「即」という名のアポリア 第5回

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 今回は、無記についてです。
 最初に言っておくと、この無記という教えは、ナーガールジュナの『中論』を読み解く上でも、ものすごく重要です。というのも、ナーガールジュナの『中論』は、無記の考え方を大規模に発展させたものだと解釈することができるからです。では無記とはどういうものか。早速ですが例のごとく経典を見てみましょう。

 今回取り上げるのは、パーリ中部(マッジマ・ニカーヤ)に出てくる、マールンキャープッタという人にまつわるエピソードです。この人は、世界がどのようにできているのかとか、生命と身体の関係はどうなっているのかといったような、哲学的な問題に深い関心を抱く人だったようです。


 そのとき、尊者マールンキャープッタは人影のないところへ行って静思していたが、その心に次のような考えが起こった。
「これらの考え方を世尊は説かれず、捨ておかれ、無視されている。すなわち――世界は永遠であるとか、世界は永遠でないとか、世界は有限であるとか、世界は無限であるとか、生命と身体とは同一なものであるとか、生命と身体とは別個なものであるとか、人は死後存在するとか、人は死後存在しないとか、人は死後存在しながらしかも存在しないのであるとか、人は死後存在するのでもなく存在しないのでもないとかいう、これらのさまざまな考え方を世尊はわたしに説かれなかった。世尊がわたしに説かれなかったいうことは、わたしにとってうれしいことではないし、わたしにとって容認できることでもない。だからわたしは世尊のところへ参って、この意味をたずねてみよう。もし世尊がわたしのために、世界は永遠であるとか、世界は永遠でないとか……人は死後存在するのでもなく存在しないのでもないとか、説かれるならば、わたしは世尊のもとで修行することにしようし、もし世尊がわたしのために、世界は永遠であるとも、世界は永遠でないとも……人は死後存在するのでもなく存在しないのでもないとも、説かれないようなら、わたしは修学を放棄して世俗の生活に帰るとしよう」(マッジマ・ニカーヤ第63経 桜部建訳)


 少しだけ面倒な前置きを。「人は死後存在するとか、人は死後存在しないとか、人は死後存在しながらしかも存在しないのであるとか、人は死後存在するのでもなく存在しないのでもないとか」という部分で、「人」と訳されているのはtathāgataという言葉です。これは如来を意味する言葉なのですが、無記の教えで出てくるtathāgataについては、後世のブッダゴーサという人が書いた註釈を根拠に、「衆生(生きとし生ける者)」や「人間」のことだと解釈する説があります。今引用した日本語訳もその説に沿ったものです。
 しかし、例えば仏教学者の森章司は、それは誤りであることを論証しています(注1)。そこでこの雑文ではひとまず、「人」ではなく「如来」のことだとして話を進めることにします。

 本題に入りましょう。たとえマールンキャープッタでなくても、すんげぇ宗教家がいたら「この人は世界や宇宙や人間に関する、人知を超えたような深い“真理”を語ってくれるんじゃないか」と期待する人もいるでしょう。そうでなかったとしても、宗教といえば、世界や宇宙や人間のすべてを語ろうとするものだとイメージする人も多いのではないでしょうか。
 そういう哲学的な問題をめぐる“真理”を釈迦が語ってくれないことを不満に思っていたマールンキャプッタの疑問に対する釈迦の答えは次のようなものでした。


 マールンキャープッタ、世界は永遠であるとか、世界は永遠でないとか……人は死後存在するのでもなく存在しないのでもないとか、世尊がわたしに説かれないかぎり、わたしは世尊のもとで修行することはしまい、と、もし人があってこのようにいうとしたら、マールンキャープッタ、如来によってそれが彼に説かれないうちに、その人は死期を迎えることになるであろう。
 マールンキャープッタ、たとえばある人が厚く毒を塗った矢で射貫かれたとしよう。彼の友人同僚や血縁の者らが内科医や外科医に手当てさせようとしたとしよう。彼がもし、わたしを射た人は王族であるか婆羅門であるか農商工業者であるか奴婢であるかが知られないあいだは、わたしはこの矢を抜くことはしない、というとしたら、また彼がもし、わたしを射た人の名はこれこれであり、姓はこれこれであると知られないあいだは……、わたしを射た人は長身か短身か中くらいかが知られないあいだは……、わたしを射た人は黒いか褐色か金色の肌をしているかが知られないあいだは……(中略)矢は普通の矢であるかクラッパであるかヴェーカンダであるかナーラーチャであるかヴァッチャダンタであるかカラヴィーラパッタであるかが知られないあいだは、わたしはこの矢を抜くことはしない、というとしたら、マールンキャープッタ、その人がそれを知らないうちに、その人は死期を迎えることになるであろう。
 マールンキャープッタ、まったく同様に、世界は永遠であるとか、世界は永遠でないとか……人は死後存在するのでもなく存在しないのでもないとか、世尊がわたしに説かれないかぎり、わたしは世尊のもとで修行することはしまい、と、もし人があってこのようにいうとしたら、マールンキャープッタ、如来によってそれが彼に説かれないうちに、その人は死期を迎えることになるであろう。
 マールンキャープッタ、世界は永遠であるという考え方があってはじめて人は修行生活にとどまるであろう、というようなことはない。マールンキャープッタ、世界は永遠でないという考え方があってはじめて人は修行生活にとどまるであろう、というようなこともない。マールンキャープッタ、世界は永遠であるという考え方があろうと世界は永遠でないという考え方があろうと、まさに、生まれることはあり、老いることはあり、死ぬことはあり、悲しみ・嘆き・苦しみ・憂い・悩みはある。現実にそれらを制圧することをわたしは教えるのである。
(中略)
 マールンキャープッタ、何ゆえにそれをわたしは説かないか。マールンキャープッタ、これは目的にかなわない。修行のための基礎となるものではない。世俗的なものへの嫌悪・欲情から離れること・煩悩の消滅・心の静けさ・すぐれた知恵・正しいさとり・涅槃のために役だたない。このゆえにそれをわたしは説かない。
 マールンキャープッタ、これは苦であるとわたしは説く。これは苦の生起する原因であるとわたしは説く。これは苦の消滅であるとわたしは説く。これは苦の消滅に進む道であるとわたしは説く。
 マールンキャープッタ、何ゆえにそれをわたしは説くか。マールンキャープッタ、これは目的にかなう。これは修行のための基礎となる。これは世俗的なものへの嫌悪・欲情から離れること・煩悩の消滅・心の静けさ・すぐれた知恵・正しいさとり・涅槃のために役だつ。このゆえにそれをわたしは説く。(同前)


 この経典は「毒矢のたとえ」と呼ばれることがあります。この中で釈迦は、マールンキャープッタの問いに対して、「答えない」という態度を示したわけです。初期仏教では、人間が経験することができる事実に基づいて答えを出すことができない問題については、答えないのです。

 これを無記と言います。マールンキャープッタがここで取り上げているような、理論のための理論やリクツのためのリクツにしかなりようがない問題であるとか、人間が経験できないようなことを前提にしてそこから出発することで築き上げられる類の理論体系にかかずらうような不毛なことはせずに、まず己に刺さっている毒矢を抜きなさい、議論のための議論にしかなりようがない水掛け論にしかなりようがない問題は捨ておいてまず己のドゥッカという根本問題を解決しなさい、と教えるわけです。

 この無記の教えは、自然科学にも通じるところがあります。自然科学の対象は人間が経験する現象のみです。「神様は存在するのか存在しないのか」
「霊魂は存在するのか存在しないのか」「死後の世界はあるのかないのか」といった問題は、実験や観察といった手段を通じて経験によって認識判断することが不可能であるから、研究対象にはなりません。

 縁起説のところでも述べたように、初期仏教では他の宗教のように、(人間が経験によってその存在を証明することができない)絶対的な神様がいて不可思議なパワーで世界を動かしたり、人々に何かを強制したりするといったような形でこの世界の構造について説明したりはしません。すべての現象は何らかの条件によって現れた結果であり条件がなくなれば滅びると考えるわけで、そういうところで自然科学と似通っている部分もあると言えます。

 また、この無記の教えからは、初期仏教は学問や哲学のように、世界や宇宙や世界についてのあらゆる事柄を把握し説明するものでは全くないということがわかります。
 初期仏教の目的は世界や宇宙について知ることではなく、あくまでも「毒矢」を引っこ抜くことです。己の生老病死という実存をめぐる問題を解決することが目的であり、世界について説明したり記述したりしようとしているのではないというわけです。

 ちなみに、この「毒矢のたとえ」を、リクツや理論よりも実践が大事だとを説いたものだと解釈する向きもあるようです。そういった解釈は、外れではないにしてもいささか危険な側面があると私は考えています。というのは、今まで見てきた四諦や無常やドゥッカや無我や縁起の教えからも明らかなように、釈迦は理論を全く軽視していないからです。

 これまで引用してきた経典からもわかるように、四諦であれ無常であれドゥッカであれ無我であれ縁起であれ、釈迦は話を論理的に進めています。仏教は、行学の両輪から成り立っており、学ぶことと修行の実践のいずれを欠いてもダメだとされているわけです。釈迦が答えなかったのはあくまでも人間が経験できないことがらに関する不毛な議論やリクツのためのリクツであって、人間が経験できる領域については筋道を立ててリクツを語っているわけです。そこを取り違えてはいけないと思います。


 さて、この無記はナーガールジュナの思想とも深く絡んでくる重要な教えですので、ここでちょっと興味深い事実をいくつか示していこうと思います。まず、このパーリ経典でマールンキャープッタが提示した問いは次のように整理できます。


①世界は(時間的に)永遠であるのか
②世界は(時間的に)永遠でないのか
③世界は(空間的に)無限であるのか
④世界は(空間的に)無限でないのか
⑤生命と身体とは同一なものであるのか
⑥生命と身体とは同一なものでないのか
⑦如来は死後存在するのか
⑧如来は死後存在しないのか
⑨如来は死後存在しかつ存在しないのであるのか
⑩如来は死後存在するのでもなく存在しないのでもないのか


 ここで着目したいのは⑦~⑩です。この⑦~⑩にたいして釈迦が答えなかったということを一般的な形で言うと、「Aであるとも言わないし、非Aとも言わないし、Aかつ非Aとも言わないし、非Aかつ非非Aとも言わない」と
なります。このような形の論理形式は、古くから仏教経典に見られるものです。ちょっと一例をあげておきます。


 傍らに坐した遊行者ティンバルカは、世尊に申しあげた。
 「友ゴータマ(瞿曇)よ、苦楽は自作でありましょうか」
 「ティンバルカよ、そうではない」
 と、世尊はいった。
 「友ゴータマよ、では苦楽は他作でありましょうか」
 「ティンバルカよ、そうではない」
 と、世尊はいった。
 「友ゴータマよ、では、苦楽は自作にして、また他作でありましょうか」
 「ティンバルカよ、そうではない」
 と、世尊はいった。
 「友ゴータマよ、では、苦楽は自作でなく、他作でなく、因なくして生ずるものでありましょうか」
 「ティンバルカよ、そうではない」
 と、世尊はいった。
 「友ゴータマよ、では、苦楽はないのでありましょうか」
 「ティンバルカよ、苦楽はないわけではない。ティンバルカよ、苦楽はあるのである」
 「では、尊きゴータマは、苦楽を知らず、苦楽を見ないのでありましょうか」
 「ティンバルカよ、わたしは、苦楽を知らないわけではない、見ないわけではない。ティンバルカよ、わたしは苦楽を知っている。苦楽を見ているのである」
 「だが、ゴータマよ、あなたは、苦楽は自作であるかと問えば、しからずといった。また、苦楽は他作であるかと問えば、あなたは、そうではないといった。では、苦楽は自作にして、また他作であろうかと問えば、あなたは、そうでもないという。では、苦楽は自作でもなく、他作でもなくて、因なくして生ずるものであろうかと問えば、あなたは、そうでもないという。では、苦楽はないのであろうかと問えば、あなたは、苦楽はないわけではない、苦楽はあるのだという。さらば、あなたは、苦楽を知らず、見ないのであるかと問えば、あなたは、いや、ティンバルカよ、わたしは苦楽を知っている、見ているのだという。では、尊きゴータマよ、あなたは、わたしのために、苦楽を示したまえ。尊きゴータマよ、わたしのために苦楽を説きたまえ」
 「受(感覚)とそれを感ずるものとはおなじであるというのは、ティンバルカよ、いまそなたが<苦楽は自作である>といったこととおなじであるが、わたしは、そんなことはいわない。
  また、受とそれを感ずるものとは別であるというのは、ティンバルカよ、いまそなたが<苦楽は他作である>といったこととおなじであるが、わたしはまた、そんないい方はしない。
  ティンバルカよ、わたしは、それら二つの極端を離れて、中道によって法を説くのである。いわく、無明によって行がある。行によって識がある。……かくのごときが、すべての苦の集積のよりて起るところである。また、無明を余すところなく滅することによって行は滅する。行の滅することによって識は滅する。……かくのごときが、すべての苦の集積のよって滅するところである、と」(サンユッタ・ニカーヤ12・18 増谷文雄訳)


 ここでは、「苦楽は自作でもないし、他作でもないし、自作かつ他作でもないし、自作でも他作でもないのでもない」と説かれています。このような、「Aでもないし、非Aでもないし、Aかつ非Aでもないし、非Aかつ非非Aでないのでもない」という論理形式が仏教では古くからみられるというわけです。この論理形式は、四句否定と呼ばれています。

 そして興味深いことに、この四句否定に非常に似かよった論理形式が、インドで仏教が誕生したのと同時期に出てきた仏教外の新興の思想家にもみられるのです。この新興の思想家について触れておくと、仏教が誕生したころに、大きな教団を率いていた人が六人いました。仏教側では彼らのことを六師外道と呼んでいます。

 ちょっと脱線するようですが、このあたりの背景事情について簡単に説明しておきます。

 仏教誕生当時のインド北東部のガンジス川中流域(釈迦が活動した地域です)は、経済的に大いに繁栄していました。この地域の主要な農産物は、安定的に多量の収穫が保証される米であり、大量の米の余剰生産に支えられて、商業や手工業が著しく発達し、多数の商業都市が出現したのです。都市生活者たちのあいだには、経済力を背景にして既存の伝統的な権威を否定する風潮がありました。インドの既存宗教であるバラモン教は従来の威信を保てなくなっていたのです。

 こうした中で、アンチバラモン教の立場に立つ思想家や宗教家たちが陸続と出現し、都市の商工業者や新興の権力者たちの支持を得ていったわけです。六師外道も釈迦も、こういう流れの中で出てきた当時の新興宗教家・新興思想家です。

 ちなみに、スリランカ出身の僧侶であるバンテ・H・グナラタナ長老は、仏教を生み出した紀元前6世紀の状況は現代と似ていると指摘しています。「急速な技術の進歩、富の増大、ストレスなど――加速する変化が人々の安定した生活や仕事にプレッシャーをかけ、脅かしてい」る、と(注2)。

 そして六師外道の思想をみていくと、そこには善悪の否定や唯物論や快楽主義や徹底した宿命論といったような要素が含まれています。武断的に言うなら、地縁や因習から切り離され、旧来の形骸化した権威を信じることはもはやできない都市生活者の、相対主義的でニヒリスティックな匂いをここに見い出してもいいのではないかと私は思っています。

 初期経典にあらわれている釈迦の思想は(世俗的な次元での善悪の否定についてはともかくとして)、唯物論でも快楽主義でも宿命論でもないですし、六師外道の思想とは明らかに異なってはいるのですが、どちらも従来の権威が崩壊した都市から出てきた思想ということで、どこか相通じる匂いを感じさせるところがあります。

 いずれにせよ、仏教というと、人里離れた山奥に隠遁して修行するというイメージを持っている人もいるかもしれませんが、もともとのインド仏教はそうではありません。都市と切っても切れない宗教です。ただしもちろん、都市生活をまるごと肯定したわけではありません。都市生活者の「自己否定」として出てくる宗教なわけです。

 話を無記や四句否定に戻しましょう。四句否定に非常によく似たもの言いをしているのは、六師外道の一人であるサンジャヤ・ベーラッティプッタという人です。パーリ長部(ディーガ・ニカーヤ)の『沙門果経』というお経に、(仏教側の立場からというフィルターを通してではありますが)彼の主張が描かれているので、みてみましょう。


 サンジャヤ・ベーラッティプッタはこう答えました。『もしあなたが、あの世はあるか、とたずねて、わたしがもし、あの世はあると考えたら、あの世はある、とあなたに答えるであろうが、(しかし実際には)わたしはそうはしない。そのとおりだとしてもわたしは考えないし、別だとも考えない。そうでないとも考えないし、そうでないのではないとも考えない。
 もしあなたが、あの世はないのか、あの世はありまたないものなのか、あの世はあるのでもなくないのでもないのか、とたずねても、同じことである。――またその他、化生としての存在はあるのか、化生としての存在はないのか、ありまたないのか、あるのでもなくないのでもないのか――、善行・悪行には結果が報いてくるのか、報いないのか、報いもし報いもしないのか、報いもなく報いがないのでもないのか――、さとった人(如来)は死後も存在するのか、存在しないのか、存在しまた存在しないのか、存在もしないし存在しないのでもないのか――と、もしたずねても、さとった人は死後存在もしないし、存在しないでもない、とわたしがもし考えたら、そう答えるであろうが、しかし、わたしはそうは答えない。そのとおりだとも考えないし、それとは別だとも考えない。そうでないとも考えないし、そうでないのではないとも考えない』と。(ディーガ・ニカーヤ2 長尾雅人訳)


 サンジャヤはこのように、鰻論法と言われるのらりくらりとしたもの言いをするという懐疑論的な態度を示しています。ここでサンジャヤが取り上げている問題は、以下の通りです。

(1)あの世はあるのか、あの世はないのか、あの世はありまたないものなのか、あの世はあるのでもなくないのでもないのか
(2)化生としての存在はあるのか、化生としての存在はないのか、ありまたないのか、あるのでもなくないのでもないのか
(3)善行・悪行には結果が報いてくるのか、報いないのか、報いもし報いもしないのか、報いもなく報いがないのでもないのか
(4)さとった人(如来)は死後も存在するのか、存在しないのか、存在しまた存在しないのか、存在もしないし存在しないのでもないのか

 見ての通り、完全に四句否定の形式です。特に(4)は、マールンキャープッタの⑦~⑩と同じです。

 では釈迦とサンジャヤの立場は一体どのように異なっているのか。釈迦の場合は、答えになってないような答えをもてあそんだりはせず、答えずに沈黙したという違いこそあるものの、人間が経験できる事実から出発しない議論から距離を置いているという点だけをとればそっくりです。

 一つ言えるのは、釈迦は、この世のすべては一切知りえないのだとする全面的な不可知論者ではなかったということでしょう。釈迦は四諦説や無常やドゥッカや無我など、経験的な事実に基づいたことであれば、積極的に教えを説いているわけです。
 また、これは文献から断言できることではありませんが、サンジャヤはこの調子だと、人間が経験できることであろうがなかろうが、たいがいのことを不可知として、のらりくらりと相対主義的にソフィストのごとく言葉をもてあそんでいたんじゃないかと思われます。

 どうもこのサンジャヤと釈迦の関係は、古代ギリシャのプロタゴラスをはじめとするソフィストたちとソクラテスとの関係や、古代中国の恵子と荘子の関係と近いところがあるんじゃないかと思いますが、ここではそこに立ち入るのはやめておきます。

 ちなみに、釈迦の弟子に、サーリプッタ(漢訳では舎利子)という人とモッガラーナ(漢訳では目連)という人がいます。この二人は、かなり早い時期に釈迦に弟子入りしており、二人とも釈迦から非常に頼りにされていて、初期の教団をまとめる上で重要な役割を担っていたと言われています。そしてこの二人の重要な弟子は、興味深いことにいずれも元々はサンジャヤの高弟だったのです。

 伝承によれば、サーリプッタは、釈迦のもとで最初の出家者となった五比丘のうちの一人であるアッサジと出会って大いに感じ入るとことがあり、モッガーラナとともに釈迦に弟子入りしました。その際に、サンジャヤの弟子250人も一緒にこぞって釈迦に弟子入りしたそうです。パーリ律には以下のように伝えられています。


 遍歴行者サーリプッタは尊者アッサジにこう言った、「友よ。あなたのもろもろの機官は清く澄み、皮膚の色は清らかで、清潔である。あなたは誰を仰いで出家したのですか? あなたの師は誰ですか? あなたは誰の教えを奉じているのですか?」と。
「友よ、シャカ族の出身で、シャカ族の家から出家した偉大な修行者であります。わたくしはかの尊師を仰いで出家したのです。わたくしの師はかの世尊であります。またわたくしはかの世尊の教えを奉じているのです。」
「では尊者の師は何を主張し、何を説かれるのですか?」
「友よ。わたくしは新参者で、出家して日浅く、この教えと戒律をいま奉じたばかりです。わたくしはあなたに教えを詳しく説き示すことはできませんが、しかし簡略に要点をお話ししましょう。」
 そこで遍歴行者サーリプッタは尊者アッサジにこう言った、
「何はともあれ、友よ、多少なりともお話しください。要点だけを言ってください。わたくしは要点だけを求めるのです。多く述べ立てたって、何になりましょう」と。
 そこで尊者アッサジは遍歴行者サーリプッタに次の<法に関する教え>を語った。
  「もろもろの事がらは原因から生じる。
  真理の体現者はそれらの原因を説きたもう。
  またそれらの止滅をも説かれる。
  偉大なる修行者はこのように説きたもう。」
 すると、遍歴行者サーリプッタは、この<法に関する教え>を聞いて、塵なく汚れなき真理を見る眼が生じた、――「およそ生起する性あるものは、すべて滅び去る性あるものである」と。(『律蔵』大品 中村元訳)


 サーリプッタはアッサジから縁起説を聞いて、釈迦のもとへ走ったというわけです。インド哲学者の中村元はこのサーリプッタとモッガーラナのエピソードについて、「仏教が懐疑論を乗り超えてひろがったという事情は重要視すべきである」と指摘していることをここに記しておきます。今回はこのくらいにしましょう。(続く)

続きはこちら

(注1)森章司『死後・輪廻はあるか――「無記」「十二縁起」「無我」の再考――』(『東洋学論叢』第30号・東洋大学文学部・2005年)

(注2)バンテ・H・グナラタナ『エイトマインドフル・ステップス』(サンガ・2014年)

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