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何者かになりたかった。

開いてくれてありがとうございます。
うまくまとめられるかわからないですが、やってみます。


どちらかといえば気が強く我が強い。
発言力はある程度あって、どんなことでもなんとなくすぐ出来てきた。
唯一無二になりたくて、誰とも一緒になりたくなくて、オンリーワンになりたくて。

そんなわたしを面白いと周りは言ってくれていたから、わたしはいわゆる“世間の普通”にはなれなかった。
世間の普通が憧れる、何者かになりたいとずっと思っていた。

多くの人に認めてもらいたい。すごいって言ってもらいたい。
なんだろう…今言うなら、承認欲求オバケかな。

仕事をしても、わたしがいるべき場所はここじゃないとどこか見下していたところがあったのかも。
辞めて、お金がなくなってとりあえず働いて…を繰り返していたら、こんなに時間が経ってしまった。

結局、“世間の普通”にもなれず、多くの人に認めてもらえる“何者か”にもなれず、宙ぶらりんで今生きている。

平凡に生きるのが嫌だった。
等身大の自分を受け入れるのが怖かった。たいした存在でもなく、ちっぽけな自分を。
何者かになるために死に物狂いで取り組みもせず、わたしはちっぽけなんだとも思えず。
何を甘えたこと言ってんだってね。

若い頃、特に学生の頃ってどうしてあんなに無敵なんだろう。
怖い物知らず。わたしは何にだってなれると信じて疑わない。
正直今のわたしは現実はこんなもんかと落ち着くだけだ。

最近はやっと、わたしが思い描いていた“何者か”も、ただの普通の人だと思いはじめている。
だからわたしは普通の人だ。見栄を張らず、今の自分の等身大を認めてあげよう。そんな努力をしている。

わたしにとっての幸せの形が変わってきたのも大きいのかもしれない。
多くの人にすごいって言ってもらいたかった。認めてもらいたかった。
でも今は自分が心地いいと思えることが大事だと思うようになっている。
そのためには、他人の評価は必要ない。

それでも、昔の同級生には会いたくないと思ってしまう。
あの人たちは、無謀にも突っ込んで行って大きく歩いていくわたししか知らないだろうし。
今の慎ましやかに生きているわたしを見てどう思うだろうか。
まだそこの怖さからは解放されていない。

他人に誇れる力が欲しかった。
でも今は、死ぬときに自分が誇らしく思える力が欲しい。
わたしはわたしのために生きることが出来たなと思いたい。

今でも職人は美しいなと感じる。
手に職を持っている人を羨ましくも思う。
それになれるように努力したことすらないのに。

結局わたしは覚悟が出来ない。
今の生活と天秤にかけて、現状とのバランスの取れる選択をしている。
休みは、勤務時間は、給料は。
友人と遊ぶ予定を入れられるか、働きやすい(都合のいい)職場か。
一度、全てを投げ打って何処かに飛び込んだほうが幸せなのかもしれない。

自分についてたくさんたくさん考えるけど。
わたしは前に進めているのか。結局いつものように同じところをぐるぐる回っているだけではないか。

何者かになりたい。
今でもふとそう思うときがある。
それと同時に、今の等身大のわたしを見つめ返す。
ちっぽけなんですよ、自分。

何かを始めるとき、わたしは勢いで進められない。
どうしても未来のことを考えてしまう。
この選択は正解か否か。未来の人生にどういう影響を与えるのか。
そもそも今の能力や金銭でやっていけるのか。

もっとフットワークを軽くしたい。
飛び込んで行ける人になりたい。

わたしはわたしを認めつつ、飛び込んでいける人になれるだろうか。

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