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主導権が全てか ③

あることに気がついたので
考えを変えます


私たち人間は

永遠に主導権を

握っていられるのだろうか

仕事も人間以外のものに頼り始め

何でも人間以外のものに

置き換え始めている

人間以外の

機械やAIやその他もろもろ

人間以外のものや様々な存在は

徐々に徐々に

私たちの周りを

支配していっていないだろうか

人間以外が多くなれば

人間の方が少なくなれば

主導権は

人間以外にならないだろうか

今は 私たちは

機械やAIを

人間の支配下に置いている感覚を

まだ持っているかもしれない

人間>機械

という感覚


だが

このまま合理化ばかりが進み

更にその合理化を望み続ければ

機械が圧倒的に多くなる

つまり

機械は 前に記述したように

時間も早い ミスも少ない

恐ろしく効率が良い

圧倒的な天才のような存在なのだから

圧倒的ではない人間よりも

機械を利用する数は

圧倒的に増えていく

何度も言うが 今は

主導権は人間にあるように

見えているかもしれないが

このままいけば

人間は主導権を奪われる

つまり 機械の方が

主導権を握り

コントロールされるのは

支配されていくのは

人間の方になる

人間<機械

である


私は不完全な人間であるし

天才でもないし

何も出来ない

だからといって 

機械に

主導権を握らせたくはない

主導権は人でありたい

だから

機械 AIが優先されていく世界は

微塵も良いと思えない

あくまでも

主導権は人でありたい

この世が 天才である機械

ばかりになったら

どうなるだろう

最後は 天才である機械が全てで

完璧ではない

天才ではない人間はいらない

にならないだろうか

合理化の末は

人間の不必要性を生み出す

人間の存在価値を脅かす


合理化しなくていいじゃないか

時間も遅くて
集中力もない
見る目もなければ
早熟でもない

人が主導権を握っている環境で
私は死ぬまで生きたい


天才ではない人が
生きる方法
それは

合理化を認め過ぎないこと

天才を上回る機械なんて
人の支配下で収まるレベルのもので
いいじゃないか
あくまでも人が楽になるため
人が便利と感じるレベルで
いいじゃないか

どこまでいくつもりのなのか
どこまでいけば 終わるのか

根本的なことを
考える必要はないのか

目先の利益のために
お金のために
みんな開発 研究ばかりしているが

それが いずれ
人そのものを
滅ぼすことは考えないのだろうか

その時は死んでいるから
いいのか

今 お金が入ればいいのか

人を支配する機械なんて
いらない

主導権は機械に握らせたくない

人が主導権を握る程度の機械でいい

今日は 何故か 
こんなことを思った