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アートに触れる|放牧中にやっていることシリーズ

アートが好きになったのは、6年くらい前かな。

なんだか仕事にどん詰まり感を覚えて、八方塞がりのようになっていた時に、山口周さんの『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(2017年 光文社新書)という本を読んで、ああこれだ と、ピンときて、美術館にもよく足を運ぶようになったことを覚えている。

アートは、自分自身にアクセスできるところが好きだ。
作者が見ている世界と私が見ている世界を重ね合わせているようなものだと感じている。
その世界がリンクすればすると(勝手に)感じるほど、体の中の何かが反応して喜んだり怒ったり哀しんだり楽しんだりするように思う。
そんな解釈の自由が好きだ。

作家の意図は十分に理解できていないのかもしれないけれど。

それで、とても観たかった展示にやっと行ってきたので、書いてみたい。

翻訳できない わたしの言葉 2024年4月18日(木)-7月7日(日)

言葉や思いをそのまま受けとることから
世界には様々な言語があり、一つの言語の中にも、方言や世代・経験による語彙・文法の違いなど、無数の豊かなバリエーションがあります。話す相手や場に応じて、仲間同士や家族だけで通じる言葉を使ったり、他言語を使ったりと、複数の言葉を使い分ける人もいるでしょう。言葉にしなくても伝わる思いもあります。それらはすべて、個人の中にこれまで蓄積されてきた経験の総体から生まれる「わたしの言葉」です。他言語を学ぶことでその言語を生み出した人々の文化や歴史に触れるように、誰かのことを知ることは、その人の「わたしの言葉」を、別の言葉に置き換えることなくそのまま受けとろうとすることから始まるのではないでしょうか。

東京都現代美術館公式サイト
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/mywords/

もう、この展覧会については、この文章が全てを物語っている。素晴らしい文章だと思う。

展示作品を見て、言語は人間自体の形成にもかなり影響をすると感じた。今私は、日本語を母国語としているし、さらに言うと同じく日本語を母国語とする両親の言語圏の中で育ってきた。ここでいう、言語圏というのは、その人の意識が及ぶ範囲というイメージも含ませたい。

その他の言語が母国語であったとしたら、私は違う人格になっていたと確信している。きっと、私という現象は、オリジナルで特別である一方で、偶然の産物でもあるのだ。(宮沢賢治『春と修羅 序 』の一節をオマージュ)

今までの人生で、私と同じ東京弁を話す人がどれくらいいただろうか?
母国語が日本語でない人は?
音声言語を使わない人は?
人間語を使わない仲間は?

そう、変に母国語が同じだったりすると、言葉で完璧に伝え合えると思ってしまうことがあるから注意しておきたい。

小さい頃に父の実家へ遊びに行ったとき、島原弁の流暢な祖父に「そこにある洗剤を取ってくれ」というようなことを言われたのだけれど、普段東京弁の私には全く言葉として聞こえていなくて、5回くらい聞き返したところで祖父は怒って「もういい!」と言ったなんて、そんな類のことは誰しも心当たりがあるくらい頻繁に起こっていることなんだろう。

ビジネスシーンだって「言った言わない論争」は毎日勃発しているし、母国語を同じくする身近な大切な人に、大切なことをゆっくり時間をかけて伝えたはずなのに、「伝わっている」と確信が持てなかったり、「伝わったはず」と期待をして、やっぱり伝わっていなくて裏切られた気持ちになったり、まぁ人間は忙しい生き物だなぁと思ったり。


最後に、この展覧会では作家と一緒に作品を作ることができる展示がある。

「影ダンスをいっしょに」 新井英夫

張り切って、画像の左前方のスマホスタンドにスマホをセットして、動画を撮影したのだが、動画が挿入できないことに気づいたので、少し補足をすると、この画像の手前がわにプロジェクターがあって、前方の壁面には作家の影が映し出された動画が映し出されている。プロジェクターの前に手などをかざすと、前方の映像に影絵として映し出されるので、それを動画に撮ると作家と影絵でダンスをしているように見えるという作品である。

もちろん作家はそこにいない。
作家と言葉を交わしたわけでも、文章のやり取りをしたわけでもない。
作家が事前に撮影した影の動画に合わせて自分の手指を少し動かしただけ。
それだけなのに、どの作品よりも、”伝わって”きた。
私と作家だけのなにか、が私の中に生まれた瞬間のようなものを感じた。


とても風が強い夜に。

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