出身と性別の話。①

私は東京出身だけど、「東京出身です」と言いづらい。
私は女性に生まれたけど「女性です」と言いづらい。
この2つの「言いづらさ」は似ていることに気付いたので、今の考えを書き残しておく。

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私は生まれも育ちも東京都だ。家も学校も職場もずっと東京だ。
社会人になって初めての研修中、東北出身の同期にそう伝えると、とても羨ましがられた。
「えー!いいなー。都会じゃん。シティーガールじゃん!」
けれど私は苦笑いをしながら説明を付け加える。

「いや、東京は東京でもバスは1日数本の世界だし、山も川も田んぼも畑もあるけど高層マンションは無いところだよ。東京の中でも不便な田舎だよ」

地元の緑豊かな写真を見せると、東北出身の同期はとても驚いていた。
「えっ!うちの地元より田舎じゃん!本当に東京???」

東京です!!!住所的には!!!都会では無いけど東京です!!!!大学の同級生には山梨っていじられるけど東京です!!!!

声を大にして言いたいのをぐっと堪えて、あははと笑って流す。この同期に限らず、自己紹介の場で何度も繰り返した行為だ。

他人が抱いている(と、自分が勝手に思っている)「東京出身のイメージ」と、「実際に自分が生まれ育った東京」にはギャップがある。
そのため、東京に生まれ東京で育った事実に変わりないものの、私は東京出身と言いにくい。
ただし、悪意を持って「えー、こんなの東京じゃないでしょー」なんて馬鹿にしてくる人に対しては「都会では無いのは事実ですが東京ですよ!?!?住所読めます!?!?」とブチ切れたい。ブチ切れたことないけど。

とりあえず都会っ子のように思われても事実と異なるので、相手の反応を見て説明を付け加えている。高層ビルよりも、綺麗な山と川をたくさん見てきたのよ私。

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最近、この東京出身問題と、私の中で自分を「女性」と思いにくい問題(性自認を女性と思えない問題)は構造が似ていることに気付いた。

女性の身体に生まれ戸籍上も女性だけれども、「女性」であるが故に他人から期待されると思われること(その是非は置いておいて)だったり、自分の中の「女性」のイメージと自分自身との間にギャップがある。

そのため、「女性」と名乗りにくい。「女性」に帰属意識が持てない。
さらにはを女性がするもの」と思い込んでしまったことに対して、自分には似合わないとか、自分がすべきことではないと否定的・消極的になってしまったのではないか。

ただし、出身地問題と性別問題で異なるのは、前者は例え他人のイメージと異なり言いにくくても「東京ですよ」と思えるのに、性別に対してはそうもいかないこと。
この辺りの違いについても、もう少し考えたい。

これまでぼんやりと
「自分を女性とも男性とも思えない。だからXジェンダーがあてはまるのかな」なんて考えていたけれど、そのぼんやりとした部分を次回もう少し掘り下げようと思う。

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