推し事を辞めた。
開いてくれてありがとうございます。
推しはいますか?
わたしはここ1、2年前まであるコンテンツを追いかけ回していた。
ちなみにわたしはオタクであることを大前提で聞いて欲しい。
いわゆる、アイドルコンテンツ。
5年ほど追いかけていた。
生活費はほぼ全てそこに注ぎ込まれる。
ゲームに課金することを公式へのお布施と言い、毎回変わるペンライトとタオルを買ってライブに行く。
定期的にグッズ情報をチェックして買いに行く。
それが、本当に楽しかった。
推しがいると幸福度が高いと思う。
推しのこと考えてるだけで、推しを見られるだけで幸せだったし。
あの幸せのためだったらお金なんていくら出しても惜しくないと思っていた。
推しがいると余計なことを考えなくてすむ。
推しのことを考えるだけで時間がいっぱいだから。
他のことを考える余白なんてない。
そんな、推しコンテンツ中心の生活をしていた。
追いかけ始めて一年ほど経った頃、グッズを全て買うことに疲れていると気付いた。
こんなことを言ってしまったら怒られるかもしれないが、同じようなグッズが山ほど出る。
でもオタクはそれに喜んでお金を出すのである。
なぜなら、それを買うことによってまた新たなグッズが出るから。
次々に出るグッズを追いきれなくなり、買うものは限定しようと切り替えた。
追いかけるのを辞めた理由はグッズにはない。
大きな理由は、やっぱり人間。と、公式との解釈ズレ。
ある意味わがままな理由である。
公式から出される推し像が正解である。
世の中のファンもそれを求めているように見えた。
でもわたしは都合よく推しが使われたストーリーに、ああそういう扱いをするのかとガッカリしたのだ。
ファンはこういうのが好きでしょ?と一部のファンが喜ぶ作りにされたような、そんな気分だった。
そこから追いかけることをやめたわけではないが、少しずつそのコンテンツとの距離が空き始めた。
極め付けは、あるストーリーについて、わたしは面白い話だったなぁと思ったものに対して、声の大きいファンがSNSで大批判していたことだった。
どのコンテンツにも、強くて声の大きい人はいる。
影響力の強い人の声は遠くまでよく響く。
その人たちにとっての推しがあるストーリーで都合よく使われていたと感じたようでつらつらと書かれていた。
もしかしたら、その頃あのコンテンツはキャラクターたちを都合よく使うようになっていたのかもしれない。
推しを都合よく使われたと思う気持ちはわたしもよくわかる。
けれども、わたしがガッカリしたものを大絶賛して、わたしが面白いと思ったものを大否定する人たちがこのコンテンツにいるということが、もうこのコンテンツ追わなくていいなと思う大きな要因だった。
別に気にせず推せばいい。
自分が好きに楽しく推せればそれでいいじゃない。
周りなんて関係ないでしょ。
そう思えないほど、気持ちが離れていた。
そうしてわたしは推し事を辞めた。
その後も今に至るまで、よく見る人はいるけど推しとして追いかけることはなかった。
推し事を辞めて得たものは、たくさんの時間とお金。
それが好きに自由に自分の考えで使えるようになった。
ゆるミニマリストになったのもこの頃である。
推していた期間が無駄だったとは思わない。
むしろ毎日を楽しくさせてくれてありがとうという気持ち。
あの期間があったからこそ、ミニマリズムを取り入れて生活に向き合い生きていくことの心地よさを実感できている。
推しのために生きることは幸せである。
ただ、わたしは自分のために生きることが幸せだと思うようになったのだ。
どちらもよい生き方だと思う。
選択肢はこの世にたくさんあるので、好きなものを選び取って生きていきたい。
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