くみちゃんと雨
家族で鍋を囲み「白菜、いらない!」「これ、食べんかい」といった夕飯を終え、やわらかいお湯で身体をあたため、キャッキャッとくすぐり合いをしながら、眠い目をこすって布団にもぐりこみ、目をつぶる。
すると、ササー……という雨音に気付く。
目を開けて、天井を見上げる。
こんな雨の日には、思い出す風景がある。家族が寝静まった部屋の中で、ぼんやりと思い出す。
母はパチンコが大好きな人だった。
小学生とはいってもまだ小さな私を家にひとりで残すことは忍びないと思ったのか、休日には私をよくパチンコ屋に連れていってくれた。
母の隣の席で飛び出す銀色の玉を見ることにも当然飽きて、店内をひとりでふらついていたら、私と同じような境遇の子どもがいることを知った。
「くみちゃん」
私は彼女をそう呼んでいた。
私よりもいつも先にそこにいる、くみちゃん。
互いに互いを発見すると「あっちいこう!」とパチンコ屋のまわりの路地や電話ボックスや、お店の前の駐輪場を転々として遊び回り、お昼になると親から300円もらってファーストフード店で一緒にポテトを食べた。
くみちゃんは今までにいた友だちとは違っていた。
大きく違うのは、小学校低学年でユニークな下ネタを連発することだった。
電話ボックスに入り、不倫相手に電話するOL女性になりきって甘え声を出す姿や、「ちょっとだけよ~」といいながら披露する「カトちゃん」の物まね。
ここまで恥ずかしげもなく芸を披露できることに、尊敬の念を抱いた。
将来は舞台女優にでもなるのかというくらい、道行く人の目を気にしないくみちゃん。一緒にいると、1日があっという間に過ぎた。
ある雨の日曜日、くみちゃんは来ていなかった。
くみちゃんが不在の日は何度あったけど、雨だったこともあって「一人でずっとお店の中にいなきゃだなぁ。退屈しそうだなぁ」とその日はガッカリした。
だけど次の週も、くみちゃんはいなかった。
「どうしたんだろう」と思った。
くみちゃんが誰とパチンコ屋に来ていたのか、そういえば知らないなと思った。お母さんかな、お父さんかな、それとも年の離れた兄弟かな。会えないので、聞くことができなかった。
次の週も、くみちゃんはいなかった。
これだけ会えない日が続いたことはなかったので、少し心配になった。その日は曇りで、一人で遊べるようにお絵描き帳を持ってきていたから、特にがっかりはしなかった。
夕方になって、雨が降ってきた。
少し肌寒く感じて、母の元に置いてあったジャンパーを取りにいく。お店の出口に立って、ぼんやり雨空を見上げていたら、黄色とピンクが放射状にのびる、子どもサイズの傘が見えた
「派手だな」と見ていたら、傘を持っていた子がこちらを振り向いた。
知らない子だった。
その顔を見た一瞬、なぜかくみちゃんを思い出した。ぜんぜん似ていないのに。
知らない子を待つ、というのが大人びた行動に感じられて、哀しく、誇らしい気持ちがした。
黒々としたコンクリートの地面にできた小さな水たまりに、街のぼんやりした灯りが反射する。身震いさせる光景は、寂しそうで幻想的だ。
全然似ていないけれど笑ってしまう、くみちゃんの物まねを思い出して、口元が少しゆるんだ。
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