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ここかどこかで会えたら|濵本奏

廃墟での即興的な展示で「ここ」と「どこか」が重なる時空間を現前させる写真家の「いつか出会う」という希望。

2000年生まれの濵本奏がはじめて触れたフィルムカメラは、「壊れていた」という。両親のある日のデートを記録したはずだった写真は褪色し、姿型を変えた記憶としてあらわれていた。見たままに写らないイメージ。それが、彼女の写真との出会いだった。いまや過去の記憶は、「かつてそこにあった」と正しく呼び起こされるものではなく、すでにバラバラとなっていて壊れた形で存在している。

明け方の廃墟で人知れず行うという展示《VANISHING POINT》のイメージは、記憶と風景のあり方が重ね合わされ、曖昧で、壊れていて、変化し続ける。そのバイタリティに驚くとともに、誰にも見られることのないまま朽ちていく写真を残していくのはなぜかと思った。それと同時に、どこまでも続く海の眺め、黄昏の光に染まる空、風が吹き抜ける廃墟と、終末を感じさせながらもどこか清々しく抜けのいい二重性を持つこのイメージが、新しい現在の風景なのだという予感もする。濵本奏が見つめる先にあるのは、座標のない「消失点」なのだろうか。それとも、来るべき世界の未知なる風景だろうか。

text|酒井瑛作
image|濵本奏 “VANISHING POINT" 2020, IG


夜の海と逢魔時の光。幽霊的な曖昧さ。

――1冊目の写真集『midday ghost』は、いつ頃撮ったものをまとめているんですか?セレクトには明確な基準があって、濵本さんが何に目を向けているのかが端的に示されているシリーズになっていると思いました。
 
2016年くらいからなので、本当に全部から選んでいて、撮りはじめて1本目のフィルムの写真も入ってます。異常な枚数を毎日撮っているけど、何を撮ってるんだろうとあらためて見返しながらまとめていった流れでした。コンセプトやタイトルは、まとめるときにあらためて考えましたね。
 
――波、雲、雪、シャボン玉など儚く、刹那的なものが多いですよね。そして表紙にも選ばれている顔の見えないポートレート群もあって、ユース的なイメージを集めているのかなとも思えます。でも、個人的にはそれよりも海の、波打ち際のイメージがずっと反復されていることが、より強く印象に残ったんです。例えば、写真集の最初と最後に波打ち際の写真が挿入されていて。濵本さんにとって海はどんな存在ですか?

とにかく海が好きで(笑)。時間さえあれば、とくに夜の海に行くことが多いんです。わたしが住んでいる近くの由比ヶ浜って、渚がずーっと続いていて、視界いっぱいに海と浜が広がる場所。これがいま、自分が知覚できる一番いい状況だと思います。でも、夜の海はうまく撮れないんですよ。だからこれに代わるものをずっと探しているんじゃないか、と写真を選んでいるときに気がつきました。本当は夜の海を撮りたいし、そのまま形にできたらいいんですけどね。
 
――夜の海については、谷川俊太郎の詩を引いてましたよね。「それから/僕の血と海と夜とは/同じ匂いがし始めた/そのほかには何も無く/そのほかには/何も/無く」(*1)という。こういう自分と対象が一体化して、ひとつになっていくような感覚が一番いい状況?
 
そうです。これです、と思いましたね。夜に海へ行って、目の端から全部が海になって、境界線がなくなっていく感じ。
 
――視界がひたすら横長に伸びていく感覚みたいな。
 
縦もですね。
 
――ああ、そうですね。
 
水平線って夜は見えなくなるんです。縦も横も奥行きもどこまで続いているかわからなくて異常に広い、みたいな空間に自分一人が放り込まれている。耳も、波の音しか聞こえない状態になる。すべての知覚において、世界と自分の境界がもっとも曖昧になる感覚がありますね。

――そういう身体感覚も含めて夜の海は撮りがたい。その代わりに捉えているのが、夕暮れとか朝明けの光だなと思ったのですが、どうですか?そういう光が濵本さんの作品全体を照らしている気がします。
 
薄明の時間ですよね。明け方にひたすらドライブすることが多くて、その時間に劇的な空を見る機会が多かったということもあるんですけど、でも「逢魔時」みたいな世界自体が曖昧になる時間を選んでいるのはあると思います。

 ――そういう曖昧さが「ghost」なんですね。例えば海も含めて撮ろうとすると、逆光になるじゃないですか。だから必然的にフラッシュを焚く必要があって、そのときに太陽の光とフラッシュの光がぶつかって混ざり合うことで、イメージの世界自体も曖昧になるのかなと思いました。
 
そうですね。見ていたはずのものと撮ったもののイメージが曖昧になってくるのが、わかりやすく出る時間でもありますね。
 

*1|谷川俊太郎「八月」より。 


 ホワイトキューブから廃墟へ。

――『midday ghost』はフィルムで撮った写真のシリーズでしたが、《VANISHING POINT》はiPhoneの写真で構成されたものでした。タイトルは日本語で「消失点」という意味で、それは座標のない地点でもあります。それって境界が曖昧になった夜の海とも近いものがある気がします。
 
そうかもしれないです。でも、もともと座標とか、そういうことは関係なくて。最初は夢の話をもとにして制作していたシリーズでした。人の脳って寝入り端に見る映像、夢の一歩手前の映像を、寝かせるために見せるんですよ。わたしは頻繁にその映像を見ていて、みんなも見ているのか気になったので、まわりの人に聞いて回って、その人たちからiPhoneの写真を送ってもらってました。それを一度プリントアウトして、拡大鏡をマウントしたiPhoneで再撮影して、さらにPC上で分割してまたプリントアウトをするって工程をやったんです。デジタルとアナログを行き来して、写真のサイズも引き伸ばしと縮小をやって、最終的に並べて貼るという。

ーーそれは夢のイメージの再現?
 
やりたかったのは、夢を見ているときの時間の流れ方の伸び縮みをあらわしたかったんですね。それがまず最初にありました。あと安直なんですけど、拡大鏡を介してCMYKのインクの粒になるまで見ていくのが、暗闇で目をつむってまぶたの裏に浮かぶ粒子を見るのと近いように思えたんです。
 
――夢の時間感覚とか抽象的なイメージとかですね。やっぱりそういうものにたいして《VANISHING POINT》という場所というか地点をあらわすタイトルなのが面白いなと感じます。
 
友達から送られてきた写真の時点では消失点があるというか。でも拡大鏡で見ているときは、それが失くなるような気がしたんです。なので消失点が失くなるという意味でタイトルをつけた気がします。そしてそれでもイメージはあるな、と。

――絵画的に言えば、パースが失われて、ここっていう消失点がわからなくなるということかな。
 
それから最終的に並べることで、より見えなくなると考えてましたね。秩序のない状況の夢とイメージの関連性を捉えることが、念頭にあったと思います。

 ――《VANISHING POINT》シリーズはさらに発展して、廃墟で勝手に展示をするというスタイルに変わっていきます。別の時間軸や場所性が新たに加わったと感じるのですが、きっかけは衝動的なものだったと前に話してましたよね。

ホワイトキューブ的な空間で展示の設営をしていたんですけど、その展示が個人的に納得いかなくて。水平を測って、ビスを打ってみたいなことに2、3日かかって、うわ、こんなにキツいんだ、と。写真ってこんなにめんどくさいのか?と思ったんですよね。で、設営帰りに車で走っていたら、廃墟を偶然見つけて。もうここでいいじゃん!って(笑)。

――いいじゃんっていいですね(笑)。

写真のちゃんとした作法を知らないからかもしれないんですけど……。プリントするとか額装するとか面倒くさいなと、その頃はめちゃくちゃ思っていて。夢は毎日見るものが変わるから、夢を見るたびに即席で夢を吐き出せる手軽さが写真にはあると思っていたんです。だけど、展示会場では2日間かけてだらだらとやっていて、よくわからなくなってしまった。それは自分がやりたい写真とちょっと違うと思って。なので野良的に展示するほうが合ってる気がして、そのままコンビニに行って出力して貼って、それを写真に撮って帰りました。


変化し、朽ちていく「Liminal」な時空間と記憶。

――展示という形式や空間の問題に直面して廃墟へ向かったわけですが、その後も廃墟的なところで継続的に展示を続けて《VANISHING POINT in liminal zone》というタイトルでまとめられています。これってあの「Liminal Space」(*2)の?
 
「Liminal Space」って今ミームになってみんな知ってるじゃないですか。でもその前から使ってたんですよ。たぶん日本で一番早かったかもしれない(笑)。
 
――(笑)。じゃあミームの「Liminal Space」とは違うものなんだ。どこからたどり着いたんですか?
 
最初は「Bomb Exhibition」というタイトルだったんですが、別の言葉がいいと思ってずっと探してたんです。最初の場所以外は、ほとんど明け方か深夜で作業をしていてたので、時間について調べていたら「Liminal」という言葉が出てきました。本来は、感知できるかできないかの境目、人が知覚できる限界というのが、言葉の意味なんですよ。
 
――「Liminal」と廃墟を繋げたのは、廃墟の空間自体が持つ時間性とも関係するものだと思います。人が去り、壊れていて独特な時空間だと思うんですよね。
 
やっぱり最初はホワイトキューブへの反抗でした。写真が展示される場所って、光や、温度、湿度すべてが一定に保たれていて、美術品が存在するに値する場所になっている。でも廃墟って一定ではなくて。これから崩れていくかもしれないし、明日取り壊されるかもしれない。でももしかしたら残るかもしれない。そういう予測がつかないし、ずっと変化し続ける場所。そういうふうに捉えています。
 
――つねに変化する場所。
 
自分の力でどうにもできない風とか波とか、天候が介入してくるような。

――廃墟で展示しているものは、夢のイメージからは変わってますか?

変わってますね。フォルダのなかで一番新しい写真とか、無作為に選んで印刷してます。ただ、必ずフォルダのなかにある写真というのは決めてます。夢ってどこで見たり聞いたりしたものが、もう一回出てくるものだと考えていたので、人から送ってもらうときも必ずiPhoneのなかからすでに撮影していたものを選んでもらうようにしていて。それを自分でもやってます。

――夢の起源として記憶があって、そういうものに視点や重心が移ったという気がします。
 
はい、そうです。
 
――写真には「かつてここにあった」という記憶を呼び戻す機能がもともとありますよね。でも濵本さんの分割印刷をしてイメージを解体するような場合は、特定の記憶の再現には重きが置かれていないように思えます。しかも、廃墟とともに変化して、朽ちていく。写真と記憶の関係性はどう捉えてますか?
 
自分のなかで写真と記憶の関係性について消化するには、抵抗できない力によって風化するかもしれないし、誰かに見つかるかもしれないという可能性を持ったまま、そういう不安定な状況に置かれながらわたしの手から離れている状態がしっくりきます。自分の記憶を含んだイメージを管理できない状況で放置するのが、記憶の状態に近しいというか。
 
――そういう記憶のあり方と風景のあり方が重なり合っているのが、このシリーズの特徴ですね。
 
たしかに。でも、誰宛てにやってるんだろうと思うことはありますね。
 
 
*2|詳しくは木澤佐登志「Liminal Spaceとは何か」など。

 失われた小高の風景と故郷喪失者。

――直接つながるかわからないですが、南相馬の小高で滞在制作した《Heimat Loss》のシリーズでの経験やそのときに見た風景について聞いてみたいです。福島県を縦に走る浜通りを通ると、震災の傷跡がまだ残っていたりするのが見えますよね。そういう風景、つまり廃墟のある風景はどう見てましたか?
 
廃墟かどうかはまったく考えずに制作していて。住んでいる人たちの傷が癒えることはないし、そこにたいしてわたしが何かやれることはないと思っていました。わたしのこれまでの制作の続きというよりも、ここでしかできないことをしたいという思いが強かったです。例えば新しく建てられた堤防とかソーラーパネルとかそういうものがあって。堤防があると潮の匂いがしないんですよ。海街ってだいたい潮風が吹いているんですけど、匂いがしないのは、自分が知っている海じゃないと感じて。この壁の裏に海があるということを感じられない海街があるって、すごく不思議でした。その後、地元の人たちと話しているうちに、新しいものが建てられて地面がならされ、見えなくなった景色がいっぱいあると気づかされたんです。わたしは見えなくなったあとに来たわけですけど、それでも風景が立ち上がるようなことを感じていて。
 
――かつての風景がある。
 
おじいちゃんがたくさん喋ってくれるので、彼らの少年時代の風景を追体験するみたいなことが何回もありました。外から小高に来た人は、震災や復興に焦点を当てがちだとも彼らは言っていたんですけど、そうじゃなくてもともとここには貝塚があってとか、土地自体が持っている話がある。そこも見ていましたね。残されているものと、流されてかつてあったもの。

――土地の記憶に反応したんですね。《Heimat Loss》では、そこから何を撮っていったんですか?海はないけど、夕日の光だったりはやっぱりありますよね。
 
なんですかね。一人の時間があまりなくて。若者がいるということ自体が珍しくて、いろいろなおじいちゃん、おばあちゃんと一緒にいて、ほとんど彼らの視点なんですよね。あ!って気づいたのと一緒になって撮るみたいな。例えば、彩雲とか。会って間もないのに、庭に実っている柚子を取りにおいでと言ってくれたりして、小高での滞在は一瞬だけでしたが、昔から住んでいた人のような目線だったと思います。

――《Heimat Loss》は、故郷が失われたという意味が込められていて、濵本さん自身が転勤族として過ごした「故郷喪失者」、「根無草」的な経験と重ね合わされていますよね(*3)。
 
震災とか廃墟といったことをあまり意識していなかったのは、もともと小高を知った最初のきっかけが、埴谷雄高(*4)の小説からだったということもあります。どこかに定住していないことがコンプレックス的な感じでずっとあって、故郷があることが羨ましいなと思っていましたね。


*3|《Heimat Loss》制作の経験を綴ったテキストより。
*4|埴谷雄高は、台湾生まれ、東京育ちだが、本籍は小高に置かれており、「ハイマートロス」「祖父の墓」といったエッセイで望郷の念が綴られている。代表作『死霊』のほか、夢について書かれた『闇のなかの黒い馬 夢についての九つの短篇』などがある。

「ここ」と「どこか」を重ねた先にある希望。

――濵本さんにとっての小高とか、もしくは夜の海、夢、座標のない地点という曖昧な時空間って、言い換えると「ここではないどこか」ですよね。そういうものを求めているように思えます。
 
そうですね。作品を撮るときに考えているのは、視界にあるこの場所ではないところです。

――そういうことを考えているときは、どういう気持ちなんですか?寂しいとか、懐かしいとか。
 
これから出会うかもしれないという期待がありますね。
 
――明るい気持ち?
 
はい、つねに希望を持って何かを見よう、撮ろうと思っていて。ここにいるけどここじゃない今がどこかにあって、そこにいずれ自分は行くという気持ちがあります。それがどこかは明確にあるってわけじゃないんですけど、期待しかない(笑)。
 
――そうですよね。濵本さんの写真には廃墟的なものがありつつ、どこか抜けの良さや明るさもあるなと感じます。可能性としては、放置している廃墟の写真を誰かが見つける場合もありますよね。誰宛てにやっているんだろうと話していましたが、そういう他者との出会いにたいする期待はありますか?
 
出会ってほしい。もし自分がその体験をしたら、すごくいいだろうなって思うんです。自分の写真集もこの人に見てほしいというのはなくて、100年後わたしが死んだあとに、全然知らない人がどこかの図書館で見つけて読んでくれるかもしれないみたいなことばかりを考えてます。ここに本来ないはずの、誰のものかもわからないものへの遭遇が、どこかで起きていたらいいな、と。青梅のほうに出かけたとき、詩が書かれたテプラが貼ってあって。「青い気持ち/波打ち際から捨てさせて」って書いてあったんですよ。めっちゃいいなと思ってネットで調べてみたんですけど、何もヒットしませんでした。こうやって誰が何のために残したかわからないものに、自分だけが遭遇しちゃうのはすごく楽しいですね。

――濱本さんが撮影したPeterparker69のジャケットは、誰もいないホールでまさに「Liminal Space」な空間。ただ、外からの光が手前から差し込んでいて、閉じた空間にはなっていないという印象を受けます。収録曲の『Flight to Mumbai』の歌詞には「I told you to wait ‘till the sun comes up/道で会おうってさ me and ma homies, yeah」ともあって、彼らの音楽が外に届いていくみたいな、そういう期待感と共鳴しているなと思いました。


 メンバーが同世代なんですよ。聴いてるリスナーやビジュアルのディレクションをしている人たちも同じくらいの歳で、みんな同じ考えの世代なのかなと思います。この先どこかで、誰かに会えるかもしれない期待感を持って、どことも言えない「Liminal Space」にいるみたいな。
 
――世代としての前向きさを共有している?
 
でも、わりと先に絶望があってそうなってるのかなって思います。
 
――絶望か……それはどういうことか知りたいです。
 
何かが起きるという期待感だけで、どうにか絶望を乗りこなすみたいな時代にたぶんわたしは生まれていて。いつか行けるかもっていうのは、現実かもしれないし、夢のなかかもしれないし、バーチャルかもしれないし、死後の世界かもしれないし……。リアルな場所だけではないですね。いまここの状況に絶望がずっとあるからこそ、思うことかもしれないです。
 
――リアルも、リアルじゃないことも、全部が「どこか」として並列な存在なんですね。そういう感覚の共有って同世代ではやっぱりある?
 
この後ってもうないよね、とか、地球もう終わりだろ、みたいなことは言いますよね。
 
――終末思想的な「終わってしまえばいい」みたいな内的な葛藤ということではなくて、具体的で物理的に終わる状況がリアルにまずあるからっていう。
 
むしろ平穏な時代に安寧な暮らしをしていたかった(笑)。
 
――聞いていて思うのは、そういう平穏さも「どこか」のひとつでもあって、終わりからのはじまりがリアリティとしてあるということです。それでも「期待しかない」という思いもあって、重さと軽やかさが両立している感じがしますね。濵本さんが監督した君島大空のMV『都合』は、エンドロール的な黒い背景のスタッフクレジットからはじまっていて、終わりからなんだと思いました。

これも絶望スタートの希望ですね。ただ、映像が左から右に流れていくことをうまく考えられないというのもあります。時系列の順序ではなく、すべてが並列に並んだ状態の方が、考えやすい。だから最初にスタッフクレジットから入ってもいいかなって。写真のことを考えているときのテンションで映像も回してしまうので、時間の流れはそんなに重要じゃないんです。このMVでは空が明けていく過程を撮っているんですけど、途中にスタッフクレジットが入っていてもいいですね。
 
――あ、夕暮れの風景じゃないんですね。三拍子の感じとか歌詞の内容もあって、夕暮れのイメージになってました。
 
朝焼けなんですよ。でも夕暮れって言う人もやっぱりいて。どっちにも見えてよかったです。
 
――二重性がありますね。写真を撮ること自体は「ここ」と向き合うことでもあるじゃないですか。それと同時に「どこか」への期待感を抱いている。どちらかというより、どちらも行き来するようなバランス感があると思うのですが、そのなかで感じている希望とはどんなものですか?
 
写真を撮ることで「ここ」と「どこか」を行き来できる気がするので、写真があってよかったと思います。それは意識だけが違う場所に行けるということであり、写真ではすごく軽やかに簡単にできる。そこに希望を見出してます。だからこそ、廃墟の展示には後から様子を見にいったり戻ったりしないというのは決めています。それって「どこか」を自分で消してしまうことになるので。自分の手から離れた時点で、いつか見たい「どこか」のうちのひとつに入っていて、実際に自分の目で確認することは、その可能性を潰してしまうことになる気がして。
 
――濵本さんがつくる空間やイメージは、過去の痕跡というより、未来に開かれたものになるんですね。
 
そうですね。戻ってしまったら、ずっと「ここ」にとどまることになって、「どこか」への選択肢がなくなってしまうと思います。



濵本奏/Kanade Hamamoto
 
2000年生まれ。人やものや土地が持つ「記憶」を主なテーマに、壊れたカメラを用いた撮影方法や、ミクストメディア的な手法を導入して制作・発表をおこなう。2019年、渋谷にて個展「reminiscence bump」を、2020年にOMOTESANDO ROCKET、STUDIO STAFF ONLYにて個展「midday ghost」を2会場同時開催。2020年にはhito pressより初写真集『midday ghost』を出版。2020年より、写真を即興的に屋外展示するプロジェクト、"VANISHING POINT exhibition in liminal zone"を開始。
 
HP|kanadehamamoto.com
IG|@kanadehamamoto


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