体は、病気になりたくないと願ったり病気になるなと命じたりしても病気になるのを回避できないし、いつかは死んで朽ち果てることも避けられない。
「おれはブサイクだからイケメンになりたい、イケメンになれ!」とか「可愛い女の子に変身しろ」とか命じても無駄無駄無駄。まあこれは当たり前です。

 では受・想・行・識という心的要素はどうでしょうか。常識的な考え方でいくと、こちらの方は自分でコントロールできそうです。自分の意思や行為については自分で決められそうです。ですが、これも問い詰めていくとかなり怪しくなってきます。

 ちょっと落ち着いて自分の内面を観察してみるとわかりますが、我々の内面にふっと浮かんでくる欲望は、「自分」がそれを“浮かばせている”わけではありません。欲望はいつも、どこからともなくふっと浮かんできてり消えたりしています。通常、そういう欲望の挙動は全くコントロールできない性質のものです。

 我々はふだん自分が自分の意思で「思い」通りに振る舞っていると感じていますが、その「思い」というものは、「そう思いたい」と思ってみずから浮かばせた「思い」ではなくて、色・受・想・行・識が関係しあうことによってふっと浮かんできたものにすぎません。
 クソ暑い日に「アイスが食べたいよう」という欲望がふっと浮かんできたから、「自然な流れ」にまかせてコンビニに入り、そこでコーラを目にしたら「やっぱりこっちが飲みたいよう」という欲望がふっと浮かんできたから「自然な流れ」にまかせてコーラにした、などといったことは誰しもあるのではないでしょうか。確固たる「自分」の「意思」ではなく、「自然な流れ」にまかせて行為してしまうわけです。

 このことに関連して、昔18世紀のドイツにカントという哲学者がおって、欲求や衝動に「思い通りに」従うことは、単に人間の「傾向性」に引きずられているだけであり、自由に行為しているとは言えないと論じたことがあります。ふっと浮かんでくる欲望に抵抗できずに隷属してしまうのだから、自由に行為しているとは言えないということでしょう。
 受・想・行・識という心的要素はコントロール不能であるという釈迦の主張は、よくよく自分の心を観察してみると説得力があります。「思い」通りに“なる”側としての「自分」も、「思い」通りに“する”側としての「自分」も、どこにも見い出せないという話です。


 さて、次に「不変であること」について見ていきましょう。この経典で説かれているのは、五蘊(色・受・想・行・識)はいずれもコントロール不能であり、いずれも無常であるということです。
 無常であるというのは、ひとことで言えば変化し続けて一瞬たりともとどまることがないということです。

 まず色。色(肉体を構成する物質的要素)は確かに一瞬一瞬変化し続けている。もっと言えば一瞬一瞬老い続けているし朽ち続けている。いつまでも若いままでいたいと思っても残念ながらそうはいかないし、いつまでも生きていたいと思ってもいつかは死ぬ。

 心的要素である受・想・行・識についてはどうでしょうか。例えば、小学生の頃の「自分」の内面と、現在の「自分」の内面を比べてみても、ほとんど別人のようなものでしょう。もっと言えば、ある時点の受・想・行・識と、その一瞬後の受・想・行・識は、それぞれ同じものでしょうか
 例えば、朝会社に行って上司の顔を見て、「今日はいちだんと憂鬱そうだなぁ」「何かあったのかなぁ、寝たきりの親父さん(95歳)は大丈夫なのかなぁ」などと思った「自分」と、憂鬱そうな上司の顔という情報を取り込む前の「自分」は、同じでしょうか。今まで「自分」の内部になかった情報を取り込み、内面に変化が生じた以上は、全く同じとは言えないでしょう。
 一瞬一瞬外界の情報を取り込まれ、それに対して一喜一憂する心には、次から次へと想念や雑念が湧いてくるばかりで、一瞬一瞬変容し続けている。
固定的で変わらない確固たる「もの」も、連続性や持続性がある「もの」もどこにも見いだせません。

 このように経典のなかの釈迦は、一般に「自分」と結びつけられる二つの性質である「コントロール」と「不変性」は人間が経験する現象のどこにも見い出せないと言っています。
 机であろうと椅子であろうとレコードプレイヤーであろうと学校であろうと会社であろうと日本であろうとアメリカであろうとお金であろうと憲法であろうと権利であろうと義務であろうと自由であろうと平等であろうと喜びであろうと怒りであろうと悲しみであろうとロックであろうとパンクであろうと音楽であろうとノイズであろうとキリスト経であろうとイスラム教であろうと仏教であろうとなんでもいいんですが、そういう外界に「存在する」と常識的には考えられているありとあらゆる「もの」を調べてみても、「自分」の身体や内面を探してみても、どこにも固定的で変化しない「もの」は見つからない。
 内面を落ち着いて観察してみれば、コントロール不能な多くの想念や雑念が、時には競合したり時には協調したり浮かんだり消えたりしている。そして人間は日常的にそのうちのごく限られた部分しか意識することなく「自然な流れ」にまかせて行動しているのだとすれば、そういった想念や雑念のどこかに「自分」を見い出すことができる理由はこれといってない……。

 前回私は、日本国憲法とかいう政治的なケンイのある文書には「すべて国民は、個人として尊重される」と書いてあるし、個人の自由を尊重するという思想は、現代日本では少なくとも建前として流通していると言いました。また、そういった考え方が建前として流通していることを、特にいいことだとも悪いことだとも思わないとも言いました。
 ともあれ、個人主義とか、個性とかいうと、“神聖ニシテ侵スヘカラ”ざるものだという考え方にはそこそこ力がありそうだとは言えるでしょう。かかる考え方の恩恵によって、自分の才能を生かして物書きになったり絵を描いたりミュージシャンになったり、夢を叶えたり“自己実現”とかいうよくわからないことを成し遂げている人もいることは事実でしょう。

 ですがこの考え方は、個人なるものの無限の可能性を信じる考え方であり、たやすく「俺様にも個性や才能があるはずだ」という類の発想に結びつきます。
 実際には才能は誰にでもはないからこそ才能と呼ばれる。「自分の人生とか自分が何者であるかなんてことは個人の自由だ。そういうことは自分でセルフプロデュースしろ。結果についてはすべて自己責任でオナシャス(^-^)」などと言われても、そんなことが本当にできるのはごく一部の特殊な人間だけでしょう。
「僕っていったい何なのだろう」と自我に悩んで「自分探し」とやらを始めてしまう人。無意味な転職を繰り返す人。海外放浪をする人。自己啓発セミナーに通いつめる人。リストカットを繰り返す自意識地獄におちる人。「俺様の自説は正しいのに、なんで世の人はわかってくれないんだ」と言わんばかりに政治や経済や社会について口角泡飛ばして語り、毎日のように“敵”を悪しざまに罵っている人。人間や社会への怨念を募らせ、最後は無差別殺人に走る人。強迫観念のように「本当の自分」という名の幻を探し求める人は今でもいっぱいいます。

「俺は俺だ」「私は私だ」というのは、現代日本では概ねいいニュアンスで使われる言葉です。でも、ちっぽけで極小な数十年の命しかもたぬ「自分」になどたいした意味は与えられるわけがないし、そんなことばかり考えていたら、精神を病んでリストカットを繰り返す人みたいになりかねないんじゃないか。「俺は俺だ」「私は私だ」という言葉によって、周囲に流されることなく力強く生きていけるようになる人もいることは確かでしょうが、その一方でこの言葉は一歩間違えるとおかしなことになってしまう言葉でもあるし、そこにはある種の空虚さがどうしてもつきまとう。
 こういうある種の“心の病”は、元をたどれば「自分」という病です。世の人が「自分」と呼んでいるごくごく有限な「もの」を無限であるかのように錯覚し、「自分」と呼ばれる本体をもたない流動的な現象を確かで固定的な「もの」だと錯覚して、「俺が俺が」と苦しむ。

 私は、この手の「自分」という名の「現代病」に対して、仏教の無我論はよき処方箋を提示してくれているように思うのです。「俺が俺が」という苦しみ、生老病死の四苦、死の恐怖といった様々な苦しみの根源をたどると、「私は確固として存在している」「ずっと存在していたい」という欲望
から来ています。「自分」がいつかは死んで存在しなくなることへの怖れは、そもそも「自分」などという「もの」は錯覚であるという智慧によって消えるというわけです。
 さらに言えば、「自分」なる「もの」が錯覚なのであれば、自分の所有物などというのは単なる社会的な合意であり観念であって実際には存在しないということになる。そうすると、「自分」のまわりに広がっている自分中心の世界も消える。そうやって、それまで実在すると思い込んでいた「もの」が実在しないという智慧を得て、目の前の現象を如実に見ることができれば、自動的に多くの苦しみも消える。先ほど引用した経典で説かれているのはそういう考え方です。

 ここで、「『自分』が存在しないんだったら、しっかりした生き方や立派な生き方をする必要もなくない? いい加減な生き方をしてもいいということなの?」という疑問を抱いた方もおられるかもしれません。この点については後ほど、「自洲法洲という言葉と無我の関係」について話すので、そこで述べます。


 さて、先ほど引用した相応部経典では釈迦は、五蘊の全てがコントロール不能であり変化し続けてとどまることはないと述べていました。その上で釈迦は、五蘊は全て「苦」であるとも述べています。これは一体どういうことでしょうか。

 それを説明するために、以前保留にしていた「苦諦によれば、この世は苦しみに満ちているというけど、世の中にはつらいことや悲しいことばかりじゃなくて、楽しいことや嬉しいこともあるじゃないか。この世は苦しみに満ちているというのはあまりに悲観的で偏った見方だ」という疑問にここで答えることにします。

「苦」というのはドゥッカという言葉を漢訳したもので、ドゥッカという言葉はパーリ経典では「不完全さ、無常、虚しさ、実質のなさ」といった意味あいも含んでおり、普通の意味での苦しみよりもはるかに広い意味で用いられているということは以前述べた通りです。「苦しみ」というよりは「不満足」と訳したほうが近いとも言いました。このことについて説明します。

 初期仏教でドゥッカを説くとき、人生における幸福がないと言っているわけではないです。むしろ経典の中の釈迦は、俗人にとっても僧にとってもさまざまな精神的・物質的な幸福があることを認めています。
 実際、パーリ経典をひもとくと、家族生活の幸福とか、隠遁生活の幸福とか、感覚的な喜びによる幸福とその放棄による幸福とか、執著による幸福と無執著による幸福とか、いろんな精神的・物質的な幸福が述べられています。しかし、ここが重要なポイントですが、それらがすべてドゥッカに含まれるのです。
 さらには、高度な瞑想によって得られる非常に高い精神的次元であるとか、心地よさや不快さといった次元を超えた静寂な意識の次元といった「もの」すらも、すべてドゥッカに含まれています。

「骨折して腕が痛くて苦しい」とか「人間関係がうまくいかなくて苦しい」とかいった普通の意味での苦しみだけがドゥッカではありません。端的に言えば、初期仏教は「無常なるものはすべてドゥッカである」と言っているのです。何らかの原因や条件によってつくられた無常なる「もの」に執著しても、すべて不満足に終わると言っているのです。何らかの原因や条件によってつくられた「もの」はすべて無常でありドゥッカであると言っているわけですから、ドゥッカというのは人間の感情や心理について説いたものではなく、人間が経験する現象について説明した教えだと言った方が正確です。「苦」と聞くと感情や心理に関する話だと感じるかもしれませんが、そうではありません。人間が経験する現象は、原因や条件によって形成された「もの」である以上、すべて思い通りにならない。“ままならない”。最終的には不満足に終わる。それがドゥッカということです。


この点についてもっとつめましょう。つまりはこういうことです。

①例えば、あなたがかっこいい人や美しい人に出会ったとしましょう。あなたは彼(彼女)を好きになり、惹かれ、その人と何度も会いたくなり、会うことが喜びとなり楽しみとなります。これは嬉しく楽しいことであり、誰もが経験することです。
②しかしこの彼(彼女)の魅力も永遠ではなく、この嬉しさや楽しさも永遠ではない。状況が変わってその人に会えなくなると、あなたは嬉しさや楽しさが“なくなった”と感じ、悲しくなり、精神的に不安定になったり、愚かな振る舞いに及ぶこともある。これがドゥッカです。これも人生において誰もが経験することです。
③もしもあなたが自分の欲望に執著しなければ、それが自由であり解放である。

 この三点は、人生におけるすべての喜びや楽しみに共通することです。なぜなら、人生におけるすべての喜びや楽しみはすべて無常であるからです。
このドゥッカというのは、初期仏教を理解するうえで極めて重要なポイントです。ここがわからないと、初期仏教の核心はわかりません。

もう一つ例をあげましょう。例えば、あなたが末期のガンに罹っており、医者に余命数ヶ月だと宣告されたとしましょう。

 末期ガンといっても、死に至るまでの一日一日は様々です。ひどい肉体的苦痛に苛まれる日もある。苦しさが和らぎ、食事や家族との会話を楽しめる日もある。しかしそういう苦しみや楽しみが日々現れては消え、消えては現れている奥底で、「自分」は死に向かっているのだという不安がずっと通奏低音のようにあり続けている。末期ガンになったあなたは、相対的な幸福=不満足=ドゥッカを感じることはあっても、絶対的な幸福を感じることはない。でも、よく考えてみれば人間は誰でもいつかは死ぬわけで、健康な人や若い人と末期ガン患者を分かつものは、時間の長短しかない。そういう意味で人間はすべて「末期ガン患者」です。しかし、人間は仏教で渇愛や無明(後ほど説明します)と呼ばれる迷いのために、そのことがなかなかわからない……。


 人間は「普通に」生きていれば、食べ物を見れば「おいしそうだなあ」と思うし、女の子を見れば「かわいいなあ」と思う。そういう欲望の対象をゲットできれば「楽しいなあ、シアワセだな」と感じる。そうやって「自分」はこうしたい、こうありたいという欲望や夢や希望がどんどん実現されていくことでシアワセになれると考えている。これは常識的で“自然な”思考です。

 しかし、初期仏教はそれは錯覚だと説くのです。なぜならこの世は、欲望や夢や希望を実現してシアワセになろうとする努力はすべて裏切られ、打ち砕かれ、不満足に終わる構造になっているからだ、と言うのです。人間は、「自分」や「自分の所有物」や「おいしい食べ物」や「かわいい女の子」といった「もの」が本体を持って確固として実在していると考えているが、それは錯覚であるし、そのような何らかの原因や条件によってつくられた「もの」はすべて無常であるから、「自分」であれ「愛する人」であれいつかは滅びざるをえない。そういう意味で、この世を如実に見れば、つくられた「もの」=原因・条件によって生じた「もの」はすべて思い通りにならず”ままならない”し、シアワセになりたいというキモチはすべて不満足に終わり、打ち壊されざるをえない構造になっているのだと言っているのです。そうである以上は、真に安らぎを求める者がすべきことは、シアワセを求めるという人間にとって“自然な”性向やキモチを捨て、渇愛を滅ぼすことである。初期仏教はそう説いているのです。


 ここで、前回引用したユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』の、初期仏教の核心を非常に鋭く捉えた箇所をもう一度眺めてみましょう。


「心はたとえ何を経験しようとも、渇愛をもってそれに応じ、渇愛はつねに不満を伴うというのがゴータマの悟りだった。心は不快なものを経験すると、その不快なものを取り除くことを渇愛する。快いものを経験すると、その快さが持続し、強まることを渇愛する。したがって、心はいつも満足することを知らず、落ち着かない。(中略)快いものを経験したときにさえ、私たちはけっして満足しない。その快さが消えはしないかと恐れたり、あるいは快さが増すことを望んだりする。人々は愛する人々を見つけることについて
何年も夢見るが、見つけたときに満足することは稀だ。相手が離れていきはしないか不安になる人もいれば、たいしたことのない相手でよしとしてしまったと感じ、もっと良い人を見つけられたのではないかと悔やむ人もいる。周知のとおり、不安を感じながら悔やんでもいる人さえいる」
「ゴータマはこの悪循環から脱する方法があることを発見した。心が何か快いもの、あるいは不快なものを経験したときに、物事をただあるがままに理解すれば、もはや苦しみはなくなる。人は悲しみを経験しても、悲しみが去ることを渇愛しなければ、悲しさは感じ続けるものの、それによって苦しむことはない」
「ゴータマは、渇愛することなく現実をあるがままに受け容れられるように心を鍛錬する、一連の瞑想術を開発した。この修行で心を鍛え、『私は何を経験していたいか?』ではなく『私は今何を経験しているか?』にもっぱら注意を向けさせる。このような心の状態を達成するのは難しいが、不可能ではない」
「二五○○年にわたって、仏教は幸福の本質と根源について、体系的に研究してきた。科学界で仏教哲学とその瞑想の実践の双方に関心が高まっている理由もそこにある」
「幸福に対する生物学的な探求方法から得られた基本的見識を、仏教も受け容れている。すなわち、幸せは外の世界の出来事ではなく身体の内で起こっている過程に起因するという見識だ。だが仏教は、この共通の見解を出発点としながらも、まったく異なる結論に行き着く」
「ブッダの洞察のうち、より重要性が高く、はるかに深遠なのは、真の幸福とは私たちの内なる感情とも無関係であるというものだ。事実、自分の感情に重きを置くほど、私たちはそうした感情をいっそう強く渇愛するようになり、苦しみも増す。ブッダが教え諭したのは、外部の成果の追求のみならず、内なる感情の追求をもやめることだった」(ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』 柴田裕之訳)

 ちょっと整理してみましょうか。
「あれがしたい、これがしたい、あれをやってみよう」という人間の欲望や衝動は、勝手にふっと浮かんでくる「もの」であって、「自分」の意志で浮かばせているものではない。人間は、そういうふっと浮かんでくる欲望や衝動を「自分」の意志だと錯覚する。欲望や衝動を、「これは私の「もの」であり、これは私であって、これは私の自我である」と捉えるようになってしまう。
 先行する条件(色・受・想・行・識が集まり関係しあうこと)によって、勝手に浮かび上がってくる心理的な現象に過ぎない欲望や衝動を「自分」の意志だと錯覚してしまう。その結果として、欲望や衝動の奴隷になってしまい、欲望や衝動に追い立てながら、常に新しい刺激を求めて生きるようになってしまう。

 常識的にはそういう生き方が「自由」で“人間的”な生き方だと思われているが、「自然な流れ」のままに勝手にふっと浮かんでくる欲望や衝動にそのまましたがって行為することこそが、「不自由」な振る舞いである。そういう生き方をしても、この世で「自分」が経験する現象は、すべて五蘊が集まり条件づけられて立ち現れている。それらはすべて、移ろいゆく「もの」であり永遠ではない。
 だからこそ、「快いものを経験したときにさえ、私たちはけっして満足しない。その快さが消えはしないかと恐れたり、あるいは快さが増すことを望んだりする。人々は愛する人々を見つけることについて何年も夢見るが、見つけたときに満足することは稀だ。相手が離れていきはしないか不安になる人もいれば、たいしたことのない相手でよしとしてしまったと感じ、もっと良い人を見つけられたのではないかと悔やむ人もいる。周知のとおり、不安を感じながら悔やんでもいる人さえいる」。
 よって、この世で「自分が」経験する条件づけられた現象はすべて、ドゥッカ=不満足である。

「ブッダの洞察のうち、より重要性が高く、はるかに深遠なのは、真の幸福とは私たちの内なる感情とも無関係であるというものだ。事実、自分の感情に重きを置くほど、私たちはそうした感情をいっそう強く渇愛するようになり、苦しみも増す。ブッダが教え諭したのは、外部の成果の追求のみならず、内なる感情の追求をもやめることだった」というのは、こういうことです。以前ちらっと、「仏教では『愛』という言葉は(いい意味で使われることがないわけではないけど)基本的には執著であり悪い意味の言葉である」と言いましたが、その理由がわかっていただけたでしょうか。

 また、苦諦について説明したところで、四苦八苦の中の一つである五取蘊苦については説明を保留していましたが、もう文字面からどういうドゥッカであるのか想像はつくかもしれません。
 つまり、色・受・想・行・識という要素の集合体に過ぎない「もの」を、確固として存在する「自分」だと錯覚することから生じるドゥッカです。
とかく世間では仏教=ペシミズムというイメージが強いようですが、私は、こういう初期仏教の思想は、悲観主義とは一線を画するものではないかと思います。なぜなら、人間が経験する、原因や条件によって生じた現象はすべてドゥッカであると説いているとはいえ、渇愛を滅ぼしてそこから脱出するという道筋も説いているからです(とはいえもちろん、楽観主義でないことも確かです)。とはいえ現代を生きる日本人には、こういう思想は“非人間的”だと考える人も多いかもしれないとは思います。
 確かに初期仏教には、現代日本人の常識に反する考え方が含まれているし、現代日本人が“非人間的”だと考えるであろう要素も含まれている。そこはごまかすべきでない。初期仏教には、ドゥッカや無我といった、よくよく考えるとリクツとしては納得できても、人間の日常的な実感や“自然な”性向には反している教えが含まれていることも間違いありません。

 この“非人間的”ということについて、ここでちょっと私の考えを述べておくことにします。
 人間は「普通に」生きていれば、食べ物を見れば「おいしそうだなあ」と思うし、女の子を見れば「かわいいなあ」と思う。そういう欲望の対象をゲットできれば「楽しいなあ、幸せだな」と思う。だから欲望の対象に執着するし、執着するからこそ例えば異性と結びつくことができ、異性と結びつくことができると子供ができて、家族ができて、人口が増える。その家族を養うために仕事をして、お金を稼いで、稼いだお金を使うから経済が回り、人々のつながりもできて社会が全体として豊かになる……おおざっぱに言えばそんな具合で人類は発展してきた。ということは、人々が何かを実体視して欲望の対象を楽しみ、欲望の対象にふけるということは、家族や経済や社会といった領域を正常に成り立たせていくためには必要不可欠なわけです。

 一方、初期仏教の中心問題は、人間はいつかは死ぬとか生老病死の苦しみは避けられないとかいった己の生死を巡る事柄ですから、これは個人を場にして生じる問題です。これは「実存」という言葉で表現されるような問題であり、政治とか経済とか社会とか人類の歩みとかいった問題とは別な問題であるわけです。
 つまり初期仏教の核心は、よい政治によって世の中がうまく治まり、経済が繁栄を極め、社会問題が解決して世の中が天国に近づいていこうとも決して解決されずに残ってしまう実存や生死をめぐる問題にあるのであって、人類や社会をよりよいものに改善していこうという方向性とは違うように思うのです。
 人間社会は欲望の対象に執着することでうまくまわっている以上、「あなたにも、あなたの欲望の対象にも実体はないのです。無我の精神で生きましょう、仏教の教えで世の中をよくしましょう」などと説いても、世の中を破壊することにしかならないような気すらします(´・ω・`)

 何かを実体視して欲望の対象を楽む、欲望の対象にふける、そうやって実体視された「もの」の背後にある「幻想」や「物語」を信じるということは人類全体を発展させるという政治の次元では不可欠ですが、そういう執著や「幻想」や「物語」は個人のレヴェルでは人間にドゥッカをもたらす。仏教が問題にしているのはまさにこの点です。

 仏教はあくまでも、「自分はいつかは死ぬ、どうせいつかは死ぬし何をやろうとも築こうともいつかは全て消えてなくなるのになぜ生きるのか」といったような無常を巡る問題を抱えた人が実践すればいいのであって、「普通に」人生を送ることができている人がありがたがるようなものではないように思います。誰に対してもスバラシイ教えであり、万人に対して有効な考え方だとはちょっと思えません。

 私は仏教は病院のようなものではないかと思っています。「自分はいつかは死ぬ」といったような、仏教で無常とか一切皆苦とか呼ばれている問題を抱えた人だけがそこに入院すればいいんじゃないかと思います。「健康な」人に無理矢理薬を飲ませたりしても逆に体に良くないだけだし、「健康な」人は仏教と無縁なところで幸福に生きていって何の問題もないと思うのです。

 ちょっと一例をあげると、ダライラマ14世は、『ダライラマ 怒りを癒す』という著書の中で、「仏教では世界に対して伝道をしたり、伝道師をおくったりしないのでしょうか。伝道しないというなら、その理由は? 世界は切実に精神面での救いを求めていると思うのですが」という問いに対して、こう答えています。


 アショーカ王の時代(紀元前三世紀)には仏教の伝道も行われたようです。しかし仏教は伝統的に、改宗のために伝道師を派遣したり、折伏活動をしたりといった伝道行為に熱心ではありませんでした。ただ人が教えを求めに来るのを待つだけなのです。もちろん求めに応じて、教えを説く義務と責任はあります。昔ならいざしらず、今日では世界はどんどん狭くなっており、もっと協調の精神が重んじられるようになってきています。となれば仏教の伝道師の派遣など問題外です。他の宗教も伝道行為を一定以下に抑えたほうがいいのではないでしょうか。一つの宗教が躍進すれば、それだけ他の宗教は衰えます。すると揉め事がおきる可能性も出てきます。これはよいこととは思えません。(三浦順子訳)

 ちなみに、時代が下ると、日本なんかでは積極的に「折伏」を行う宗派が現れたりもしますが、それははるか後世の話です。いずれにせよ、仏教という病院に本当に入院しなければならない人というのは少数なのではないかとは思います。

 そもそも仏伝によれば、釈迦は王子様として生まれて何不自由ない生活を送り快楽の限りを尽くすことができる立場だったにもかかわらず、それに虚しさを覚えて出家したということになっていますから、世俗的な楽しみや喜びや幸福では満足できなかったわけです。世俗的な幸福では、人間はいつかは老いて病気になり、そして必ず死ぬという生死を巡る宿命や、「実存」についての苦悩や不安は解決しないからこそ釈迦は出家したらしい。ということは逆に言えば、人間の生死とか「実存」の苦しみとか生きる意味とかいったような問題を抱えていない人には仏教は無縁だとも言えます。

「お金をいっぱいゲットしたりうまいもんいっぱい食ったり異性にモテたりして欲望を満たし脳内麻薬を出しまくって生きていきたい。自分はそれで楽しいし、それの何がいけないのかがわからん」という人は、それで何ら悪くないと私は思うし、初期仏教が言えることはあまりないんじゃないかと思います。
 そこまでふっきれなくても、多くの人は目の前の仕事とか家族の面倒を見るとか老いた親の介護とか、生きることに必死だろうし、これも悪いことではない。100人の人がいるとすれば、仏教は1人の人のための病院なのではないかと思います。

 しかし、仏教は各地でいろんな形に変容しながらも存在し続けてきたわけで、そこに価値を見出す人が2500年もの間ずっと存在し続けてきたことも確かです。
 それは人類全体からすれば数は多くはないのかもしれませんが、普通に生きている人の中にも、例えば「火事で全てを失った」「津波で家族がみんな流されてしまい、自分だけが生き残ってしまった」「不治の病であと半年しか生きられないと宣告された」といったような事件によって、そこに「無常」や「一切はドゥッカである」という深淵が存在することに気づいてしまう人は必ず出てくる。

 ほとんどの人は「自分がいつかは死ぬというのが一体どういうことなのか」をわかっていると思い込んでいるだけで、本当は全くわかっていないのだということ(繰り返しになるようですが、私はそれが悪いことだとは思いません。わからないまま生きて死ねるのならば、それは皮肉でなく仕合せなことだと思います)に気づいてしまう人は必ず出てくる。

 100人の人がいるとすれば、それを必要とするのは1人だけかもしれないけど、永遠に生きられる人などいない以上、誰でもその1人になる可能性が常にある。誰しも、何らかのきっかけで入院が必要になることはある。仏教に必要なのは、普通に生きている人もいざというときに駆け込める病院としてそこにあるということであって、それ以上でもそれ以下でもないんじゃないか、というのが私の現時点での考えです。


 本題に戻ると、先ほど引用した経典には、無常・ドゥッカ・無我という三つの考え方が含まれているということになります。この三つの考え方については、『ダンマパダ』という経典のなかに、次のような一節があります。


一切のつくられたものは無常である。(『ダンマパダ』第277偈より)
一切のつくられたものはドゥッカである。(『ダンマパダ』第278偈より)
一切のものは無我である。(『ダンマパダ』第279偈より)


 これらの教えは漢訳ではそれぞれ、「諸行無常、一切皆苦、諸法無我」と訳されています。この三つは四諦説や、後ほど述べる縁起の教えと相互に絡みながら仏教の核心を形成している重要な教理です。



 さて、無常やドゥッカや無我についてはこのくらいにして、今度は三宝について説明したいと思います。

 三宝というのは、仏と法と僧という三つの宝という意味です。これらは、仏教徒が帰依し尊敬する三つの要素であり、多くの仏教の宗派で教えの基礎として位置づけられています。ここでは、三つがそれぞれどういうものなのかを見ていきます。

 まず、。仏教というのは文字通りには「仏の教え」ということですが、そもそも仏とは何なのかということをまだ説明していないので、ここで述べておきます。
 仏というのは、サンスクリットのブッダという言葉を漢訳した語です。そしてブッダというのは、ブドゥという「目覚める」という意味の自動詞の過去分詞形であり、「目覚めた人」ということです(覚者という漢訳語もあります)。つまり、迷いから目覚めて、この世を如実に見た者が仏だということになります。

 ではこの仏というのは具体的に誰のことを意味するのか。このことを考えるために、ちょっと突っ込んだ話になりますが、少し時計の針を戻して仏教誕生以前まで遡ってみます。
 仏教が誕生する以前の古いインドの文献にもブッダという言葉は出てくるのですが、その場合は単に「真理を悟った人」という意味です。少し時間が下って、仏教の誕生とほぼ同時期に登場したジャイナ教の古い聖典になると、宗教を問わず聖人や賢者のことをブッダと呼んでいます。では、初期の仏教文献ではどうかというと、古い経典である『スッタニパータ』にこんな用例があります。

 修行僧は時ならぬのに歩き廻るな。定められたときに、托鉢のために村に行け。時ならぬのに出て歩くならば、執著に縛られるからである。それ故に諸々の<目ざめた人々>は時ならぬのに出て歩くことはない。(『スッタニパータ』386・中村元訳)

 ここで<目ざめた人々>と訳されているのがブッダという言葉です。インド哲学者の中村元は、ここに出てくる「仏たち」について、非時に出歩くべきかどうかを問題にするような普通の人間としての賢者を考えていたのであり、文脈からすれば比丘と同義であると指摘しています。また、仏教学者の並川孝儀は、古い経典にはこのような複数形のブッダの用例が多数確認できると指摘しています。

 これらの事実から見えてくることをまとめてみます。
 まず本来、ブッダという言葉は元々普通名詞であり、仏教以外の文献では聖者や賢者一般を意味する言葉でした。そして仏教でも古い経典では普通名詞であり、元々は釈迦一人を指す言葉ではなく、修行を完成させて目覚めた人を意味する言葉であり、釈迦だけでなく覚りをひらいた釈迦の弟子たちをも指す言葉だったわけです。

 仏(ブッダ)に関連する言葉として、阿羅漢(パーリ語ではアラハント・サンスクリットではアルハット)という語があります(応供という漢訳語もあります)。これは「尊敬に値する人」という意味の言葉で、古い仏教文献でもジャイナ教でも、ブッダとほとんど同じような意味で使われていました。ところが仏教では、釈迦の死後に釈迦がどんどん神格化されていきます。そうすると、ブッダという語は釈迦ただ一人を意味するようになりました。つまり「固有名詞化」したのです。そして、釈迦以外の人で、修行を完成させて
目覚めた人のことを阿羅漢と呼ぶようになりました。我々パンピーは、修行して目覚めれば阿羅漢にはなれるけれども仏にはなれない、という話になっていったわけです。ですからその場合、仏・法・僧の三宝に帰依するというときの仏というのは、釈迦を指すことになります。

 そのため、こういう事情を受け継いでいる部派仏教の出家者の最終目標は、阿羅漢になることです。タイやミャンマーなどの東南アジア諸国やスリランカでは、初期仏教を“わりと”忠実に継承した仏教が現在も行われていますが、そこでも基本的には最終目標は阿羅漢になることです。
 また、関連語として如来(サンスクリットでタターガタ)という言葉もあります。これは、ブッダという言葉とほぼイコールだと思っていただいて大丈夫です(イコールだと言い切ってしまうのにはいろいろと問題があるのですが、入門の段階ではまぁそれでいいんじゃないかと思います)。この言葉も、古い経典では釈迦以外の「目覚めた」人をも指していたりします。

 少し脱線すると、日本で仏というと、「人間は死ぬとみんな仏になる」と言ったり、刑事ドラマなんかで死体のことを指して仏さんと言ったり、あるいは車やピストルがぶっ壊れると、「車がお釈迦になる」「ピストルがお釈迦になる」と言ったりします。ですが、今まで述べてきたことからも明らかなように、元々のインド仏教では、ただ死んだだけで仏になれるなどということはありえません。仏や阿羅漢や如来になるためには、修行を積む必要があります。ではなぜ日本では、人が死んだり機械が壊れたりすることを「仏になる」などと表現するのか。

 実はここには非常に重要な思想史的問題が潜んでいるうえに、私がこの雑文を書いている理由ともかなり絡んでくるのですが、説明しているとものすご~く長くなってしまうので、ここでは保留にして後に述べることにします。今はとりあえず、以前も申し上げたように、仏教の歴史は壮大な伝言ゲームだという側面があり、日本の仏教はかつてのインド仏教とはだいぶ違ったものになっているからだということだけを申し上げておきます。

 仏についてはいったんこれくらいにして、次はについて。
 法というのは、パーリ語ではダンマという言葉です。サンスクリットではダルマといいます。後世の中国で見られる菩提達磨という人も、ここから名前をとっているわけです。

 ダルマというのは非常に多義的で扱いに困るところがある言葉なんですが、もともとはサンスクリットのドゥリという、「保つ」という意味の動詞からできた言葉です。そしてダルマは名詞ですから、「保つもの」というイメージの言葉です。

 例えば、ダルマには法律という意味がありますが、それは法律は社会の秩序を保つ「もの」だからです。また例えば、自然法則は宇宙の進行を保つ「もの」ですので、法則という意味もあります。そしてその法則を説く「教え」という意味もあるわけです。そういうわけで、多義的で困った言葉なんですが、仏・法・僧の三宝という場合の法は、「正しい教え」という意味になります。

 最後に、について。これはサンスクリットではサンガという言葉です。
これは、お坊さんのことかと思われる方がおられるかもしれませんが、そうではありません。仏・法・僧の三宝というときの僧というのは、一人ひとりの坊さんを指すのではなく、出家者が集まってつくる修行のための組織のことです。厳密に言えば、四人以上の比丘または四人以上の比丘尼が集まってできる修行組織です。個別の人間ではなく、組織を指す言葉です。

 以上、簡単ではありますが三宝について説明しました。先ほども申し上げましたが、三宝は多くの仏教の宗派で教えの基礎として位置づけられており、仏教を構成する重要な三要素とされています。つまり、仏教とは一体何なのかというと、仏を信頼して、仏の教えに従って暮らす比丘(比丘尼)たちが、修行組織を守りながら修行に励んでいる状態だと言うことが「一応は」できます。「一応は」というのは、実際には仏教の歴史を知れば知るほど仏教とは一体何なのかがわからなくなっていったりするからなのですが、ここではその話には立ち入りません。

 とりあえず、仏教徒になるには、仏と法と僧という三つの前提を信頼し受け入れなければならないとは言えます。現代日本人にとっては、「全知全能の神が存在する」とか「神が七日間で宇宙を創造した」とか「マリアは処女のままでイエスを懐胎した」とか「イエスは刑死したのに三日後に復活した」とか「最後の審判がある」といった前提を無条件に信じて受け入れるよりはハードルが低いのではないかと思います。三宝についてはこれくらいにします。(続く)

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